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「乗るな」の指導から「乗るなら」の指導へ、いいことだ

 20180927校内スマホ禁止

 高校生のバイク解禁
 県教育局「三ない運動」は廃止
 
 9月26日(水)付埼玉新聞1面トップの見出しだ。

 バイクに「乗らせない・買わせない・免許をとらせない」の三ない運動。
 県教委が「高校生活にバイクは不要」の方針の下、指導要項を定めたのは1981年のことだ。
 下手すりゃ、ツッパリ君たちが廊下をバイクで走り回るような時代だ。当時は規制も必要だったのだ。
 
 もともと、文科省なんかはそれほど積極的じゃなかったんだね。もちろん自動車工業会みたいな業界団体も。ただ、PTAとかを中心に一種の社会運動として盛り上がって、それを受けて県教委や各学校がバイク規制を強化したという経緯がある。

 時代は移り、むしろ若いうちから交通安全教育をしたほうがいいんじゃないかという考えが主流になってきた。昔からあった考え方だが、ようやく社会がそれを容認するようになった。 
 若いうちから自転車・バイク・車の運転の仕方やマナーを叩き込んだほうがいいわけで、私は歓迎する。

 「(臭い物に)蓋をする」というのかな。危ないからとりあえずダメ、禁止する。
 そういう指導が必要な場面があるし、短期的には効果を発揮するが、実は課題を先送りしていることになる。
 命にかかわること。身の安全にかかわること。そういうのは、蓋をせずに早い段階で、きちんと教えよう。

 話が飛躍し過ぎと言われるかもしれないが、ケータイやスマホなんかも、蓋をしないで正しい使い方やマナーを教えてもらいたいね。むしろ積極的に使う方向で。
 やれICT教育だ、これからはAIだ、と言っていながら「中学生活にスマホは不要」は変でしょう。アカウントを乗っ取られない方法とか、詐欺に引っかからない方法とか、ウイルスに感染しない方法とか、ちゃんと教えておいたほうが子供のためだ。

 それはそうと、ブレーキとアクセル踏み間違えない方法を年寄りに教えてくれないかな。「乗るな」じゃなくて。

早朝の学校訪問はいろいろと勉強になる

 本日も授業見学。
 なのだが、同じネタが続いているので、後日に回そう。

 朝6時59分浦和発の高崎線に乗り本庄をめざす。
 乗車時間1時間12分。同時刻に上り線に乗ると、横浜を通り過ぎて戸塚か大船あたりまで行ける。私にとって群馬一歩手前の本庄は遠い町だ。
 この時間帯、上りは通勤ラッシュだが下りは高校生で混みあっている。熊谷でようやく座れた。

 長い道中だが、次々に乗っては降りる高校生を観察していると飽きない。
 降車駅と制服でほぼどこの高校かが分かる。

 女子のスカートが短いのは公立だね。うっすら化粧してる子もいるぞ。ほぼ例外なくスマホいじりっぱなし。
 ちゃんとしろよ、公立。
 一生懸命スカートたくし上げている公立女子が、ポロっと留め具を落としたら、「はい、どうぞ」と私立女子(正智深谷だね)が拾ってあげてた。バカだなって思ってんだろうね。

 桶川から乗ってきた熊谷女子高生は、ノートとペンを持って立ったまま勉強してた。中にはそういう子もいる。
 熊谷から先は、目の前に今日訪問する本庄東の女子生徒がいたが、スマホはいじらず3人で普通に会話していた。大声で笑ったりはしない。今どき珍しい光景だ。うるさいのは県立本庄の子だ。
 しっかりしろよ、公立。

 私立の評価は大学進学だけでなく、こんな所にもあるんだろうなと、車内での行動を観察しながら、そう思った。昔は逆だったんだけどね。

 スカートで思い出したが、一昨日行ってきた松山女子は長かったよ。昔からだけど。
 学校ホームページにも「膝下のスカートに誇りを持って美しく着こなした清楚で気品溢れる松女生は、地域の皆さんからも評価が高く品位ある学校生活を送っています」と書いてある。
 やれば出来るじゃないか、公立。

 私は学校情報を発信する立場上、授業と部活と行事と生活の4つを見て学校を語ろうと心がけている(完全実施は難しいが)。
 最後の「生活」のところが、登下校や昼休みや休み時間なのだが、その意味で本日の朝早い時間帯の学校訪問は大変勉強になった。

「下着は白」がブラック校則とは笑わせる

 「下着は白」はブラック校則っていうのはちょっと笑えますね。どう考えてもホワイト。

 私は「ワイシャツは白」っていう会社に勤めたことがある。「(先生の)ワイシャツは白」と決められていた学校を知っている。どっちもブラック職場ってことになるのかな。

 私は校則のない高校に育ったので、高校教員になってから、細かなルールがたくさんあるのに驚いた。
 「それ、まずいよね」と言えば、「そうですね」となる生徒が大部分で、そもそも「それ、まずいよね」とさえ言う必要がない生徒もいる一方、規則や罰則を設けないと常識的な判断ができない生徒もいて、校則はそういう生徒のためにある。ということを理解するのに少し時間がかかった。

 自由な学校は2種類ある。
 放っておいても生徒自らが適切に判断できるような学校は校則がないか、あっても緩やかなので自由である。学力の高い学校は、おおむねこうだ。
 校則はあるが、先生が指導を放棄してしまった学校も、逆の意味で自由だ。そういう学校でも先生の指導に従おうという生徒はいるので、かれらには注意をするが、それが期待できない生徒の指導はあきらめる。

