とうとう決勝まで来たか、花咲徳栄

 埼玉県予選からずっとテレビ観戦していて、今年の花咲徳栄は甲子園でも簡単には負けないだろうと思っていたが、決勝まで駒を進めるとは立派なものだ。

 埼玉勢の決勝進出は平成5年の春日部共栄以来、24年ぶりとなるが、準決勝(ベスト4)進出の時点ですでに価値ある記録であることは、過去のデータが物語っている。

 春の選抜大会では浦和学院の優勝などがあるが、夏の全国選手権の方は、平成に入ってからベスト8以上は3回しかない。
 平成5年 春日部共栄、準優勝
 平成15年 聖望学園、ベスト8
 平成27年 花咲徳栄、ベスト8
 昭和30年代までさかのぼってみても、ベスト4となると昭和61年の浦和学院ベスト4、昭和63年の浦和市立ベスト4など5回しかない。

 昨年のチームは、ドラフトで広島に入った高橋昴也投手を中心とした守りのチームという印象だったが、今年はよく打ち、よく走る。守りの方も投手の綱脇、清水の2枚看板がうまく機能しており隙がない。

 決勝戦は打撃戦かな。
 死ぬまでに一度は埼玉県勢の優勝を見てみたいものだが、それ以上に、球史に残るような熱戦を展開してもらいたいという気持ちが強い。

個人塾ガンンバレの企画

 埼玉新聞に、高校入試企画特集「真夏の大予想」が掲載された。
 今日(21日)と明日(22日)の2日間、大きく1面を使っての特集である。

 今年で3年目となるこの企画、受験生を応援するだけでなく、私の中では個人塾応援企画である。
 私は10年以上前から、スクール21、埼英スクールといった、いわゆる大手塾と組んで、入試予想番組をやっている。これら大手塾の情報収集力や分析力は大したもので、今後も続けて行きたいと思っている。

 一方、いわゆる個人塾の塾長の中にも、ユニークかつ実力ある人材がそろっており、これもなかなか捨てがたいなとずっと以前から思っていた。
 何とかかれらにもスポットを当てる機会がないものか。
 それで考えたのが、この特集である。

 塾長らの高齢化もあって、個人塾は減少する一方だが、そんな中でも己一人の力を頼りに奮闘を続ける塾長は決して少なくない。
 そういう人たちを応援するのも、私の仕事の一つだと思っている。
 こうした企画がどれだけ役に立っているかはよく分からないが、今の私のできるのはこの程度だ。

 受験生にとっても、いろいろな選択肢があったほうが良いはずだから、個人塾の灯を消さないように、これからもささやかながら応援して行きたいと思っている。

今晩京都泊。明日、「戸津説法」を聴くため

 夕方、京都にやってきた。
 明日、比叡山の麓、坂本の東南寺で行われる「戸津説法」を拝聴するためだ。

 「戸津説法」の戸津は地名で、この地で行われる高僧(偉いお坊さん)の法話(仏教についてのお話)が「戸津説法」。
 毎年、8月21日から25日までの5日間行われる日本天台宗の行事で、説法師は毎年1名ずつ選ばれる。

 「戸津説法」の説法師を務めると、その後、「望擬講(ぼうぎこう)」、「擬講(ぎこう)」、「己講(いこう)」、「探題(たんだい)」と位階を昇って行って、最後は、天台宗の最高位である「天台座主(てんだいざす)」になる可能性があるので、「戸津説法」は座主への登竜門などと言われている。

 天台座主は終身の位なので、次に控える探題が座主に昇格するのは、座主が亡くなられた時だけである。継承順位が決まっているので、前座主の半田孝淳師が亡くなったときも、即日、現座主の森川宏映師が就任した。
 
 今年、説法師を務めるのは、横浜・円満寺の西郊良光住職で、私はちょっとしたご縁があり、めったにない機会なので、この際拝聴させていただこうということで、はるばる琵琶湖の畔までやって来たという次第である。

 西郊良光師は、私より10歳上の76歳だと思うが、この世界ではまだ若い部類ということだ。前の半田座主も、今の森川座主も、90歳を過ぎて就任しているくらいだから、それも頷ける。

 「戸津説法」の様子はツイッターでお伝えする。
(って、ほとんどの人は興味ないと思うけど)
 

インターハイ出場の秘密は自立と自律 獨協埼玉陸上部

 獨協埼玉高校陸上部の取材に行ってきた。

 部活、しかも運動部の取材で行く学校じゃないでしょう。
 そう、私もそう思っていた。
 だが、今夏インターハイに女子800mの選手(神保友花さん)が出場しているのである。ここ5年間、関東レベルまでは届いていたが、ようやくインターハイ出場選手が現れた。

