獣医学部問題を別の視点から考えてみる

 地方自治体が、地域活性化をねらって大学を誘致する。
 この動きが始まったのは1980年代以降であり、現在までに100以上の大学がこの方法(公私協力方式と呼ぶ)により、新たな大学や学部を開設している。

 今のところ公私協力方式の成功例と言われている立命館アジア太平洋大学(大分県別府市)の場合、大分県が約160億円、別府市が約42億円を拠出し、さらに別府市が土地を無償譲渡して設立された。

 数日前のブログで埼玉県久喜市の例をあげたが、同市は建設費、周辺の道路整備費、土地取得などのため40億円を税金から支出し、東京理科大経営学部を誘致したが、結局は撤退されるという憂き目をみた。こちらは失敗例である。

 このように成功もあれば失敗もある公私協力方式であるが、自治体が税金から建設費等を補助し、土地を無償譲渡する方式は、今に始まったものではないということを改めて述べておこう。

 「37億円もの土地をタダで」という加計学園に関する報道は、こうした事例を知らない人にとっては衝撃かもしれないが、本ブログの読者の多くは教育関係者と思われるので、「それが何なの」といったところだろう。
 これが不正というなら、過去30年を遡り、100を超える事例を検証しなければならない。


 既存の大学が、他大学の新規参入を阻もうとするのは、良い悪いは別として当然の行動であろう。大学であろうが、小中高であろうが、ライバルの出現は好ましいものではない。これは企業社会においても同様である。
 
 今回注目を浴びている獣医学部の新設に関しても、長年にわたり獣医師会や既存の獣医学部が反対してきた。かれらは文部科学省や農林水産省に、新規参入を阻む政策をとるよう働きかけをしてきた。
 好ましいことではないと思うが、既得権を持つ者は、ライバルの出現を阻もうとするものである。

 しかしその結果、社会全体の利益が損なわれてはいけない。
 そこを考えるのが政治の役割である。そして、政治を動かすのは国民である。

 獣医師会や既存の獣医学部は、獣医師は不足していないと主張している。文部科学省や農林水産省も同じ立場だ。
 しかし、本当にそうか。

 獣医学部は1966年を最後に50年間一つも認可されていない。
 これだけペットが増えた時代に、鳥インフルエンザなど動物感染症がしばしば大問題になる時代に、獣医師はこれ以上必要ないと言えるのだろうか。

 もう一つ。
 国が(特に文部科学省が)、学部の新増設等を通して、特定の職業の需給をコントロールすることが、はたして国民にとって好ましいことなのか。そのあたりも疑問に思うところである。

 せっかくの機会である。「安倍打倒」、「安倍憎し」という視点から離れて、考えたいものである。

今度はキッズウィークだと。なんかピントずれてないか

 政府が「キッズウィーク」という何やら意味不明の休日を創設しようとしているらしい。
 夏休みなどの一部を春や秋に分散させる。

 子供にこれ以上休みをやる必要はないから、これは大人のため。
 だが、子供の休日に合わせて休暇を取れるのは一部の人だから、最近始まったプレミアムフライデーと同じだ。

 だから、こういう話のときは、「大企業に勤める人や公務員のための」という但し書きをつけてもらうと、いっそスッキリするね。
 「大企業に勤める人や公務員のためのプレミアムフライデー」
 「大企業に勤める人や公務員のためのキッズウィーク」
 まあ、大企業や公務員でも、それなりの地位にある人は休暇が取りにくいと思われるが、中小企業や非正規労働者よりは恵まれているだろう。

 こんな話をすると、「だったら、あなたも大企業に勤めればいいじゃない。公務員になればいいじゃない」と言われる。
 そうだな。誰にだって職業選択の自由はあるわけだから、そうすればよかった。
 思えば私もかつては公務員だった。

 「大企業に勤められたのも、公務員になれたのも努力の結果でしょう」
 かもしれない。
 なりたくてなれなかった人だっている。

 だがちょっと待て。
 大企業に勤めたって、公務員になったって、それは個人の満足、個人の自己実現であって、別に社会的勝者というわけじゃないんだよ。
 あえて民間、あえて中小企業という人だって大勢いる。で、そういう人たちも一緒になってこの国を支えているんだ。

