明日は臨時休業でいいかな

 明日は近所にある調神社(つきじんじゃ:通称つきのみや)の酉の市だ。「十二日町」と呼ばれ、毎年12月12日に開かれる。約15万人の人出があるとか。

 わが事務所前の旧中山道は交通規制がかかり歩行者専用となる。一千店を数える出店で道路は占領され、事務所への出入りもままならない。神社近くに駐車場を借りているが、車の出し入れは不可能。

 いっそ明日は休みにするか。
 今度の土日は仕事が入っているし、一日ぐらい休んだってバチは当たらんだろう。
 というようなことが好き勝手に決められるのが「ほぼお一人様企業」のいいところである。

 自由でいいなと思われるかもしれないが、自分が病気や怪我で働けなくなれば、ただちに収入はゼロとなる。誰かが代わりに稼いでくれるということはない。
 おまけに、事務所を借りるんでも、リース機器を借りるんでも、もちろん銀行から融資を受けるんでも、すべて連帯保証人というものになっているから、会社として支払い不能になれば、すべて個人にのしかかってくる。早い話、全財産(と言ってもほとんどないが)を失うことになる。
 自由気ままの対価は意外と大きいのである。

 私は組織というものに敬意を表している。偉大なものだと思う。
 企業にしても、学校にしても、組織だからこそ大きな仕事ができるのであり、世のため人のため、より大きな貢献ができるのである。

 組織故の難しさ、組織の一員だからこそのストレスはあるだろう。しかしそれは、安定した収入と、より大きな社会貢献のために支払わなければならない対価である。我慢しなさい。

 組織は偉大であるけれど万能ではない。
 大きな組織は、その図体が大きいが故に、小さな市場に入って来られない。この場合、小さな市場とは、大きな売り上げや利益が見込まれないという意味である。大きな価値を感じている人がいるにはいるが、ただその数が少ないという市場に大きな組織は入って来られない。

 私の知り合いに、いわゆる個人塾の塾長先生が多いが、かれらのほとんどは、そのように価値はあるが規模は大きくないという市場に目を向けた人たちである。世の中に価値を提供するという意味においては、大きな塾と変わることはない。
 
 大きくならないとできないことがある。一方、大きくなってしまうとできなくなることがある。
 私は、テレビ番組などを通じて大きな塾とお付き合いがあるが、小さな個人塾とのお付き合いも大事にしている。
 一体、どっちの味方なんだ。
 と、陰口をたたく人もいるようだが、それぞれが世の中に必要な別々の価値を提供しているんだから、両方を応援したっていいだろう。少なくとも私の中では、矛盾なく両立している。

人間には容姿よりも大事なことがある

 これはいかんだろう。
 一発レッド退場。

 北本市の市立中学校男性教諭(28)がツイッターで同校の男子生徒に成り済まし、「顔で損してるよな」などと女子生徒の容姿を中傷する書き込みをしていた。ツイッター画像には、他にも「あの体型、あの嫌われようでよく学校来れると思う」と女子生徒を中傷する内容や、一部わいせつな内容の書き込みもあった。

 懲戒免職(ちょうかいめんしょく)ものだが、まだ若いし、依願退職にしてやってもいい。どっちにしても教員には向いてないから、別の仕事探しなさい。

 百歩譲って、いや一万歩ぐらい譲って、教室で言ったのならまだ救いがある。もちろん生徒から大反撃食らって、親にも知れて結局は新聞ネタになるというのは同じだが、そこまで堂々と言ったなら、ある種アッパレではある。ことによっては、その場で「ゴメン、言い過ぎた」「今の発言は撤回する」という展開になることだって考えられなくはない。

 しかし、今回のやり方はあまりにも姑息ではないか。陰湿ではないか。私が教員に向いていないというのはここのところだ。盗撮なんぞをやらかさないうちに辞めてもらったほうがいい。

 思春期の子供たちは容姿を特に気にする。かれらは成長するにしたがって、自分自身を見つめるようになるのだが、最初は外見から入って、だんだんと内面に目を向けるようになる。一応そういう順番になっている。
 まあ、容姿をことさら気にするっていうのも成長の一過程ということだ。

 逆に言えば、いい年して容姿のことばかり気にするのは、人間として未熟だということだ。いい加減大人になれよ。

 「あいつ男前だけど、頭スッカスカ」
 「あの娘美人だけど、性格最悪」
 これ、思いっきり悪口。ほぼ軽蔑。

 「あいつ秀才だけど、悲しいかな醜男」
 「あの娘頭キレッキレだけど、残念、ブサイク」
 これもまあ、悪口には違いないが、見下してる感はない。私にはそう思える。
 つまり、容姿は人間にとって一番重要なことではない。

 人間の価値とは何によって決まるのか。
 そういうことをボチボチと気長に教えて行く。先生の大事な仕事だね。

 それにしても件の先生、「中学生の考えを知りたかった」だと。
 大学で教育心理学とか勉強しなかったのかよ。

年老いたので、年賀状廃し人間関係を整理する

 今年は年賀はがきを買っていない。
 出す気がなからだ。

 来年は67歳になる。
 今さら人間関係を広げようという年齢じゃない。維持する必要もない。むしろ縮小すべきなのだ。若い時のように、あっちもこっちも付き合っていたのでは体がもたないし、金も続かない。
 仲間も少しずつ向こうの世界に行き始めていることだし、そろそろ、いろんなものを整理して身軽になろう。

 念を押すが、別に年賀状に意味がないとか、そんなものはやめるべきだと言っているわけではない。私には必要なくなってきたというだけの話だ。私より若い世代の方は、どんどんおやりになればよろしい。
 また、年をとってもまだまだ人間関係を広げたいとか、いろんな活動にチャレンジしたいという方は、その方の人生観なので、私にとやかく言う権利はない。