 野球やサッカーのグランドとは別に陸上トラックがあるので練習環境には恵まれている。
 ただ、スポーツ系のコースがあるわけでもなく、スポーツ推薦のような制度もない。部活が入学動機という生徒もおそらくいない。
 強くなる要素は少ないのである。

 陸上部は中高合わせて80人近い大所帯だ。
 トラックに短距離あり中距離あり、フィールドに跳躍あり投てきあり。選手たちは多彩な種目に挑むが、指導者は顧問の須藤剛先生含めて2人である。とてもではないが、つきっきりの指導はできない。
 先生は、今日は主に短距離、明日は主に長距離と、順繰りに見てやるほかないので、選手たちは、強くなるために自主的な練習が求められる。自分の頭で考えることや、自分で自分を律することが求められる。

 顧問の先生へのインタビューを終え、外に出ると、さっそく生徒が近づいてきた。先生が何か言う前に、生徒の方からアドバイスを求めてきた。
 獨協埼玉陸上部01
 生徒は、先生から二言三言アドバイスをもらうと、すぐさま自分の練習に戻って行った。
 これだな。この態度。
 こういう学校で強くなるには、この方法しかない。

 全国の頂点をめざす学校や、行く行くはオリンピックやプロを目指す選手たちから見れば、「ゆる~い部活」と見えるかもしれないが、部活動の価値は一つではない。
 こういうのも一つの生き方なんだと改めて感じた今日の取材であった。
 

スポーツ選手のセカンドキャリアを考える

 女子マラソンの有名選手が万引で捕まったというニュースがあり、それがきっかけでスポーツ選手のセカンドキャリア(引退後の仕事)ということを考えてみた。

 どんなに優れたスポーツ選手でも、いずれ第一線を退かなければならない時がやって来る。そして、その時とは、世間一般から見た場合、まだ若く人生はこれからだという年齢でやって来る。だから、セカンドキャリアということが問題になる。

 指導者や協会役員などでその世界に残る人もいるが僅かである。タレントなどに転身して成功する人もいるがこれも例外的なことだろう。

 多くのスポーツ選手は、引退後の人生を自分で切り拓いて行かなくてはならない。
 だが、競技一筋で来た人が、その競技を離れてどうやって生きて行くというのか。
 そんなの自己責任だろうという考え方もあるが、今までさんざん楽しませてもらったくせにそれではちょっと冷た過ぎるではないか。
 そこで最近では、引退後のスポーツ選手に就職を斡旋したり、再教育の機会を作ったりと、さまざまな支援策がとられるようになった。それはそれで結構なことだ。

 しかし、どんな体制を作ろうが、うまくやって行ける人間と、そうでない人間に分かれるのが世の常である。
 では、その差はどこから生まれるかということである。

 競技ばっかりやっていないで、将来を考えてちゃんと勉強もやっておけよという意見もあって、それには半分は同意できる。しかし、一流になるためには犠牲がともなうものであり、学校の勉強の勉強を犠牲にするぐらいでなければ強くはなれない。

 スポーツには、必ず監督やコーチや師匠といった指導者がいる。おのれの力だけで一流になった選手はいない。
 問題なのは、指導者と選手との関係性ではないか。
 指導者に言われるがままに練習して強くなった選手と、自らも考え、研究して強くなった選手がいる。セカンドキャリアでも成功を収められるのは、指導者の言に耳を傾けつつも、自分自身で考え、研究してきた選手である。

 現役の絶頂期には、自ら目標を設定しなくても、指導者や周囲がそれを与えてくれる。しかし、引退後はそれを自ら設定しなければならない。そこから躓きが始まる。

 さて、結論を急ぐが、引退後にサポートするのも大事だが、現役時代から自立心を持った人間に育てることだ。これは競技において強くなることと両立できるはずだ。学校の勉強との両立は困難だとしても、これならできる。

 引退後のサポート体制をいくら強化しても、結局は、今度はこのレールの上を走りなさいと言っているようなもので、根本的な解決にはならない。
 
 自立型人間に育てること。大事なのはここのところだ。

実戦を経験したほうが強くなるのが早い

 問題集や過去問をどんどん受けなさい。模擬試験もどんどん受けなさい。
 私が学校や塾の先生だったら、間違いなくそういう指導をするだろう。

 私は思い立って長距離を走り始め、それから3か月程度練習して、すぐに大会に出た。これはコーチしてくれた同僚教員のアドバイスでそうしたのだが、もちろん自信なんてまったくなかった。
 「もう少し練習してからのほうがいいんじゃないか」
 当然、そのように言ったのだが、日本代表クラスの一流ランナーだった同僚教員は、私の考えを一蹴した。
 「それじゃあ、いつまで経っても早くならない」

