埼玉の私立も頑張っておるぞ

 東京大学の前期試験合格発表があった。

 全国トップレベルの学校とは比較にもならないが、埼玉の私立もよく頑張っている。
 開智一貫部9人。栄東8人。この両校はここ数年安定して10人前後の合格者を出している。
 他に、城北埼玉・本庄東・大宮開成・川越東・春日部共栄・昌平・開智高等部・開智未来などからも1~2人の合格者が出ている。(各校ホームページから得た情報)

 まあ、いろいろと難癖をつける人はいるだろうね。

 東大の定員(合格者)は今も昔も約3000人。少子化が進んだ結果、受験生の数が半分ぐらいになっているから、たしかに昔より入りやすくなっているのは確かだ。しかし、これは全国的に言えることで、埼玉の私立だけに当てはまるものではない。
 早稲田だって慶応だって、入りやすくなっている。
 しかし、「公立王国・埼玉」において、その独占状態を崩したというところに意味があるのだ。つまり、入りやすくなった東大や早稲田や慶応に受かるのが、公立だけじゃないという点が、今までと違うのだ。

 私立の実績は中高一貫教育の結果であるという人がいる。そうかもしれない。いや、その通りだろう。しかし、いまや公立の中高一貫校も珍しくない。公立関係者からは「こっちは3年、向こうは6年」などという声を聞くが、6年がいいと思うなら、公立もそうすればいいではないか。昔と違って、それを阻むものはないのだから。

 私立は部活や学校行事を犠牲にして、受験に特化している。
 たしかに、これは一面の事実である。しかし、私立の先生だって、そういった教科外活動の重要性を知らないわけじゃない。
 「勉強以外のことも頑張らせようじゃないか」。少なくとも、方向性だけはそっちに向いていることは知っておいたほうがいい。私は数字だけを見て言っているのではない。授業を見て、部活や行事も見て、先生方と語り合った上で言っているのだ。

 創立30年か40年という学校が多い埼玉の私立は、まだまだ多くの課題をかかえている。当たり前じゃないか。

 今日も仕事の関係で某私立高校にほぼ一日中いた。授業も見た。部活も見た。球技大会も見た。
 普通だよ。
 先生たちの生徒に対する思いには、公立と私立の別はないね。
 
 公立落ちて、私立に行くことになった諸君。心配ない。

真の勝者となるために

 不合格だった人への慰めの言葉はすでに書いたが、もう一度言おう。
 自力で立て直して来い。待ってるぞ。

 今日は合格者への祝福の言葉。(もしかしたら、ただのお説教)
 キミたちはまだ真の勝者にはなっていない。

 同じ入試を戦い、不運にも不合格となった仲間たちに対し、敬意をもって接することができるか。同情とか憐みではないぞ。尊敬。リスペクトだ。
 今日この日の結果は、たまたまのものである。別の日に別の問題で試験をやったら、今日とは異なる結果になったかもしれない。入試とはそういうものだ。
 勘違いするなよ。天下を取ったような気分になってるんじゃない。

 応援してくれた人に感謝したか。言葉にしなくても、そういう気持ちを持ったか。
 間違っても自分の実力だけで受かったと思うなよ。
 世の中に、おのれ一人でできることなんて何もない。これから先も、助けたり助けられたりしながら生きて行くんだ。

 落ちた仲間たちにも敬意を払い、応援してくれた両親や先生に感謝したとき。
 その時初めて、キミたちは真の勝者になるのだ。

静かに浦高の発表を見てきた

 予定通り浦高の合格発表を見に行った。
 京浜東北線が遅れているとの情報があったので、早めに会社を出たが、心配したほどの遅れではなく早く着き過ぎてしまった。
 校門前では例によって塾・予備校関係者がビラ配りをしていた。

 ここ3年ほどは会社から近い浦和一女に行っていたが、やはり女子校と男子校では雰囲気がまったく違う。
 親子で来る生徒は少ない。友達と一緒というのもそれほど多くない。一人で来る。そして黙って待つ。