 よって、こうした分野における国の施策というものは、民間の中小企業に勤める人のことまで十分に考えられたものでなくてはならない。第一、そのほうが効果的だ。

 「あなた、そんなお気楽なこと言ってるけど、公務員だって子供の休日増えたからって、簡単には休めませんよ。結局苦労して学童保育に預けたりして働くのがオチですよ」
 はいはい、分かってます。うちがそうでしたから。

 要するに、「ほら、休み作ってやったぞ。休め」というだけじゃダメだということ。

 あっ、それと、このキッズウィークというやつは、子供のいない人や独身の人のことは考えられていないみたいだ。

教育無償化、まずは高校まで

 就学前から大学までの教育無償化。

 まあ、大きな方向性として異を唱える人は少ないと思われるが、ではその財源はどうするか。そのお金どこから持ってくるのという点が問題になる。
 また、無償化の範囲がどこからどこまでかという点についても、さまざまな意見があると思われる。

 教育は将来に対する投資だという考え方がある。
 個人的な意味でも、国家的な意味でも、だ。
 教育の機会均等を実現することは、国家の発展はもとより、しばしば言われる格差是正にも大きく貢献することになろう。冒頭、大きな方向性として異を唱える人が少ないだろうと述べたのは、そういう意味からである。

 私は、大学の無償化までは必要ないと考える。奨学金や補助金などにより負担軽減を図るのはいいとして、完全無償化までは必要ない。
 全員が大学まで行くことにすれば別だが、高校を出て就職した人が、その所得から税金を払うことにより、大学に行く人の学費を負担するという不公平が生じる可能性がある(無償化の財源を完全に税金に依存するとして)。

 さしあたり、小中学校に加え、就学前(幼稚園など)から高校までを義務教育とし、その代わりこれを無償化するのが妥当な落としどころではないか。

 就学前と高校は、すでに事実上義務教育化している。
 戦争直後とは、社会構造もまったく変わっているわけで、高校までの義務教育化、無償化なら、多くの国民が抵抗なく受け入れられるだろう。


 もう一つ、教育無償化を憲法で規定しようという考え方も出てきているが、この議論は、無償化の範囲や、財源問題の次にくるものであって、ここから始める話ではないだろう。

 憲法26条 ①すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
②すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

 憲法を変えずとも、法律の変更で無償化は可能という考え方もある。これはそのとおりで、現に、憲法を変更することなく高校の無償化は着々と進んでいる。しかし、無償を定めた法律や条例は、別の法律や条例によって有償に変更することもできる。憲法に定めれば、有償を定めた法律や条例は違憲ということになるから、教育無償化は、将来にわたってより確実なものになる。

新聞は書いてナンボ、書かずにナンボ

 知り合いの元新聞記者から聞いた言葉。
 「(新聞記者)は書いてナンボ、書かずにナンボ」。

 売り出したいタレントがいたとする。そこで、事務所やマネージャーに、「じゃあ、今度なんか書いておきますよ」。
 これが書いてナンボ。
 タレントがちょっとしたトラブルに見舞われた。事務所やマネージャーは書かれたくない。「じゃあ、今回は目をつぶりますよ」。
 これが書かずにナンボ。

 もしかしたら実際に金が動く場合もあるかもしれない。そこまではないにしても、こうして恩を売っておけば、いつかどこかで見返りがある。
 
 芸能やスポーツの世界だと、取材する側(マスコミ)と、取材される側(タレントやスポーツ選手)の間に、このような関係が生まれやすいが、それによって、われわれが直ちに不利益を被るかというと、それはない。まあ、どっちでもいい問題だからだ。

 しかし、これが政治や経済などの世界で起きていたとしたら、笑って済ますわけにはいかない。

 マスコミには「報道する自由」と「報道しない自由」がある。もちろん、限られた時間、限られた紙面での報道であるから、「この件は大きく報道しよう」、「これは小さく」、あるいは「取り上げないようにしよう」という判断があっていいわけであるが、かれらが、この二つの自由を行使して、自らが目指す方向に世論を誘導しようとしていた場合、われわれは、対抗する手段を持たない。

 たとえば、このたびの加計学園の問題であるが、テレビを見ていると、「安倍首相が長年の知己である学園理事長に便宜を図った」というストーリーにしたがってニュースや番組が作られていることがわかる。
 そんなことがあったかどうか私には分からないので、そこを詳しく調べて報道してもらいたいのだが、そういう作りにはなっていない。

 大学新設には、民進党議員も奔走していた(高井たかし議員)。
 新たな学部新設を、既存の大学や獣医師会が阻止しようとしていた。
 国会で真っ先に取り上げた民進党・玉木雄一郎議員の父は獣医師で、自らも獣医師会から献金を受けていた。
 
