日々の「学び」こそがキャリア教育である

 いくつになってもフリーター。
 そんな人がいくらかいても仕方ないが、身体も心もこれといって不都合はないのに働かない人という人が増えすぎるのは困る。
 そこでキャリア教育。

 「将来何になるの?」
 人はみな、幼いころから、そんな質問を何度か浴びせられ、その都度、サッカー選手とか、お医者さんとか、保母さんとか、とりあえず、具体的な姿の見えやすい職業を答えていた。小学生か、ぎりぎり中学生ぐらいまでは、それでいい。

 だが、高校生や大学生になって、それでいいのか。「お医者さん」が「医師」に、「保母さん」が「保育士」に変わっただけでいいのかという話である。
 はたして、キャリア教育とは、職業を選ばせるだけの教育なのか。

 職業とは手段である。
 世の中には、さまざまな課題がある。世界を見渡せば、もっとたくさんある。
 その課題を見つけさせるのが、まずスタートの段階で、さてそれをどう解決するかと考えを発展させて行くと、さまざまな方法論に至る。
 そしてその先に、どういう仕事(キャリア)を通して、その方法論を具現化していくかという選択、すなわち職業選択がある。

 仮に目的が「貧困問題の解決」だったとして、手段として考えられる職業は多岐にわたる。政治家、経済学者、起業家、医療従事者、農業従事者等々、いくらでも出てくるわけである。

 なのに、職業をまず決めなさいと来る。
 これはやはり、順序が逆ではないか。先に来るのは、「課題の発見」であろう。

 が、実際問題として、大学の学部選びの時点で、かなり職業を絞り込んでいかなければならない。
 とすれば、中学・高校時代に、どれだけ「課題の発見」に近づけるかが重要になるのだが、これは、総合学習の時間やロングホームルームの時間だけでできるものではなく、日々の各教科の「学び」の中で行われなくてはならない。

 キャリア教育とは、特別な教育ではなく、日々の「学び」そのものである。

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