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新元号、テレビのはしゃぎ過ぎにウンザリ

 本日、テレビは新元号一色。
 ネットも含め、ちょっとしたお祭り騒ぎ。

 多くの読者の皆さんは、前回の改元、すなわち昭和から平成にかわったときは、世の中の雰囲気は今回とは正反対であったことをご記憶だろう。

 昭和63年秋、天皇のご容態悪化の報が流れ、以後世の中には自粛ムードが蔓延した。お祝い事、お祭り、派手なイベント、これらはみな延期・中止となるか、規模が縮小されて行われた。
 明けて昭和64年1月7日、天皇崩御。そして翌8日、新たな元号が発表され、この日から平成となった。
 前回改元は、とてもではないが、国民が一種のイベントとして興ずるようなものではなかった。

 以前、今上陛下(現天皇)がお言葉の中で「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます」と述べられた。
 あの、昭和晩年から平成初年にかけての重く暗い世相を指しておられるのは明らかだ。

 今回、陛下が譲位を望まれた結果、私たちは、ある意味明るく改元並びに新天皇即位を迎えることができた。

 が、それにしてもマスコミはしゃぎ過ぎだろう。
 数字(視聴率)がすべてなのは分かるが、取り上げる話題が低級過ぎて、見る気がしない。


 ちなみに、私にとっての昭和の終わりは、新任以来長く勤めた川口北高との別れの時だった。
 今と違って、かなり前から次の勤務先が内定しており、この年の1月から3月までの出来事は、すべてが「川口北高最後の…」を意識したものだった。
 次の勤務先では担任を持たず、部活も副顧問という立場だったので、授業以外は校務中心の生活だった。
 私の本当の意味での教員生活は昭和で終わっていたのではないか。平成の終わりを前にそんなことを考えた。

ヒトラーじゃなくナポレオンにしておけば

 それがニュースかよ。
 というような、どうでもいい記事が朝日新聞デジタルで報道されていたので、それをネタにどうでもいいブログを書くのである。

 見出しは「高校教諭『お前はヒトラーのよう』生徒に不適切発言」というもの。

 記事の中身を要約すると、島根県松江南高校の男性教諭(62)が、同校浪人生が通う補習科の授業中、雑談で「三角関数や確率は必要なものか」と男子生徒に問うたところ、生徒は「実生活では必要ない」と答えた。
 それに対し教諭は、「お前はヒトラーのよう」「教わる子供がかわいそう」などと発言し、教育学部を志望する生徒はショックを受けた。

 松江南は、松江北ほどではないけれど、島根県下では上位進学校と言っていい。
 浪人生のために補習科というのを設けているんだね。予備校なども少ないだろうから、PTAや後援会がお金を出して卒業生を援助しているものと思われる。
 男性教諭は62歳というから、定年後の再任用だろう。
 事は英語の授業の中で起きた。
 そこでなぜ三角関数や確率の話なのか。いや、だから雑談って言ってるでしょう。

 生徒曰く「実生活では必要ない」。
 まあ、そうだね。職業生活で必要になる人もいるけど。
 で、ここで終わらせればいいものを、この教諭何を思ったか「ヒトラーのよう」と言ってしまう。エッ、どういうこと?
 後に教諭は「多様性を認めず、単純化する考えはヒトラーのようで危険だと思った」と説明してるようだが、そこまで聞いても意味不明。

 要するにヒトラーだ。
 どういう経路か不明だが、授業中の何でもないやり取りが新聞社に伝わった。
 オッ、待ってましたヒトラー。これは記事になるぞ。大方そんなところだろう。他の歴史上の人物なら問題ない。ただ、ヒトラーはやめておいたほうがいい。
 ナポレオンとかフリードリッヒ2世あたりにしておけば良かったのに。

 私は高校で世界史を教えてたから、ヒトラーとか国家社会主義ドイツ労働者党(つまりナチスね)のことは何度も口にしていたわけだが、説明は慎重にやりましたよ。むろん、それは他の人物、他の出来事についても同じことだけど。

 専門外の先生のちょっとした雑談でも、こうやってニュースにしようと待ち構えるマスコミがあるってことは覚えておこう。

「子供を産まない方が問題」はどこが問題発言なのか

 今日は政治の話。

 麻生太郎副総理が、またやらかしてくれた。
 「子供を産まないほうが問題」発言。
 野党及び一部マスコミは、ほら来たと大騒ぎ。

 政治家は、自分の地元で支持者を集めてのパーティだと、ちょっと気が緩むのかな。しかし、いくら身内の会といっても、置かれた立場というものがある。そこらの新人議員とはわけが違うのだから、そのあたりはわきまえてほしいね。

 「少子高齢化問題」。
 「少子化問題」と「高齢化問題」を合わせての言い方だが、麻生副総理は、「高齢化(長生きが当たり前になったこと)」と「少子化」(子供が生まれなくなったこと)を比べると、「少子化」の方がより大きな問題だと発言したようである。または、そのように受け取られる発言をしたようである。

 ただ、どちらがより大きな問題かというと、そこは難しいところだ。
 「高齢化」が進んでも、「多子化」が維持されれば、それによって解決できることも多い。ところが、「高齢化」と「少子化」が同時進行しているから、より問題が深刻さを増している。
 