 これらは、いずれも法を犯すようなことではないが、最初に描いたストーリーには合わず、むしろストーリーを崩壊させる材料なので一切触れない。

 マスコミには権力の腐敗をチェックしてほしいのである。マスコミ頑張れと世間が応援する世の中のほうが、われわれにとって好ましいと思う。
 だが、今のマスコミにはちょっとガッカリだ。別の意味でマスコミ頑張れ、しっかりしろと言いたい。

著作権侵害と言われないために

 著作権がらみの話をもう少し書いておこう。
 私に関係するのは、音楽よりも写真や文章である。

 このブログの読者の方は、おそらくご存知と思うが、私は毎年テレビ埼玉の入試問題解説番組に出ている。出ているというだけではなく番組自体を企画する立場だ。また、埼玉新聞や、他の情報紙でも問題解説している。こちらも企画から関わる立場。

 そうなると、過去の入試問題を画面や紙面で紹介することになる。
 さて、そのためにどんなことをするか。
 国語の長文問題なんかは、著作者の許可をとる。社会の問題に出てくる写真、たとえば金閣寺とか平等院とかの写真であれば、それも許可をとる。黙って使うことはしない。

 たいていは、まず電話して、その後「許諾申請書」のような書類を送り、先方からの許可を待つ。
 結構時間がかかり、面倒な作業だが、これをやっておかないと、後々もっと面倒なことになりかねない。
 使用については、無償の場合もあれば、有償の場合もある。

 入試を実施する埼玉県教育委員会も同じようにやっている。ただし、入試問題という性質上、事前に許可をとらなくていいことになっている。それでは問題が漏れてしまう可能性があるからだ。
 事後にホームページなどに掲載する場合は、著作者の許諾が必要で、これには少し時間がかかる。国語の問題文のところが白紙で、「許諾申請中」となっていたりするのはそのためだ。

 営利目的ではない教育委員会でもこれだから、出版社が入試問題集を発行する場合などはなおさらで、文章も写真もいちいち許諾を得なければならない。学校別問題集の場合は、試験を実施した学校と、問題文等の著作者、両方の許可が必要だ。

 そうやって作られた問題集を、学校や塾などがコピーして生徒に配ったらどうなるか。
 ここから先は、思い当たる方にそれぞれ調べていただきたいが、一般論としては、非営利である学校に対するしばりはやや緩く、営利である塾などにはきつい。

 問題集をコピーした場合、文章や写真自体の著作者の利益は損なわないとしても、購入に代えて複製するわけであるから、出版社の利益を損なう可能性がある。
 「買わなくていいよ。コピーしてあげるから」などと、安易に言ってはいけない。もしその発言がSNSなどで拡散されたら大変なことになる。

 自分の利益のために、他人の利益を侵害していないか。たぶん、そのあたりがポイントになると思う。お互い慎重にやろう。

引用だけで著作権料って、どういう理屈だ

 京都大学入学式の式辞において、山極壽一総長がボブ・ディランの「風に吹かれて」の一節を引用した。
 ここまではいい。

 その式辞が同大学のホームページに掲載された。
 それに対し、一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)が著作権料の支払いを要求した。
 まったく、今の世の中どこから弾が飛んでくるか分からんな。

 一応、式辞全文を読んでみた。私なんぞは逆立ちしても到底語れないような格調高い式辞だ。さすが京大総長ともなると違うものだ。で、なになに1952年2月生まれか、じゃあ、私と同学年ではないか。月とスッポンだな。
 でも、私と同学年ということなら、ボブ・ディランを語る気持ちは分かる。そこだけはね。

 さて、JASRACである。
 割と最近も、ヤマハの音楽教室に著作権使用料を要求して、いま裁判になっているんじゃないか。
 
 まあ、著作者の権利は守らなきゃいかん。そこは納得。
 不肖私だって、文章書いたり、喋ったりしているわけで、そういうのを無断でパクられたら、腹が立つし、場合によっては「法的手段をとらせていただく」なんてこともあるかもしれない。
 でも、大学の入学式の式辞でしょう。それをHPに転載しただけ。一部引用でちゃんと出典も明らかにしているわけだし、それに対し著作権料払えとは、一体どんな根拠になっているんだろう。そこが知りたい。

