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通知表、「5」に上限なく「1」に下限なし

 通知表で「5」をもらってくる生徒。
 完璧?
 いや、そうではあるまい。
 物差しの目盛りが「5」までしかないから、「5」と表しているだけで、本当は「6」の子も「7」の子も「8」の子もいるわけである。

 テストの100点も同じこと。
 A君100点=B君100点。
 物差しの目盛りが100点までしかないから、その先の力の違いは分からない。

 たとえば漢字のテスト。
 全部読めて書ければ100点。読めて書けて意味が言えても100点。

 私立でも公立でも、最上位校に入ってくる子はみんな、通知表なら「5」、テストなら100点、偏差値なら70以上。
 では、みんな同じ実力か?
 実はそうではないのだが、ここを本人も親も誤解しがち。

 入試や模試の物差しが「5」まで、あるいは100点までしかないのは仕方ないが、塾長先生は、その先の「6」も「7」も「8」も、あるいは120点も150点も、正確に測れる物差しを持っていなければならない。

 公立中学校では、「5」の子を「6」や「7」や「8」まで伸ばす指導はできない。中学校の先生方が、そういう物差しを持たないのではなく、現行のシステム上、それができない。
 
 塾のビジネスモデルは、「3」の子を「4」に、「4」の子を「5」にと、ワンランク上げてあげる指導が前提で成り立っている。
 市場の大きさを考えれば、それでいいわけだが、「5」の子を「6」や「7」や「8」にというニーズがないわけじゃない。ただ、市場としてのスケールが小さい。

 本人がちょっとでも興味を示したら、教科書や入試問題にとらわれることなく、先の先まで教えてあげる。
 個人的には、そういうのをやってみたいと思うが、思い付きで教えるんじゃなく、自分自身が正確な物差しを持ち、それを基準に教えなければならない。
 ただ知っていることを教えればいいなら楽だが、そうじゃないところが難しい。

さあ夏だ、ブルーオーシャンを探そう

 20180713海

 青い海。
 ブルーオーシャンのお話。

 ご存知の方も多いと思うが、ブルーオーシャンとはマーケティング用語で競争のない市場。
 これに対し、競争の激しい市場はレッドオーシャン。血で血を洗う激しい競争の世界。

 ブルーオーシャンは、誰もいない海だから、新たに生み出した価値が人々に受け入れられたら、一人勝ちとなる。 
 さあ、ブルーオーシャンを探そう。

 ブルーオーシャンの教科書では、何かを「増やす」「付け加える」と同時に、「減らす」「取り除く」ことにより、高付加価値と低コストを実現するものだと教えている。
 「増やす」「付け加える」で高付加価値を実現。
 「減らす」「取り除く」で低コストを実現。
 両立は難しそうだ。

 ブルーオーシャンの事例で取り上げられる「シルク・ドゥ・ソレイユ」は、斜陽と言われたサーカス業界で成功を収めた。
 「取り除く」=動物を使わない
 「付け加える」=芸術性・テーマ性

 動物が出てこないなんて、それじゃサーカスって言えないでしょ。たぶん、みんな最初はそう思った。
 でも、動物見たいなら動物園行けばいいでしょう。なるほど、それもそうだ。
 子供じゃなく、大人相手にしましょう。
 ちょっと待って、昔からサーカスは子供が見るもんでしょう。
 だから、われわれは大人向けにしましょう。
 大人が満足する高い芸術性とパフォーマンスで勝負しましょう。
 かくして、サーカスから始まり、サーカスを超えた新しいエンタテインメントが誕生、といったところか。
 
 ブルーオーシャン戦略は万能ではない。競争回避でもない。
 誰かがブルーオーシャンを発見すると、必ず追随する者が現れる。つまり新規参入は阻止できず、やがてブルーオーシャンはレッドオーシャンになる。競争優位を持続するには、レッドオーシャンでも勝ち抜けるだけの体力と知恵が必要だ。


 と、ここまで書いてきて思ったのだが、塾業界(特に個人塾業界)の方々は、もう少し「取り除く」を考えたほうがいいかもしれない。
 いろんなサービスやり過ぎでしょう。大手がやってるから、他もやってるからと、商品ありすぎサービス過剰。
 もちろん、それが価値を生み出し(ということは売り上げが上がり)、かつ低コストを実現していれば何の問題もないのだが、そうでないならば、「取り除く」あるいは「減らす」発想に立ち、その分、新しいことを「増やす」「付け加える」方向を模索したらどうか。
 きっとどこかにブルーオーシャンはある。

学校より塾が分かりやすいのは当然なのだ

 「学校の先生より塾の先生の方が分かりやすい」。

 中学生は上手なお世辞など言えないから、これはたぶん本音である。
 これを聞いた塾の先生は、日頃の研鑽の賜物であるから、ちょっとは胸を張っていい。だが、「どうだ、参ったか。こっちが上だ」などと、己を過信してはいけない。なぜなら、学校の授業と、塾の授業とでは条件が違い過ぎるからだ。同じ条件下で授業をした場合に、それでもやっぱり「学校の先生より塾の先生の方が分かりやすい」と言わせられれば本物だ。

 学校の授業が分かりにくいのは、授業のスピード(授業の進度)を調整できないからである。
 教員経験を積めば、「連中うなずいてるけどわかってないな」ということぐらいすぐに見抜ける。見抜いたら、ちょっと立ち止まるとか、少し前にさかのぼるとかしてやれば、分からせることはできる。学校の先生はそのぐらいのスキルは当然ながら持っているのである。
 では、なぜそうしないかというと、学校の授業には学習指導要領による縛りがあるからだ。教える内容、教え方、教える順番などは、この制約の下にあるのだ。個々の教員の裁量など事実上ないに等しい。
 全体の進度を考えれば、理解不十分な生徒がいても、不本意ながら先に進めざるを得ないのである。

