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早朝の学校訪問はいろいろと勉強になる

 本日も授業見学。
 なのだが、同じネタが続いているので、後日に回そう。

 朝6時59分浦和発の高崎線に乗り本庄をめざす。
 乗車時間1時間12分。同時刻に上り線に乗ると、横浜を通り過ぎて戸塚か大船あたりまで行ける。私にとって群馬一歩手前の本庄は遠い町だ。
 この時間帯、上りは通勤ラッシュだが下りは高校生で混みあっている。熊谷でようやく座れた。

 長い道中だが、次々に乗っては降りる高校生を観察していると飽きない。
 降車駅と制服でほぼどこの高校かが分かる。

 女子のスカートが短いのは公立だね。うっすら化粧してる子もいるぞ。ほぼ例外なくスマホいじりっぱなし。
 ちゃんとしろよ、公立。
 一生懸命スカートたくし上げている公立女子が、ポロっと留め具を落としたら、「はい、どうぞ」と私立女子(正智深谷だね)が拾ってあげてた。バカだなって思ってんだろうね。

 桶川から乗ってきた熊谷女子高生は、ノートとペンを持って立ったまま勉強してた。中にはそういう子もいる。
 熊谷から先は、目の前に今日訪問する本庄東の女子生徒がいたが、スマホはいじらず3人で普通に会話していた。大声で笑ったりはしない。今どき珍しい光景だ。うるさいのは県立本庄の子だ。
 しっかりしろよ、公立。

 私立の評価は大学進学だけでなく、こんな所にもあるんだろうなと、車内での行動を観察しながら、そう思った。昔は逆だったんだけどね。

 スカートで思い出したが、一昨日行ってきた松山女子は長かったよ。昔からだけど。
 学校ホームページにも「膝下のスカートに誇りを持って美しく着こなした清楚で気品溢れる松女生は、地域の皆さんからも評価が高く品位ある学校生活を送っています」と書いてある。
 やれば出来るじゃないか、公立。

 私は学校情報を発信する立場上、授業と部活と行事と生活の4つを見て学校を語ろうと心がけている(完全実施は難しいが)。
 最後の「生活」のところが、登下校や昼休みや休み時間なのだが、その意味で本日の朝早い時間帯の学校訪問は大変勉強になった。

「下着は白」がブラック校則とは笑わせる

 「下着は白」はブラック校則っていうのはちょっと笑えますね。どう考えてもホワイト。

 私は「ワイシャツは白」っていう会社に勤めたことがある。「(先生の)ワイシャツは白」と決められていた学校を知っている。どっちもブラック職場ってことになるのかな。

 私は校則のない高校に育ったので、高校教員になってから、細かなルールがたくさんあるのに驚いた。
 「それ、まずいよね」と言えば、「そうですね」となる生徒が大部分で、そもそも「それ、まずいよね」とさえ言う必要がない生徒もいる一方、規則や罰則を設けないと常識的な判断ができない生徒もいて、校則はそういう生徒のためにある。ということを理解するのに少し時間がかかった。

 自由な学校は2種類ある。
 放っておいても生徒自らが適切に判断できるような学校は校則がないか、あっても緩やかなので自由である。学力の高い学校は、おおむねこうだ。
 校則はあるが、先生が指導を放棄してしまった学校も、逆の意味で自由だ。そういう学校でも先生の指導に従おうという生徒はいるので、かれらには注意をするが、それが期待できない生徒の指導はあきらめる。

 この校則っておかしくない?
 たぶん、それぞれの細かな校則について生徒や保護者や先生に尋ねたら、その認識はほぼ一致するだろう。変な校則は、誰が考えたって変なのである。
 ここまで決めなきゃいけないのか。こんなことまで言わなきゃいけないのか。先生たちも内心そう思っていることだろう。
 「校則?うちの学校にそんなものありませんよ」。言ってみたいよね。