 JASRACは一般社団法人だね。
 世間では社団法人なんていうと、何か公的なものかと勘違いする人がいるけど、たしかに営利企業ではないけど、普通の会社と大して変わらんよ。(というのは、一般社団法人の理事長である私の感想)

 使用者と著作権者の間に入って、手数料をとる商売。なんて言ったら、ちょっと失礼かもしれないが、要はそういう団体だ。だから、取れそうなところから取る。
 もちろん、作詞家・作曲家・アーティスト・音楽関連会社のために一定の役割を果たしているのも確かなんだろうが、今回のこのやり方はどうもね、納得行かないな。

 総長は式辞の中で、茨木のり子さんの詞も引用しているが、こっちは大丈夫なのか。ビジュアル著作権協会が何か言ってこないか。

ついでだから今治市について調べてみた

 国会で加計学園のことはどうなっているか。
 なんてことは、放っておいて、この際、愛媛県や今治市のことを勉強しておこう。こうやって、ニュースに出てきた国や地方のことを、「この際だから」と調べておくと、あとで結構役に立ったりするのだ。

 今治って、ふつう「いまばり」って読めんよな。治がなんで「ばり」なんだ。と思って調べてみたが、よく分からなかった。茨城県に、今は土浦市に含まれると思うが、「新治村」というところがあったと記憶している。「新治」は「にいはり」だ。近い。

 今治と言えばタオル。今やちょっとしたブランドだ。
 もう一つ。今治造船という会社がある。国内トップの造船メーカー。名前は知っていたが、世界に冠たる企業だとは知らなかった。不明を恥じる。

 今治にどうやって行くか。
 検索してみる。

 やっぱり飛行機だろ。羽田から松山空港、そこから予讃線(よさんせん)。予讃の「予」は「伊予」(愛媛の旧国名)、「讃」は「讃岐」(香川の旧国名)でよかったかな。
 しかし、浦和からだと何だかんだで5時間以上かかる。片道5万8千円。

 よし、新幹線ならどうだ。福山で降りて高速バス。本四連絡橋の尾道・今治ルート、通称しまなみ海道を使うプランだ。
 で、時間は6時間。料金は、片道2万円くらい。まあ、こっちかな。

 今治市の人口は16万人。埼玉県なら新座市とか狭山市、久喜市あたりがこのくらい。久喜市と言えば、40億円もかけて東京理科大(経営学部)を誘致したが、学生が集まらずつい最近、撤退されてしまった。大丈夫か今治市。

 四国四県(愛媛・香川・徳島・高知)の人口は、合わせて400万人程度。埼玉県は全国5位で726万人。
 当然、大学の数も少ない。
■愛媛県 愛媛大(国立)・県立医療技術大(公立)・松山大・松山東雲女子大・聖カタリナ大
■香川県 香川大(国立)・県立保健医療大(公立)・高松大・四国学院大
■徳島県 徳島大(国立)・鳴門教育大(国立)・四国大・徳島文理大
■高知県 高知大(国立)・高知県立大(公立)・高知工科大(公立)
 こんなものだ。

 この人口の少なさで見ると、加計学園の獣医学部は、四国だけでは無理で、中国地方・九州地方・関西地方から広く学生を集めないとやって行けそうもない。

学園シリーズ第二弾、始まる

 最近の日本政界は「学園もの」ブームで、森友学園の次は加計学園ということだ。

 加計学園は、岡山理科大・倉敷芸術科学大学・千葉科学大学をはじめ、多くの学校を運営する学校法人だ。幼稚園や保育園の森友とはスケールが違う。

 その加計学園が、愛媛県今治市の誘致を受けて、獣医学部を持つ大学を新設しようとした。今治市は用地(約36億円と言われる)を無償で譲渡し、建設費も半分ほど(約100億円と言われる)を負担する。

 なんで私立に税金出してやるんだよという声もあろうが、地方都市が地域活性化や人口増・税収増をねらって企業や大学などを誘致するのはよくあることだから、ここまでは特段問題はない。
 作ったはいいが、学生が集まらず縮小、撤退ということになれば、それを認めた市長や議会が市民から責められる。
 要するに、ここのところは、国がどうこうではなく市の問題だ。

