臨時休校、伝える手段がなかった時代はどうしたか

 「カーナビゲーション」ならぬ「勘(カン)ナビゲーション」、略して「勘ナビ」。

 カーナビは、到着予定時間を割り出してくれるし、渋滞情報も伝えてくれるなど大変便利である。が、便利過ぎるので、ついついそれに頼り切ってしまう。
 結果、道が覚えられない。
 もしかしたら、判断力なんかも衰えてしまうかもしれない。そこで、時にはあえて「勘ナビ」に頼ってみる。

 明日は台風の影響で埼玉県を含む関東地方では臨時休校となる学校が多い。
 先週末の段階で早々と決めた学校もあるし、昨日、今日、ホームページ上で伝えている学校もある。

 昔、そういう便利なものがなかった。
 学校側は、生徒にどうやって学校があるかどうかを伝えたか。
 伝えない。
 だって、方法がないんだから。

 生徒は、あるいは親は自分で判断する。
 たぶん、やってんじゃないのと思ったら、行ってみる。どうせ休みだろうと思ったら行かない。危ないなと思ったら行かないし、何とかなりそうなら行ってみる。
 
 今は、生徒が自分で判断する必要はない。
 学校が決めてくれる。それが当然だと誰もが考えている。
 昔、そうしなかったのは手段がなかったからであって、手段があれば昔の学校だってそうしただろう。

 だからこれはこれでいいのだが、危険から身を守るために、与えられた情報を頼りに自ら判断し行動するという力は、昔の人間の方が鍛えられていたかもしれない。

 私は昔の人間なので、便利な機械に頼りきりになって、以前持っていたはずの本能的な力みたいなものが、だんだん失われて行くことに不安を覚えるのである。

 カーナビぶっこわれても何とか目的地にたどり着けるぜとか、停電でテレビやパソコンが使えなくたってどうにかなるぜとか。
 そういう力を身につけておくのも大事なことじゃないかと思う。

もうタブレット導入だけじゃ誰も驚かない

 「授業にタブレット(iPadなど)を導入しています」
 などと言うと、世間の人が「おっ、進んだ教育をしている学校じゃないか」と思ってくれたのは、つい2、3年前までだ。電子黒板などもそう。

 が、世の中の変化は激しく、今やタブレット導入くらいでは、誰も驚かなくなった。

 私は昨日、NTTドコモが主催する「教育ICTセミナー」というものに出席してきたのだが、講師を務められた松原和之氏(コアネット教育総合研究所長)、加藤友信先生(開智未来高校教頭)、平井聡一郎氏(情報通信総合研究所特別研究員)のお三方は皆、「タブレットを導入したからといって生徒が集まるわけじゃありませんよ」と仰っていた。私もそう思う。

 というわけだから、まだ導入していない学校は、単に他校に後れをとっているとか、このままじゃ生徒募集に不利だという理由だけで、あわててタブレットを導入することは止めよう。

 これも前記お三方の共通認識だと思うが、大事なのはICTをどのように教育改革に結びつけて行くかということだ。

 どういう教育をしたいのか。どういう生徒を育てたいのか。
 学校は常にそのことを問い続けなければならない。
 この大命題の前では、タブレットを導入しようかどうかなんてどうでもいい問題である。

 が、一方で、こうも考える。
 大昔の教員である私から見ると、今の先生方がうらやましい。私らが、とてつもない時間をかけて作成していた資料や教材が一瞬にして準備できる。たった1枚の写真を生徒に見せるのにどれだけ大変な思いをしたことか。

 教育機器は便利である。昔ならやりたくてもできなかった指導を可能にしてくれる。だから、これを使わない手はない。
 そういう意味では、まずは導入しよう、使ってみようという考え方もあながち間違えとは言えない。議論ばかりしていても先には進まない。

 ICTを活用して、どのように教育の質を高めて行くか。
 この軸足がぶれては行けない。私立学校には、その上で、積極的に教育機器の導入を図ってもらいたいものである。

1票の重みに不満残るが、投票しないことには

 昔、不在者投票。今、期日前投票。
 日曜日は仕事ありなので、浦和駅前のパルコに行き期日前投票をしてきた。

 将来は、ネットで投票できるようになる。
 今すぐにでも実現できそうだが、PCやスマホが苦手な人もいる。
 人件費などは大いに削減できるが、セキュリティ上の問題が未解決である。今でもアカウントが乗っ取られたりしているではないか。
 ハッカーが侵入したらどうする。他国や、特定の集団や個人によって内容が操作されたら大変だ。自分が誰に投票したかが公開されたらどうする。
 と、心配の種は尽きず、しばらくは昔ながらの方法に頼るしかない。

 選挙の度に問題になる「一票の格差」。
 人口と議員定数のアンバランス。
 自分の1票は、はたしてどのくらいの価値があるかと調べていたら、こんなサイトが見つかった。
 どこまで信頼性があるのか分からないが、試しにやってみよう。

 「一人一票実現国民会議」のサイトへ
 ↑こちらをクリック
 
  0.5票と出た。
 そんなもんかもしれないな。
 世間の人からは埼玉は田舎だと思われているが、人口730万人は、東京・神奈川・大阪・愛知に次いで全国第5位なのだ。

