AED使う時点で、すでに重大事故

 埼玉県立大宮高校の強歩大会(いわゆるマラソン大会)で昨年、一人の女子生徒(当時2年生)が死亡した。
 それに対し、父親ら遺族が昨日(26日)、県を相手取り約7290万円の損害賠償を求めてさいたま地裁に提訴した。

 新聞報道の範囲内でしか事実関係が分からないので、軽々な発言はできないが、おそらく、学校や先生の側に、重大な過失があったかどうかが争点になるのだろう。遺族は「防げた事故」であるとし、県や学校側は「防げなかった」と主張する。遺族の方々が、法廷でこれを争うと決めた以上、裁判所の判断を待つしかない。

 マラソン大会などの場合、通常は、事前に親の参加承諾書をとる。しかし、だから何があっても自己責任とはならないわけで、本人と相談しながら、場合によっては参加を取りやめさせるのも先生として必要な指導だろう。だが一方で、限界まで頑張ってみろというのも大事な指導ではないかと思う。

 無理をするな。
 そう言っていいのならどれだけ気分が楽になることか。私自身は、高校教員生活の中で何度もそう思った。
 別にマラソンだけに限ったことではないが、少しずつ少しずつ限界を先に延ばして行く。それが成長ということではないか。生徒の成長を願えば、多くの先生方は、そういう考えに立つのではないか。

 私は元高校教員だからと言って、100%学校や先生側に立ち、それを擁護しようとは思っていない。現に事故が起き、前途ある若者が命を失っているのであるから、反省し改善すべき点はいくつもあるに決まっている。

 ただ、AEDを増やすとか、そういう話ではないだろう。AEDを使うような事態になった時点で、すでに事故なのだ。
 幸いにも女子生徒が一命を取りとめたとして、それでも事故は事故なのだから、そこを問題にしなければならない。
 くれぐれも、AEDの設置台数を増やしましたとか、蘇生教育の徹底を図りますとかいう決着にならないよう望みたい。また、マラソン大会は金輪際実施しませんでは、何の解決にもならないと言っておこう。

 学校は安全なところ。
 たしかに外形的には、そういった措置を取ることは可能だが、教員の思考回路の中に、あるいは学校という組織風土の中に、結果的に児童生徒を死に追いやる危険性が潜んでいるかもしれない。
 この問題を機に、若い日の自らを反省しつつ、そこのところを考えて行きたいと思った。

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