 校則なんか無くせ。校則は生徒の人権を無視し差別を助長するものだ。もっと生徒に自由を、学校に自由を。
 いいですよ。
 でも、仰る通りにすると何かが犠牲になりますよ。

 とまあ、そういうことを考えつつの校則なのであるから、その中の一つ二つを取り上げて、ブラックだのなんだのと面白おかしく批判されたんじゃたまらんな。

「ブラック校則」って、簡単に言われても困るな

 えっ、ナニ?この校則。
 その昔、教員なりたての頃、ビックリした記憶がある。

 自分が出た高校は、校則があるんだかないんだか分からない、よく言えば自由、悪く言えばテキトーな学校だったので、校則のことなど考えたことがなかった。
 
 教員として若く未熟だった私は、「なんだよ、この規則。くだらねえな」と思うことが多かったが、そんなことを言える立場ではないので、しぶしぶ学校の方針に従うしかなかった。
 だが、時間が経つに連れて、その「くだらねえ校則」の一つひとつに、それなりの意味があるということが分かってきた(もちろん、本当に「くだらねえ」のもあったが)。

 10年ほどして次の学校に転勤した。すると、前の学校ではとっくに廃止になった校則がまだ生きていた。
 ところ変われば品変わるじゃないが、学校変われば校則変わるで、学校ごとにずいぶんと様相が異なるものなのである。

 校則は、「わが家のルール」みたいなものだ。よその家から見たら、不思議で、理不尽で、そんなのお宅だけだよと言われるようなものであっても、当の家族がそれで良しとしているなら、傍からとやかく言うべきでないのと同じで、校則は学校ごとの独自の問題なのである。きわめてローカルな、ドメスティックなお約束。

 新聞報道などによると、「ブラック校則」を無くす目的の民間プロジェクトが発足したという。大阪府立高校での頭髪黒染め問題を契機としているようだ。
 こういうプロジェクトを始める人は、善意の人々なのだろう。生徒のこと、子供のことを考え、純粋な思いで始めるわけである。

 だが、大人のやることは、動機が善意というだけではいけない。
 先生たちは、法律や規則のことはよく分かっている。基本的人権のことも子供の権利のことも、世の中の風潮も、みんな分かっている。その上で、やむにやまれぬ事情から、「くだらねえ校則」を強いているのだ。先生だって、できればそんなもの止めたいよ。

 ただ「こんなバカげた校則がありますよ」とか「生徒はこんな不満を持ってますよ」なんてこと調べて、それを「ブラック校則」と断じても、何の問題解決にもならない。というか、そんなことは今さら調べなくたって分かっている話だ。

 世間から「ブラック校則」と指弾されるような「くだらねえ校則」を心ならずも定めなければならない学校の実情。そこが問題なのだ。せっかく調査してくれるなから、ぜひそのあたりにも踏み込んでいただきたいものである。

問題児は親も問題なんだがそれを言ったらお仕舞だ

 学校の先生やってりゃ、いろんな生徒とめぐり会う。
 だけでなく、いろんな親とも遭遇する。

 この親にしてこの子ありなどと言うが、生徒指導上の問題を起こした生徒の親に会ってみると、なるほどそういうことだったのかと合点が行くことがしばしばある。
 
 わが子可愛さは分かるが、担任を交代させろだの、転勤(異動)させろだの、理不尽な要求をされた経験のある先生は少なくないだろう。
 うちの子は他と違うんだからと、学校のルールの適用から外せなどという要求は、しょっちゅうだ。

 とにかく非常識なんだな。
 息子(娘)がこんなになったのは、あんた(親)がそういうふうに育てたからなんじゃねえの。と、言いたいのは山々だが、すんでのところでこらえる。
 まったく。
 生徒の指導は仕事だからどこまでもやるが、親の指導の分まで給料もらっちゃいねえぞ。

 以上。若く血気盛んなころの話。

 今はどうか。
 子どもたちは、いろんな環境の中に育ってきている。親の考え方。価値観もさまざまだ。学校や教員は、それを所与のものとして、まず受け入れなくてはならない。
 学校や先生の指導はそこからスタートする。今さらやり直しはきかないのだ。

