日露関係史をもう少し

 昨日のブログを書き終えて、そういえば、祖母がロシア人のことを「露助(ろすけ」と呼んでいたなと思い出した。祖母は、もちろん明治生まれ。たしか日露戦争前後の生まれだったはずだ。
 今は、差別用語とみなされるかもしれないが、私が祖母から聞いた「露助」は、単に外国人というような響きだったと思う。ま、幼いころの話である。

 昨日の日露関係史の続きをやっておこう。
(7)第一次世界大戦中、ロシアでは、レーニンの指導の下、ロシア革命がおこり、世界初の社会主義の政府ができた。
 これは、資本主義に不満を持つ世界の人々に大きな影響を与えた。

(8)ロシア革命の影響をおそれた日本、アメリカなどがシベリア出兵を行ったが、こうした干渉を乗り越えて、1922年、ソビエト社会主義連邦共和国(ソ連)が成立した。

(9)第一次世界大戦後の日本は、好景気を迎えたが(大戦景気)、シベリア出兵にともなう米の買い占めから米価がはねあがり全国で米騒動がおこった。

(10)レーニンの後を受けたスターリンの下、計画経済を行ったソ連は、世界恐慌の影響を受けることなく発展した。

(11)第二次世界大戦に先立ち、日本とソ連は日ソ中立条約を結んだ。

(12)対戦末期、ポツダム宣言が発表され、8月6日、広島に原爆が投下される中、8日、ソ連が日ソ中立条約を破って、突如日本に宣戦布告してきた。
 おいおい、ここで参戦はないだろう。もう、勝敗は決してるんだぜ。相手がダウンしてから殴りかかってくるようなもんじゃないか。

(13)大戦後、アメリカとソ連が対立するようになり、後に冷戦と呼ばれるようになった。1951年のサンフランシスコ平和条約で日本の独立は回復したが、ソ連との関係が回復していなかったので、1956年、日ソ共同宣言を結んだ。
 この時、日本は国後(くなしり)、択捉(えとろふ)、歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)は日本領土だと主張したが、ソ連が認めなかったため平和条約が結べなかった。

 という具合で、60年前の懸案がいまだ解決していないというのが、日露関係なのである。

 以上。中学歴史の教科書をチェックしながら書いたが、結構いろんなことを習っているんだね。これだけ分かっていれば、大人になっても全然困らないよ。中学校の勉強って大事だね。

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