 学校のクラスには、100点満点のテストで90点以上取れる生徒から、10点も取れない生徒が混在している。教える側としては、大変困難な状況だ。
 これも、一定数の「分からない生徒」が出現してしまう原因だ。

 というわけで、「学校の先生より塾の先生の方が分かりやすい」のは、個々の先生の力量がどうこうよりも、制度やシステムに問題があるからである。
 
 だったら、変えればいいじゃない。
 その通りなんだが、それがさっさと出来ないのが、今の公教育なのである。

 こんな言い方をすると、塾の先生方は気分を悪くされるかもしれないが、私に言わせれば「学校の先生より塾の先生の方が分かりやすい」なんてことは、当たり前の話なのである。
 その程度で喜んでいないで、「分かりやすい」のもっと先を目指してもらいたいものである。

現状維持と言って自分を誤魔化してはいけない

 現状維持は凋落の始まりである。

 いま仮に、塾生数50人の塾があったとする。
 翌年48人になった。対前年比96%、たった2人の減少だ。直ちに自分や先生たちの給料を減らすような一大事ではない。「まあまあ、現状維持かな」と自分を納得させる。
 さらに翌年、46人になった。前年の48人を基準にすれば、やはり対前年比96%で、「まあまあ、現状維持かな」とここでも自らを納得させる。
 というようなことを5年続けると、塾生数は40人になる。ここまで来れば、経営体制を見直す必要が出てくるだろう。

 1人でも2人でも減れば、厳密には現状維持できていないのだが、下がっているが大した問題ではないと思いたくなる。その気持ち分かる。
 業績は5年、10年のスパンで見なければならないが、さしあたり直近の業績と比較してみたくなる。これも分かる。

 生徒の成績もそうだ。
 95点が93点になっても、まあまあだな。偏差値が0.1下がっても、前とおんなじだ。で、次に94点とったら、ちょっとだけど前より上がったじゃないか。いや、全然上がってないよ。
 成績に上がり下がりはつきものだが、現状維持はダメなんだよという姿勢で臨まないと、いつか取り返しのつかない事態に陥る。

 私は過去、まあ現状維持だからと自分を誤魔化してきた結果、何度も手痛い失敗をしてきた。
 前よりも、ほんの少し上がった。これが現状維持。
 前よりもわずかでも下がったら、これはもう現状維持ではなく、凋落の始まりだ。

学校と塾とで異なる「教務」という言葉の意味

 突然だが、「教務」という言葉(用語)について考えてみよう。
 私は、元公立高校の教員で、後に民間人となり塾関係者ともお付き合いするようになった。

 学校の先生も、塾の先生も、共に「先生」と呼ばれる職業であるが、そこで使われている用語の中には、同じ用語でも意味合いが違うものがある。その最たるものが「教務」という用語である。

 ある時、塾の先生が「仕事の効率化を図ることにより、先生方が『教務』に全力を傾けられる体制を作りたい」と言うので、一瞬「あれれ?」と思った。
 教務は大事だけど、それに全力っていうのはまずいでしょう。

 私の知っている「教務」というのは、カリキュラムを編成したり、年間行事予定や時間割を作ったり、指導要領などを管理したり、その他諸々の事務的仕事。企業で言えば、庶務や総務といったところ。
 要するに、進路指導部や生徒指導部がやらない仕事は、とりあえず教務部ね。みたいな感じ。
 そんな雑多なことを任される部署だけど、校内的な位置づけは結構高くて、校長・教頭に次ぐポジションは教務主任というのが暗黙のお約束。

 そんなわけだから、私にとっての「教務」は、生徒を直接指導することのない仕事なのだが、塾の先生の言う「教務」は、それとは逆に、生徒を直接指導する仕事、すなわち「授業」を主に指していたのである。

 まあ、業界が違えば、使う用語もその意味も違って当然だから、どっちが正しいとかいう問題ではない。


 教務の話題をもう一つ。
 私立学校では、生徒募集や入試、広報などを担当する独立した部署があるのが普通で、大抵は専任スタッフがいる。
 ところが公立学校ではこれに相当する独立した部署がない。例外もあるが、ほとんどの学校では、教務部の中の一部門、一担当として生徒募集や広報がある。私立と公立の生徒募集というものの位置づけの違いでそうなっているのだろう。

 塾の先生方が、何かの事情で、入試や説明会などについて学校に問い合わせをする場合、私立なら「入試担当の先生」、「募集担当の先生」と言えば、すぐにしかるべき先生に取り次いでくれるが、公立だと電話を受けた事務職員の方が、「はて、誰に取り次いだものか?」と迷ってしまう。

 一番手っ取り早いのは「教頭先生、お願いします」で、大方これで解決するのだが、なにせ教頭先生は忙しい。ほとんど過労死寸前だ。そこで、次の手段として、「教務主任の先生、お願いします」を使う。公立学校において教頭先生に次いで何でも知っていて、何でもやっちゃうのは教務主任である。

 以上、あくまでも私自身が見た聞いた範囲であるが、教務にまつわる話であった。

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梅野弘之

Author:梅野弘之
受験生・保護者の皆さん、学校や塾の先生方に最新情報をお届けします。ただし、結構頻繁に受験と無関係の話も。

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