 こちらが出さなくても向こうから来るのはどうするか。
 数年経てば、「せっかく出しているのに返事すら寄こさないなんて失礼なやつだ」と怒り、出してこなくなるだろう。向こうも何となく惰性で続けていて、むしろ好都合と思ってくれる人もいるかもしれない。
 
 最近は、紙の年賀状ではなくSNSを利用する人がどんどん増えている。
 ラインで来たら、ポチっとスタンプ押して返しておこう。フェイスブックやツイッターは「いいね!」をポチっ。メールもとりあえず返信。あと、ブログはもちろん年中無休。これだけでも十分過ぎる人間関係だ。

彼氏(彼女)と同じ高校に行きたい、それもいいだろう

 「But love is blind, and lovers cannot see the pretty follies that themselves commit.」
 Shakespear(シェイクスピア)の「The Merchant of Venice(ベニスの商人)」の一節。
 Folly(愚かなこと、愚行)がちょっと難しいが、何とか中学生でも訳せそうだ。
 「しかし、恋は盲目であり、恋人たちは自らの愚行に気づかない」

 「何だよ。要するに彼氏(彼女)と同じ学校に行きたいってことじゃないか。それならそうと早く言えよ」
 学校や塾の先生だったら、一度や二度こんな生徒に出くわしたことがあるんじゃないか。彼氏彼女ではなくとも「誰ちゃんと離れたくないから」みたいなやつ。
 
 困ったね。
 先生方、こういう場合、どうやって指導するの?
 自身に同じ体験があればいいけど、そんなのないでしょう。
 
 浦高と浦和一女だと別々になっちゃうから大宮にしよう。
 って、これはリスク有り過ぎ。
 もっと難易度下げないと実現の見込みがない。それで、どっちか一方が志望校レベルを下げる。
 しかし、これは先生という立場上容認できない。
 「そんなんで志望校決めちゃダメなんだよ」

 これが普通の状態だったら、「はい、分かりました」となるのだが、なにせ相手は「Blind(盲目)」だ。理よりも情が勝っているやつに理詰めの説得は不可能だ。

 「別々の高校に行ったって、家は近いんだからいつでも会えるじゃないか。ラインで一日中つながっていられるし」
 なんて言っても効き目ないな。だっていつも一緒にいたいんだから。いつも見えるところにいて欲しいんだから。

 高校教員経験者として言えば、高校に入って来ると、むしろ別の中学校から来た連中に目が向くみたいで、中学時代の仲間やグループは自然に解消して行くものなんだけどね。彼氏と彼女の関係もそう。
 しかしこれも「オマエらそのうち別れるぞ」と言っているみたいで、効き目は無さそう。

 分かった。一緒の学校に行きたいというならそれでもいい。これからも仲良くやりなさい。
 で、それはそれとして、勉強の方はどうすんの? 部活は? 将来の希望は?
 つまりだな、彼氏(彼女)と一緒にいたいというのは、その学校を選んだ理由であって、高校に入る理由にはなっていないんだよ。高校生になる理由と言ってもいいかな。これは、彼氏(彼女)がいようがいまいが関係なしに必要なものなんだよ。だから、そっちも考えようじゃないか。

 まあこれで冷静になって考えを改める生徒がいるかもしれないが、たぶん変わらんだろう。それは仕方ないことだ。

大学改革に必要なのは入試だけではない

 大学には「教育力」が求められる。が、これは小中高でも一緒だ。
 小中高にはなくて大学のみに求められるのは「研究力」である。

 本来は「研究力」あっての大学なのだが、どうも近頃は「教育力」ばかりが求められる。これはつまり、大学の「小中高校化」である。

 たとえば、大学がいい会社に就職させますと言っているのは、高校がいい大学に合格させますと言っているのと同じだ。
 進路指導部、すなわち就職指導部の次に来るのは生徒指導部だ。大学生は生徒とは呼ばないから学生指導部か。
 そのうち頭髪・服装検査や持ち物検査が始まることだろう。

 昔、小学校で獲得していた知識や技能が中学校に先送りされ、中学校のものが高校へ、高校のものが大学へと順送りになり、結果、大学が最後のツケを払う羽目になった。
 現在の大学入試改革を考える際には、こうした視点も欠かせないのではないか。
 ちゃんとやることやってから大学に来いよ。

 その気持ち分からんでもない。
 好きな研究に打ち込めると思って大学教授になったのに、補習はやらなきゃいかん、学生募集のために高校を回らなきゃいかん、下手したら保護者面談までさせられる。これじゃあ高校教員と変わらんじゃないか。一体、いつ研究するんだよ。

 しかし、大学教授の本当の災難は、まだこれからだ。国は授業料をタダにして誰でも大学に入れるようにしようとしているのだ。大学の「小中高校化」はこれからなんだよ。好きな研究なんて夢のまた夢だ。

 現在進められている大学入試改革は、「大学教育を変えましょう」、「高校教育も変えましょう」、「ならば、この二つを接続する大学入試も合わせて変えましょう」というものだ。
 中央教育審議会の答申ではこれを「新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革」と言っている。

 「教育を変えましょう」だけだったら、これほど世間の耳目を集めることはなかったと思うが、「大学入試も変えましょう」となると、注目度は一気に高騰する。

 入試はたしかに切実な問題ではあるわけだが、文部科学省の大学改革プランの中には、「大学教育の質的転換と大学入試改革」と並んで、「研究力強化:世界的な研究成果とイノベーションの創出」というのもあるわけで、ここにももう少し注目が集まってもいいように思う。

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梅野弘之

Author:梅野弘之
受験生・保護者の皆さん、学校や塾の先生方に最新情報をお届けします。ただし、結構頻繁に受験と無関係の話も。

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