 森友問題同様、登場人物がたくさん。

 1 加計孝太郎
  加計学園2代目理事長、安倍首相のお友達。
 2 今治市及び愛媛県
  現在日本には、獣医免許を取れる大学が、国立が東大など11大学、私立が麻布・北里など5大学、計16大学ある。四国にはない。金は出すから大学来てくれという立場。
 3 文部科学省
  大学や学部の新設には文部科学省の認可が必要である。大学設置基準に照らして、教育課程や教員組織、施設・設備、財産状況等が適正であるかどうかを審査する。
 4 農林水産省
  獣医の国家試験を所管。獣医の需給バランスを調整する立場。
 5 内閣府
  今治市や愛媛県は、国家戦略特区の制度を利用して、新設を迅速に行なおうとしたが、この特区制度を所管するのが内閣府。
 6 安倍首相
  以上の登場人物にどの時点で、どう関わったのか、今のところ不明。
 7 安倍昭恵さん(特別出演)
  本人その気はないが、気づくといつもそこにいる人。
 8 蓮舫ほか民進党の面々
  とにかくもめればいい。自分たちが脚光を浴びればいい。安倍は倒したいが、代わって自分たちがやるのは御免だという連中。
 9 朝日新聞ほか一部マスコミ及びワイドショー
  面白ければいい。商売熱心な人々。

 あれっ、国民は?
 入ってるわけないでしょう。ただの観客なんだから。

将来の不安? 年寄りがナニ言ってんだか

 総務省が16日発表した2016年の家計調査(2人以上世帯)によれば、1世帯当たりの平均貯蓄額は前年比0.8%増の1820万円ということだ。

 う~ん1800万円か、うちはそんなにないぞと思った人もいれば、なんだ1800万円か大したことないなと思った人もいるだろう。

 これは平均値である。
 われわれはよく、平均値を「真ん中」と錯覚するが、そうではない。
 この調査における中央値、すなわち「真ん中」は1064万円である。仮に100人を上から順に並べて行ったとしたら、50番目あたりの人が1064万円。
 あれ、平均値よりずいぶん低いじゃないか。

 なぜ、そうなるか。
 平均値を引き上げている人がいるからだ。
 世帯主が60歳以上の高齢者世帯では貯蓄額が平均2385万円となっており、これが平均値を上に引っ張り上げているのだ。(私は、引き下げてる派)。

 どうやら、将来への不安が節約志向を強めているらしい。

 しかし、おかしなものだ。
 だって、われわれ高齢者には将来なんて無いんだぜ。ゼロじゃないが残りは高が知れている。明日死んでも誰も驚かない。
 そんな人間が、将来、将来って、ナニ言ってんだか。未来とか将来なんてものは若者のための言葉だよ。

 世の中みんなで、将来のため、もしもの時のためと貯蓄に励むと、全体としては経済活動を停滞させ、かえって将来への不安を増幅させてしまう。
 あるものは使おう。
 そのほうが結局は子や孫のためになる。世のためになる。

 さあ、どんどん使ってやるぞ。
 と思って、財布の中身を確かめてみれば、どうも言うほどのことはできそうもない。
 情けねえ。

むしろ可能性を広げる専門学科

 先週から今週にかけて専門学科の高校を3校訪ねた。
 私はかなり授業見学をするほうだと思っているが、専門学科の授業、特に実習授業には、普通科の授業とは違った面白さがある。

 とにかく生徒は真剣だ。居眠りしてる子なんて一人もいない。
 もっとも、居眠りなんかしたら危険な場面も多いから、するわけない。
 ただ単位をとるだけではダメで、資格を取ることを目標にしているから、その点でも真剣みが違う。

 専門学科を選ぶと、何となく進路が限定されるような気がする。
 それに比べ、普通科の方は、幅広い進路選択が可能という印象が強い。

 たしかにそれも誤りではないが、いろんな専門学科を見てくると、必ずしもそうではないんじゃないかと思えてくる。
 専門的な知識と技術を身につけ、多くの資格をとることによって、むしろ可能性がどんどん広がっているのではないか。

 多くの大人が社会に出てから、「考えてみたら、何の資格も技術もないな」、「履歴書の特技・資格欄に何にも書くことないや」と、あわてて、しかも高い金を払って、資格取得に走る。ユーキャン喜ぶ。

 だが専門学科卒は、社会人になる前にすでにいくつもの資格を取得している。資格取得のプロセスも知っている。
 これって立派な武器だろう。

 向き不向きってものがあるから「専門学科>普通科」と決めつけるつもりはないが、多少なりとも興味があったら、一度実地に見てみるべきだろう。そこに自分の世界があるかもしれない。

 以上、専門学科取材のまとめである。