 地域間格差とともに考えなくてはならないのは世代間格差だ。
 人口に占める高齢者の割合が増加しているため、20代、30代の意見が政治に反映しにくいシステムになっている。
 年寄り向けの政策を主張するA候補と、若者向けの政策を主張するB候補では、人口の多くを占める年寄りの支持が得やすいA候補の方が、有利になるかもしれない。

 若者の1票は、1.5票とか2票とかにカウントできればいいのだが、1人1票というのが現行選挙制度の大原則なので、そうはいかない。

 ということで、高校生・大学生諸君。
 とりあえず投票に行ったほうがいい。
 ただでさえ劣勢なのだから、投票に行って、よりましだと思う候補や政党に投票しないと、事態はますます悪くなってしまうぞ。


こんな勉強役に立つんですかと問われたら

 何のために勉強するか?
 と、生徒に聞かれたらどう答えるか。

 これが受験勉強であれば簡単だ。
 志望校に合格するため。終了。
 これ覚えておけよ。入試に出るから。ハイ!

 そうじゃなくて、勉強一般となると、年端の行かない子供らに納得行く説明をするのは難しい。
 小学生ぐらいだと、そもそもそういう疑問を持たないし、大学生ぐらいになればちょっとは世の中のことも分かってくるが、その中間に位置する中高生に、勉強の意味を納得させるのは難しい。

 私は高校教員の経験があるわけだが、高校生はまだいい。真に理解したかどうかは分からないが、何となくその場は納得させることができる。だが、中学生はどうなんだろう。経験がないのでよく分からない。

 調理実習なんて意味あるんですか。
 マラソン走ってどうするんですか。
 公式覚えて役に立つんですか。
 人名知っててどこかで使えるんですか。

 なんだよ。オマエらやりたくねえこと挙げてるだけじゃねえか。
 と、思いつつ、ここは教員のプライドにかけてバシッと言ってやらなければいかん。

 そうだな。たしかに学校で習ったことの多くは、将来使わないかもしれない。ただ、何が必要で何が不必要かは、残念だが、現時点では分からない。
 しかし、どうしても必要、不必要を今ここで分けたいというなら、一つ方法がある。
 可能性を排除することだ。または、あきらめる覚悟を持つことだ。

 自分はそういう知識や技術を必要とする職業には断じてつかないと、今決めればいいのだ。これはやらない、あれもやらないと、どんどん可能性を消して行くことだ。できるだけ消して行って、そして、残ったことだけやればいい。楽だぞ。

 ところが、世の中何が起きるか分からない。要らないと思った知識や技術が、突如求められることがある。
 あわててやるか。
 まあ、それでもいいが。後でやるのは時間も金もかかりすぎるし、世の中そんなにノンビリ動いているわけじゃない。自分の都合に合わせて待ってはくれないんだ。
 そこで必要なのは、あきらめだ。

 さあ、どうだ。
 自分の可能性をどんどん排除して行って、いざというときはあきらめる覚悟があれば、明日から学校に来なくたっていいくらいだ。

 以上は、高校生バージョン(比較的レベルの高い生徒向け)なのだが、使えるかな?

問題児は親も問題なんだがそれを言ったらお仕舞だ

 学校の先生やってりゃ、いろんな生徒とめぐり会う。
 だけでなく、いろんな親とも遭遇する。

 この親にしてこの子ありなどと言うが、生徒指導上の問題を起こした生徒の親に会ってみると、なるほどそういうことだったのかと合点が行くことがしばしばある。
 
 わが子可愛さは分かるが、担任を交代させろだの、転勤(異動)させろだの、理不尽な要求をされた経験のある先生は少なくないだろう。
 うちの子は他と違うんだからと、学校のルールの適用から外せなどという要求は、しょっちゅうだ。

 とにかく非常識なんだな。
 息子(娘)がこんなになったのは、あんた(親)がそういうふうに育てたからなんじゃねえの。と、言いたいのは山々だが、すんでのところでこらえる。
 まったく。
 生徒の指導は仕事だからどこまでもやるが、親の指導の分まで給料もらっちゃいねえぞ。

 以上。若く血気盛んなころの話。

 今はどうか。
 子どもたちは、いろんな環境の中に育ってきている。親の考え方。価値観もさまざまだ。学校や教員は、それを所与のものとして、まず受け入れなくてはならない。
 学校や先生の指導はそこからスタートする。今さらやり直しはきかないのだ。

 子どもたちが何か学校で問題を起こしたとして、それを親や家庭の責任に帰そうとするのは、教員としての敗北である。

 教育の力。
 もし、先生方がそこに信を置いているなら、育った環境をとやかく言うべきではない。どんな家庭に育ったどんな子どもであっても、まっとうな人間に育てあげるのが先生の使命というものだ。

 ただ、先生だってごく普通の人間だからね。
 とんでもない親や、そこから生まれたとんでもない子どもをどう導くかなんてことは、大学じゃあ教えてくれないわけだし。
 特に若い先生は、全部一人でしょい込もうとしたら自分がつぶれる。

 自分がやる。
 その心意気は結構だが、教育、とりわけ学校教育ってものは、組織の力、チームワークでやるものだっていうことを忘れちゃいけない。