 子どもたちが何か学校で問題を起こしたとして、それを親や家庭の責任に帰そうとするのは、教員としての敗北である。

 教育の力。
 もし、先生方がそこに信を置いているなら、育った環境をとやかく言うべきではない。どんな家庭に育ったどんな子どもであっても、まっとうな人間に育てあげるのが先生の使命というものだ。

 ただ、先生だってごく普通の人間だからね。
 とんでもない親や、そこから生まれたとんでもない子どもをどう導くかなんてことは、大学じゃあ教えてくれないわけだし。
 特に若い先生は、全部一人でしょい込もうとしたら自分がつぶれる。

 自分がやる。
 その心意気は結構だが、教育、とりわけ学校教育ってものは、組織の力、チームワークでやるものだっていうことを忘れちゃいけない。

いらぬお節介を焼くのが先生という仕事

 ずいぶんと昔の話である。
 と言っても、すでに教員を辞めサラリーマンも辞め、自分で会社を始めたころの話だから、15年か20年ぐらい前だったと思う。

 仕事である公立高校を訪ねた。用件は忘れた。
 その学校は、問題山積で、いわゆる指導困難校と呼ばれていた学校だ。
 待てよ。思い出した。たしか進路講演会をやったんだ。そうだそうだ。

 校長先生から、欠席が多く勝手に早退しちゃう生徒もいるから人数が少ないだろうということと、聞く態度が悪いけど残っているだけましな生徒たちだから我慢してくれと事前に言われた。
 まあ、こっちも素人じゃないから。大丈夫ですよ。
 と言ったものの、集まった生徒を見て仰天。当時から茶髪がどうのこうの言われていたが、そんなもんじゃない。金髪もいれば、グリーンやイエロー、紫までいる。ここまで来ると逆に痛快だね。

 話した内容は忘れたが、イェーとか叫びながら結構ノリは良かったように記憶している。

 さて、本題はここからだ。
 私が一番ビックリしたのは生徒じゃない。その場に先生がいないことだ。もちろん、全然いないというわけじゃない。3~4人にはいる。でも、クラス数から考えたら担任、副担含めて10人以上いないと計算が合わない。

 この学校には講演も含めて前後4時間以上滞在したのだが、先生を見かけないのだ。休み時間も昼休みも、とんと先生の姿を見かけない。
 先生、どこ行った?

 後で校長先生に聞いたら、「授業時間以外はみんな職員室にこもっている」ということだ。
 なぜか。
 生徒と関わりたくないからだ。さすがに授業はやるが、それ以外はなるべく生徒を避ける。

 たしかに、職員室を一歩出たら、金髪はいるは、ピアスはいるは、超ミニはいるは、大変なことになっている。ちょっとでも注意しようものなら「ウッセー」とか言い返されるし、「ざけんなよ~」とかすごまれる。かと言って、見ぬ振りすればさらに生徒になめられる。ならばいっそ生徒のいないところに避難しよう。

 これじゃ学校が良くなるわけはない。ということでこの学校はその後廃校になった。

 私自身、そこまでの学校に勤務した経験はないので偉そうなことは言えないのだが、生徒と関わるということが先生として一番大事なことなんじゃないかと思う。とにかく関わる。うるせえと言われても、余計なお世話と言われても、接近戦を挑む。もともと、いらぬお節介を焼く仕事なのだ。

 昔のような荒れた学校は少なくなったが、荒廃していようが、平穏であろうが、先生がいちいち関わるのが学校という世界なのである。今風に言えばコミュニケーションということなのかな。

 先生の仕事は授業だけじゃないぞという昨日の話の続きだ。

プロフィール

梅野弘之

Author:梅野弘之
受験生・保護者の皆さん、学校や塾の先生方に最新情報をお届けします。ただし、結構頻繁に受験と無関係の話も。

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