 予定の9時に合格者の番号が掲示される。
 一瞬だけウオッーと歓声が上がったが、それもすぐに止んだ。互いに手を取り合って喜ぶ姿なんて全然ない。
 テレビ埼玉やJCOMが取材に来ていたが、感動シーンを撮るのに苦労しただろうな。共学校に取材に行ったほうが良かったんじゃないかな。
 
 そうそう、合格者は募集定員360人に対し、プラス16人の376人だった。結構な大盤振る舞い。
 杉山剛士校長の姿が見えたので、ちょっとご挨拶。
 「今年は点数上がったでしょう」と聞いてみるが、この場面で、こんな質問に軽はずみに答える人じゃない。聞くだけ野暮というものだ。

 帰りがけに北浦和にある「雄飛会」という塾に寄ってみた。小規模な塾だが、浦高専門を謳うだけに精鋭ぞろいだ。塾長の一柳先生は浦高OB。UPテストもずっと受けてくれている。私が行ったときには、浦高合格者が2人報告に来ていた。さらに帰りがけに大宮高校合格者がやって来た。これはすごい。

 ということで、本日の第一弾はここまで。
 
2015浦高合格発表

あらかじめ慰めの言葉

 明日、不合格だった人のために、あらかじめ慰めの言葉を用意しておこう。
 と、思ったのであるが、なかなか適切な言葉が見つからない。
 
 「残念だったな」
 でも、一番残念なのは本人だしな。

 「運が悪かったんだ」
 それも確かにあるんだが、大部分は実力だからな。

 「次の機会にがんばればいい」
 もう高校入試は二度とないよ。そうだよな。

 という具合で、どれも慰めにはなってない。
 いざという場面で、言葉というものは案外無力なものである。

 「自力で立ち直れ。待ってるぜ」
 落ちたその場で言う言葉じゃないし、慰めというより、励ましだな。
 でも、これが私の中では一番しっくり来る言葉だ。
 悔やむだけ悔やんで、落ち込むだけ落ち込んで、さあ、そこから自力で立て直して来い。

 ちょっと難しい話になるが、人間の価値というのは、瞬間的な結果だけで決まるものではないのだよ。
 合格したからって、落ちた人を馬鹿にしたり、世話になった人たちに感謝の言葉ひとつ言えないやつは、人間のクズだろう。反対に、自分は不合格であっても、合格した人にお祝いの一言でも言えるようなら立派だ。どころか、尊敬に値する。

 つまり、人間の価値というのは、結果それ自体よりも、その受け止め方で決まるんだな。
 自分の望まない結果に終わったとしても、事実は事実として受け止め、そこから、もう一度自力で立て直して来るのが、価値ある人間というものなんだよ。
 
 

明日は合格発表、久しぶりに浦高行ってみよう

 埼玉県公立高校入試。いよいよ明日が合格発表。
 正式には「入学許可候補者」の発表という。昔からそうだ。

 かつては発表する側にいたわけだが、ガックリと肩を落としている子を見ると、何だか申し訳ないことをしたみたいでね。あまり気分の良いものではなかった。でもその反面、受かって喜んでいる子を見ると、4月からこの子たちを教えるんだと前向きな気持ちにもなれた。
「おまえら、無邪気に喜んでられるのも今のうちだけだからな。入学したら俺が担任だ。覚悟しやがれ」。

 若い人は知らないと思うが、昔は(つまり私が受験生だった頃は)、氏名を貼りだしていたんだ。埼玉新聞にも、全高校の合格者氏名が載った。今じゃ考えられないことだ。まあ、当時は個人情報なんて言葉もなかったからね。
 発表を見に行く途中、同級生が「受かった、受かった」と大喜びで走ってきて、すれ違いざまに「お前も受かってたぞ」って、この野郎、先に結果言うんじゃねえ。緊張感なくすじゃねえか。
 というのは、遠い昔の話。

 明日は久しぶりに浦高の発表を見に行くことにしよう。