 初めての大会は無残な結果に終わった。
 しかし、この先どういう練習をすればいいかが、大よそ分かった。これは大きな収穫だ。この経験がなければ、私は間違った練習をずっと続けることになっただろう。
 (この話は以前にも書いたはず)

 準備に時間をかけることも大切なのだが、それは、準備の仕方に誤りがない場合である。もしかしたら準備の仕方に誤りがあるかもしれないし、不十分なところがあるかもしれない。
 それを気づかせてくれるのは実戦経験しかないのである。

 準備の仕方、つまり受験勉強の進め方ということであるが、これに誤りや不十分なところがあったとしたら、できるだけ早くそこことに気づき、修正を図る必要がある。
 だから私は、いつまでも素振りやパスばかりやっていないで、敗戦覚悟で過去問に挑んだり、模擬試験に参戦したりすることを勧めるのである。

 夏休みが終われば、受験本番まであと半年。
 敗戦覚悟という言葉を使ったが、本当に勝たなくてはいけないのは、受験本番の1回だけであって、それ以外の練習試合はいくら負けたって、どうってことはない。

 今、自分には何が欠けているか、どうすればもっと強くなれるか。そのことに早く気づいたほうがいいと思う。
 強くなってから実戦を経験するというのは、私からすれば、誤った考え方で、実戦を経験するから強くなるのである。

叡明高校に阿波踊りの練習を見に行く

 越谷レイクタウンの叡明高校に行ってきた。
 地元越谷の夏の大イベント「南越谷阿波踊り」に参加する同校生徒たちが最終リハーサルをするというのでその様子を見に行ったのである。
 
 同校が小松原高校(南浦和)から校名変更し、越谷レイクタウンに引っ越してきたのは2015年(平成27年)のことである。
 開校当初、ちょっとした事件があった。いや、事件というほど大げさなことではないのだが、生徒の通学路のことが問題になった。

 学校側が通学路として想定したのは武蔵野線沿いの道路であろう。校舎は線路沿いにあり正門もその向きに作られている。
 ところが、地元の小学校PTAから、線路沿いの道は児童の通学路となっているから、高校生は別の道を通って欲しいという要望があったらしいのだ。

 高校生が一緒にいたほうが何かと安心なんじゃないか思うのだが、決して広い道ではなないから、小学校PTAの言い分も分からないではない。

 結局、叡明生は駅を降りたらいったん線路から離れ越谷南高校の方向に向かい、やや遠回りになるが東側の門から登校するという形になった。たしかに、こっちの方が道幅も広く歩道から生徒がはみ出すこともないので、叡明生にとっても安全かもしれない。それに時間的にも大した差はない。

 私はこの話を聞いたとき、通学路の一件はともかく、これからこの学校が地域の人々に愛され親しまれる学校になるために何か手助けできないものかと思った。

 その後しばらくして、「南越谷阿波踊り」を全面的に支援してきた地元企業ポラスの方と会う機会があった。浦和レッズのユニフォームの胸のところに大きく「POLUS」と出ているあの会社である。
 雑談の中で、始まってから30年以上経過し日本三大阿波踊りと称されるまでになった「南越谷阿波踊り」だが、後継者が心配だという話を聞いた。大人と小学生の参加はあるのだが、間がスッポリ抜けており、将来に不安があるというのである。

 その時、私の中で、叡明高校と「南越谷阿波踊り」が一本の線でつながった。地域との交流を深めたい叡明高校と、若い世代の参加を望む主催者企業とは、きっと相性がいいに違いない。そう思った。

 私の役割は双方を引き合わせるところまでで、その後の展開は詳しくは分からないが、学校側はすぐさま体制を整え、企業側も指導に入るなど積極的な動きを見せ、昨年夏、叡明高校生を主体とする「連」の初参加となったのである。
 
 というわけで、叡明生の「南越谷阿波踊り」参加は、ちょっと気になることの一つなのである。

 叡明阿波踊り練習

担当部長っていう役職、何だかな~

 担当部長という役職。
 これって何だかな~という話。

 昨日のことだが、TBSの社員が危険ドラッグの見られる液体を知人女性にかけて書類送検されたというニュースがあった。
 この社員の役職が担当部長。

 私の理解では、この担当部長という役職はいわゆる窓際というやつだ。もし私が担当部長という肩書のついた名刺をもらったら、「ああ、部下のいないラインからはずれた部長さんか。決定権も予算執行権も、もしかしたら提案権もないわけね」と考えるだろう。