 「少子化」と「高齢化」は、別個の問題であり、解決への処方箋は異なる。どちらか一方を解決すれば、もう一方が自動的に解消するというものではない。
 保育園をたくさん作り、教育を無償化し、女性も男性も子育てと仕事が両立しやすい環境を作っても、それで「高齢化」の問題が解決されるわけではない。その逆も然り。

 そういう意味で、どちらを優先課題とするか、どちらにより大きな予算配分をするかは、非常に重要な問題であって、そういう中で、政府のナンバー2の実力者が、いかにも軽率じゃないのと、追及すべきはそこでしょう。
 
 ところが、野党及び一部マスコミは例によってというか、「生みたくても生めない人」への人権無視という方向に話を持って行こうとする。
 だからね。
 「生みたくても生めない人」のことは、「少子化」とは関係なく存在しているわけですよ。同情する人はいても、「少子化」はあなた方のせいだなんて思っている人は、世の中には一人もいませんよ。

 今回の麻生副総理発言は問題だけど、問題(化)の仕方が違っていると思う。

防衛省「証拠」映像公開に関する記事にツッコミを入れてみる

 韓国駆逐艦による海上自衛隊哨戒機への火器管制レーダー照射問題。
 日韓の主張が対立しているが、そんな中、防衛省が「証拠」として当時の映像の公開に踏み切った。

 各紙・各局が報道しているが、中にこんな記事があった。
 時事通信のニュースだ。

―以下、引用
 同省は防衛当局間の関係を一層冷え込ませると慎重だったが、韓国にいら立ちを募らせる安倍晋三首相がトップダウンで押し切った。日本の正当性を世論に訴える狙いだが、泥沼化する恐れもある。
 防衛省は当初、映像公開について「韓国がさらに反発するだけだ」(幹部)との見方が強く、岩屋毅防衛相も否定的だった。複数の政府関係者によると、方針転換は27日、首相の「鶴の一声」で急きょ決まった。
―以上、引用

 「韓国にいら立ちを募らせる安倍晋三首相」
 どういう取材をするとこういう文章が書けるのかね。記者は首相の心の中までお見通しってことか。

 「トップダウンで押し切った」
 トップなんだから当然でしょう。逆にそれをしなかったらトップの役割を放棄してるってことです。だいいち、押し切ったも何も、自衛隊のトップは首相だから、軍部に押し切られてはいかんのですよ。ふだんはそう言ってないかい。

 「泥沼化する恐れがある」
 便利なのでマスコミがよく使う表現。この決定で事態はますます悪化するぞ、首相の決定は間違ってるぞ、そう遠回しに言いたいわけね。

きわめつけ。
 「方針転換は27日、首相の『鶴の一声』で急きょ決まった」
 「鶴の一声」。意見がまとまらないときなど、権力や影響力を持った人の一言で決してしまうことの例え。いい意味でも使われるが、権力者が有無を言わせず上から決めてしまうというような悪い意味でも使われる。
 さりげなく「急きょ」と入れたところもなかなか巧い。「素早い決断」とは言いたくないわけね。慎重に検討せず、熟慮せず、決めってしまったというニュアンスを出したいようだ。

 短い記事ながら、ツッコミどころ有り過ぎで楽しめた。
 事実を伝えているだけのように見えて、実はその中に巧みに安倍批判を盛り込む。なかなかの文章技術だ。まあ、国語の教材にはならんが。


 今日の動画「塾の先生は専門性が足りない」

「平成最後」の乱発になぜかイライラ

 今日は「平成最後の天皇誕生日」で、明日は「平成最後のクリスマスイブ」。来週には「平成最後の仕事納め」があって、「平成最後の大掃除」をして、「平成最後の大晦日」を迎える。そして年が明ければ「平成最後の元旦」で…
 って、もういい加減にしてください。マスコミさん。
 
 明日のクリスマスイブは、いつも通りの普通のクリスマスイブでしょ。「平成最後の」だからって、何か特別な過ごし方する人いる? いませんよ。大掃除も大晦日も元旦もみんないつもと同じ。「平成最後の」なんて、実は誰も意識していない。

 「〇〇のクリスマス」とか「〇〇の大晦日」の○○に入る言葉をいちいち考えるのは大変なので、頭を使わずに済む「平成最後の」で済まそうという気持ちも分からないではないが、いくら何でも使いすぎでしょう。記事を書く人やニュース読む人は恥ずかしくないのかね。

 平成時代は、たまたま「平成最後の」が事前に分かっているが、昭和時代はそれが分からず、普通に過ごした夏が「昭和最後の夏」となり、当たり前に過ごした秋が、振り返ってみれば「昭和最後の秋」となった。

 それが「最後の」になるかどうかが、分かることと分からないことがある。
 廃校になる学校では「最後の卒業式」が行われるだろうし、引退を決めている選手は「最後の試合」を戦うことになるだろう。

 だが、人生にはそれがない。それが「最後の」になるかどうかは、後になって分かる。ただし、予兆や予感はある。
 来年は68歳になる。
 この高齢化社会では、まだまだ若いと言われる年齢だが、一つ一つの行動が、「人生最後の」になる可能性は、若い人に比べたら圧倒的に高い。

 マスコミが「平成最後の」を乱発するのを、なぜかイライラしながら見たり聞いたりしているのは、自分自身が「人生最後の」を意識するようになったからかもしれない。
プロフィール

梅野弘之

Author:梅野弘之
受験生・保護者の皆さん、学校や塾の先生方に最新情報をお届けします。ただし、結構頻繁に受験と無関係の話も。

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