プーチン来日にちなみ中学生のための日露関係史

 ロシアのプーチン大統領がやって来た。
 ということで、今日はロシア特集だ。
 受験生(中学生)が知っておくべき日露関係史をさらっておこう。

(1)始まりは江戸時代の終わりのほうだ。寛政の改革で知られる老中・松平定信(1758~1929)の時代。
 ロシアの使節が、漂流民を届けつつ、通商(貿易)を求めて、蝦夷地(えぞち・今の北海道)・根室(ねむろ)にやって来た。ペリーが来航する60年前だ。
 使節の名はラクスマン、漂流民は伊勢国(三重県)の船乗り・大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう)だ。
 鎖国中の日本は、通商は断ったが、ロシアの動きが気になるので、間宮林蔵(まみやりんぞう)らに蝦夷地や樺太(からふと)を調査させた。

(2)幕末にペリーがやってきて、それがきっかけになり開国。米国と日米和親条約、日米通商航海条約を結ぶが、このときロシアともほぼ同じ内容の条約を結んでいる。もちろん、日本にとって不利な条約(不平等条約)。

(3)1875年(明治8年)、ロシアとの国境を定めるために、樺太・千島交換条約を結んだ。ロシアの樺太領有を認め、千島全島を日本領にすることにした。

(4)日清戦争(1894~1895)に勝った日本は、下関条約で、朝鮮の独立を認めさせ、遼東半島や台湾を手に入れた。
 しかし、ロシアがドイツ・フランスを誘い三国干渉をしてきたため、泣く泣く遼東半島を返した。まだ弱くて、ヨーロッパの大国の要求をはねつけるだけの力がなかったということだ。
当時、「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」という言葉が流行った。がまんを重ねて、この恨みをいつか晴らそうぜ。ロシア覚えてろよ。

(5)清(中国)で義和団事件というのが起こった。日本を主力とする各国の軍隊が派遣され、乱は収まったが、ロシアはそのまま居残り、満州(中国の東北地方)を事実上占領し、さらに韓国に進出しようとした。
 そこで日本は、イギリスと日英同盟を結んで対抗しようとした。

(6)1904年、日露戦争が始まった。日本は奉天会戦・日本海海戦に勝利したが、戦争を継続する余力がなかった。一方ロシアも国内で革命運動がおこり、戦争継続は難しかった。
 両国は、アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの仲介でポーツマス条約を結んだ。ロシアは、韓国における日本の優越を認め、旅順・大連の租借権と長春以南の鉄道利権を日本に譲り、北緯50度以南の樺太の割譲を認めた。
 賠償金がとれなかったので、日本国民は怒り、日比谷焼き討ち事件などがおこった。
 この戦争に際し、歌人の与謝野晶子は、出征する弟を思い「君死にたまふことなかれ」という詩を詠んだ。弟よ、死んじゃダメ。

 以上。戦前までの日露関係史を、中学校歴史教科書レベルで解説するとこのようになる。難しい言葉もあるかもしれないが、8割~9割は、教科書に基づいて書いている。知らんとは言わせん。

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