 この校則っておかしくない?
 たぶん、それぞれの細かな校則について生徒や保護者や先生に尋ねたら、その認識はほぼ一致するだろう。変な校則は、誰が考えたって変なのである。
 ここまで決めなきゃいけないのか。こんなことまで言わなきゃいけないのか。先生たちも内心そう思っていることだろう。
 「校則?うちの学校にそんなものありませんよ」。言ってみたいよね。

 校則なんか無くせ。校則は生徒の人権を無視し差別を助長するものだ。もっと生徒に自由を、学校に自由を。
 いいですよ。
 でも、仰る通りにすると何かが犠牲になりますよ。

 とまあ、そういうことを考えつつの校則なのであるから、その中の一つ二つを取り上げて、ブラックだのなんだのと面白おかしく批判されたんじゃたまらんな。

「ブラック校則」って、簡単に言われても困るな

 えっ、ナニ?この校則。
 その昔、教員なりたての頃、ビックリした記憶がある。

 自分が出た高校は、校則があるんだかないんだか分からない、よく言えば自由、悪く言えばテキトーな学校だったので、校則のことなど考えたことがなかった。
 
 教員として若く未熟だった私は、「なんだよ、この規則。くだらねえな」と思うことが多かったが、そんなことを言える立場ではないので、しぶしぶ学校の方針に従うしかなかった。
 だが、時間が経つに連れて、その「くだらねえ校則」の一つひとつに、それなりの意味があるということが分かってきた(もちろん、本当に「くだらねえ」のもあったが)。

 10年ほどして次の学校に転勤した。すると、前の学校ではとっくに廃止になった校則がまだ生きていた。
 ところ変われば品変わるじゃないが、学校変われば校則変わるで、学校ごとにずいぶんと様相が異なるものなのである。

 校則は、「わが家のルール」みたいなものだ。よその家から見たら、不思議で、理不尽で、そんなのお宅だけだよと言われるようなものであっても、当の家族がそれで良しとしているなら、傍からとやかく言うべきでないのと同じで、校則は学校ごとの独自の問題なのである。きわめてローカルな、ドメスティックなお約束。

 新聞報道などによると、「ブラック校則」を無くす目的の民間プロジェクトが発足したという。大阪府立高校での頭髪黒染め問題を契機としているようだ。
 こういうプロジェクトを始める人は、善意の人々なのだろう。生徒のこと、子供のことを考え、純粋な思いで始めるわけである。

 だが、大人のやることは、動機が善意というだけではいけない。
 先生たちは、法律や規則のことはよく分かっている。基本的人権のことも子供の権利のことも、世の中の風潮も、みんな分かっている。その上で、やむにやまれぬ事情から、「くだらねえ校則」を強いているのだ。先生だって、できればそんなもの止めたいよ。

 ただ「こんなバカげた校則がありますよ」とか「生徒はこんな不満を持ってますよ」なんてこと調べて、それを「ブラック校則」と断じても、何の問題解決にもならない。というか、そんなことは今さら調べなくたって分かっている話だ。

 世間から「ブラック校則」と指弾されるような「くだらねえ校則」を心ならずも定めなければならない学校の実情。そこが問題なのだ。せっかく調査してくれるなから、ぜひそのあたりにも踏み込んでいただきたいものである。

問題児は親も問題なんだがそれを言ったらお仕舞だ

 学校の先生やってりゃ、いろんな生徒とめぐり会う。
 だけでなく、いろんな親とも遭遇する。

 この親にしてこの子ありなどと言うが、生徒指導上の問題を起こした生徒の親に会ってみると、なるほどそういうことだったのかと合点が行くことがしばしばある。
 
 わが子可愛さは分かるが、担任を交代させろだの、転勤(異動)させろだの、理不尽な要求をされた経験のある先生は少なくないだろう。
 うちの子は他と違うんだからと、学校のルールの適用から外せなどという要求は、しょっちゅうだ。

 とにかく非常識なんだな。
 息子(娘)がこんなになったのは、あんた(親)がそういうふうに育てたからなんじゃねえの。と、言いたいのは山々だが、すんでのところでこらえる。
 まったく。
 生徒の指導は仕事だからどこまでもやるが、親の指導の分まで給料もらっちゃいねえぞ。

 以上。若く血気盛んなころの話。

 今はどうか。
 子どもたちは、いろんな環境の中に育ってきている。親の考え方。価値観もさまざまだ。学校や教員は、それを所与のものとして、まず受け入れなくてはならない。
 学校や先生の指導はそこからスタートする。今さらやり直しはきかないのだ。

 子どもたちが何か学校で問題を起こしたとして、それを親や家庭の責任に帰そうとするのは、教員としての敗北である。

 教育の力。
 もし、先生方がそこに信を置いているなら、育った環境をとやかく言うべきではない。どんな家庭に育ったどんな子どもであっても、まっとうな人間に育てあげるのが先生の使命というものだ。

 ただ、先生だってごく普通の人間だからね。
 とんでもない親や、そこから生まれたとんでもない子どもをどう導くかなんてことは、大学じゃあ教えてくれないわけだし。
 特に若い先生は、全部一人でしょい込もうとしたら自分がつぶれる。

 自分がやる。
 その心意気は結構だが、教育、とりわけ学校教育ってものは、組織の力、チームワークでやるものだっていうことを忘れちゃいけない。

プロフィール

梅野弘之

Author:梅野弘之
受験生・保護者の皆さん、学校や塾の先生方に最新情報をお届けします。ただし、結構頻繁に受験と無関係の話も。

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