 同期が出世する中、同い年のベテランを平社員のまま置いておくわけにもいかないので、とりあえず部長とか課長の肩書だけでも付けてやろうという情けというか苦肉の策が担当部長(課長)という役職ではないか。

 似たようなものに「〇〇付」というのもある。社長付、部長付みたいなやつだ。社長や部長の付属品だ。「〇〇代理」なんていうのはいいほうで、「〇〇心得」なんて名刺をもらうと、「あんた、何を心得て仕事してるの?」と聞いてみたくなる。

 それぞれの会社が社内的にどんな役職を設けようとそれは自由だが、私がサラリーマンだったら、「担当〇〇」だの「〇〇付」だの「〇〇心得」なんて名刺は持ち歩きたくないな。役職無しの「〇〇部」とか「〇〇課」にしてほしい。

 こういう中途半端な肩書の名刺を使っている人の気持ちはどんなだろう。サラリーマン経験の短い私にはよく分からない。

ゴルフは性に合わんからやらない

 ゴルフの松山英樹、全米プロ優勝ならず。
 数多くの大会の中で、マスターズ・全米プロ・全米オープン・全英オープンの4大会はメジャーと呼ばれ、これらで勝つことがプロゴルファーにとって最高の栄誉となる。

 松山英樹はまだ24歳の若さだから、そのうち勝つだろう。青木功が1980年全米オープンで帝王ジャック・ニクラスと死闘を演じ2位となったのは38歳のとき。そのニクラスが最後にマスターズに勝ったのが46歳のとき。ゴルフは先の長い競技なのだ。

 ところで。
 私はゴルフというものをやらない。
 人様が楽しくやっているものをけなす趣味はないので、単に自分には合わないという理由でやらない。

 私が中学生か高校生のころ、親父がゴルフを始めた。今思うと、高度成長期で接待ゴルフが盛んになり始めたころであった。
 スポーツというものを一切やらない親父が始めたのを見て、私の中でゴルフは「スポーツではないもの」として分類された。この時点ですでに相性が良くない。

 社会人になって付き合い上やむを得ずゴルフセットを買い何度かコースに出たが、プレー中タバコは吸うわ、昼食時にビールは飲むわで、私の中でゴルフはますます「スポーツではないもの」になって行った。

 これはもう個人の感覚だから仕方ないのだが、私の場合、汗をかき、筋肉や心臓にはげしく負荷をかけないと運動した気にならないのだ。

 そんなわけだから、ゴルフはこの先も見るだけでやることはないだろう。

 それはそうと、石川遼はどうしたんだ。近頃まったく話題にならんな。

本から得た知識の強味とは

 ネットでモノを調べるというのは、私たちの世代にとって、つい最近の習慣である。
 官公庁や企業の情報公開が進んだことと相俟って、さほど苦労することなく、かつ迅速に必要な知識や情報を収集できるようになった。

 私がパソコンや携帯を手にしたのは、40代も後半に入ってからであるが、では、それまではどうしていたか。
 新聞やテレビも情報源の一つではあるが、仕事に必要な知識は、もっぱら本(書籍)から仕入れた。

 読書によって仕入れた知識の強みは、それが体系化されていることである。
 ある事柄について書かれた本を数冊読めば、全体像が分かり、個々の知識の重要度や、知識相互の相関も分かる。
 ネットの場合、当面必要な知識にピンポイントでたどり着けるという利点があるが、知識のつまみ食いになる恐れがあり、全体像がつかみにくい。

 今は学校でも、インターネットを使って調べ物をする方法などを教えているが、子どもたちは、パソコンや携帯などが十分に普及してから育ったのであるから、むしろ学校で教えるべきは、本から知識を吸収するという、古典的な手法なのかもしれない。

 私は、学校の施設を見学させてもらう場合、できるだけ図書館をはずさないようにしている。
 案内する先生は、生徒たちが自習している様を見せたがるが、私の興味はそこにはない。
 蔵書の分類などは一定のルールに則っているので、どこも似たようなものだが、有能な図書館司書や担当教諭がいる学校では、時々の話題や学校行事、あるいは授業進度に合わせて、特設コーナーなどを設けて、生徒の調べ学習を手助けしている。

 最近は図書館の運営管理を外部委託する自治体も増えており、サービスの向上や経費削減という面では効果を上げているようだ。いずれ学校図書館にもこの波は押し寄せるかもしれない。

 しかし、どちらにしても、「知の拠点としての学校図書館」の重要性は、ネット全盛の今だからこそ高まることはあっても、低くなることはないと考えている。

 世間からはあまり注目されない部門であるが、私は結構注目しておるぞ。