今さら「基礎」なんてクソみたいなこと言うな

 はるか昔の話だ。
 高校受験生だった50年前の友人との会話。

 友人「オレさ、あと1か月あるから中1から全部やり直そうと思うんだ」
 「オマエ正気か。やるなら逆だろ。古い方からじゃなくて、最近の方からやって、さかのぼったほうがいいんじゃないか」
 友人「でも、最近のことは覚えてるだろう」
 「そうだけど、先生が中1の内容はあんまり出ないって言ってたぞ。英語の関係代名詞とか数学の三平方の定理とか3年の方が出やすいって…」
 友人「そうなの? 知らなかったよ」
 「な、だから3年やって、2年やるほうがいいぞ。1年はいいよ」

 進学塾がこの世に存在しない時代である。偏差値もなかった。先生と言えば中学校の先生しかいなかった。
 いろんな情報に振り回されることがなかった。そもそも、普通の人は「情報」という言葉さえ口にすることがなかった。まことにのどかな時代である。

 入試当日、サッカーボールを持ってきたやつがいた。
 「昼休み、やることないと思って…」
 バーカ。さすがにこれにはみんなあきれたが、それでもせっかく持って来たんだからとグランドでボールを蹴った。高校の先生から注意されるかと思ったが、それはなかった。

 大昔のアホ中学生のことはおくとして、はじめに書いた「最近のことからさかのぼってやったほうがいい」という考え方は、今でもマルだろう。
 中学校では、とにかく教科書の範囲を終わらせようと、プリントなどでササッと授業を進めている可能性がある。問題練習も不足しがちだ。だが、入試では3年の最後の方までキッチリ出題される。

 1年から順繰りにやっていったのでは、3年に到達する前に本番が来てしまう。
 今さら「基礎からやり直す」なんてクソみたいなこと言ってないで、記憶に新しことからやったほうがいい。


 ※もう一つ昔話を思い出したので、やや長い目の続きを書いた。
 中学3年の時、大学を出たての新米女教師が赴任してきた。
 なにしろ、中1のときの英語の先生は、いつも手や声が震えてたからな。みんな「アル中」って呼んでた。
 だから、ようやくまともな先生に習えるとみんな喜んだ。

 だが、この新米女教師の授業のやり方が気に食わない。
 順番に指名して答えさせるのだが、決まって出来ない順に指すのだ。最初はまず答えられないだろうと思われるやつが指される。案の定、「ワカリマセン」。次は、もうちょっと出来そうなやつを指す。これも「ワカリマセン」。そうやって順繰りに指していって、最後はどんな難しい質問も、クラスで一番のやつのところまで来れば答えがでるという具合だ。

  「あのやり方、気に食わねえよな」と誰かが言う。
  「今度さ、全員でワカリマセンって答えようぜ」という意見が出る。
  「全員って言ったって、女子は無理だろう」
  「男子だけでいいよ」
  「問題はM男だな。あいつクソ真面目だからな」
  「一回だけでいいからやらせようぜ」

  さっそく男子数名でM男に話をもちかけるが、優等生のM男は、「そんなことしたら先生がかわいそうだ」と言いやがる。
  「何言ってるんだ。いつも恥かかされてるK郎やT介のほうがもっとかわいそうだろう」と、今度の授業だけでいいから協力しろよと迫る。
  「でも僕が答えられなかったら、ワザとだと分かっちゃうだろう」とM男。
  「だからさ、ワザとでいいんだよ。AもIも、みんな何を聞かれてもワカリマセンって言うからな。オマエも絶対やれよ」

 授業が始まった。
 いつものように、できない順に聞いてくる。
 そろそろ正解出すかなと思われたAが「ワカリマセン」。ならばとIを指名するが、これも「ワカリマセン」。
 いいぞその調子だ。
 オレの順番が来た。チョロイ質問だったが、デカい声で「ワカリマセン」と答えてやった。あれ、いつもと様子が違うぞ。新米女教師も異変に気づいたみたいだ。
 でも最後は優等生のM男がいるからと、動揺しながらもM男に望みをたくす。さあ、どうするM男。
 男子全員がひそかに注目する中、M男は「あの、ちょっとワカリマセン」と小さな声で答えた。男子全滅。
 やったぜM男。やればできるじゃないか。明日からも遊んでやるよ。

 そのあと、新米女教師は立て直しをはかろうといつもやり方で女子を中心に指名した。女子もオレたちのたくらみは知っている。それはそうだ。休み時間、M男にみんなして「絶対やれよ」と迫っているのを見ているんだから。でも、一緒になって悪だくみに加担するほどガキじゃない。

 少し落ち着きを取り戻した新米女教師は、よせばいいのに再び男子を指名し始めた。
 おいおい、また同じやり方かよ。だからさ、そのやり方が気に入らねえって言ってんだよ。わかったよ。そっちがその気なら、何回でも同じことやってやるぜ。
 
 5人、6人と分かるはずの男子の「ワカリマセン」が続いて、いよいよ頼みの綱のM男の番だ。
 M男は今度も「ワカリマセン」。
 M男、オマエ結構いいやつじゃないか。今度サッカーのとき、センターフォワードやらしてやるよ。

 それはそうと、新米女教師の様子がおかしいぞ。急に黙っちゃった。あれれ、教科書と出席簿をかかえてダッシュで教室から出て行っちゃった。
 「怒らせちゃたかな」
 「泣いてなかったか」
 「困らせたのは確かだよな」

 いつも「ワカリマセン」しか言ったことのないK郎やT介の様子をうかがってみる。なんだよ、あんまり嬉しそうじゃないな。半分はオマエらのためにやったんだぞ。でもまあいいや、点数の下から順に指していくのは良くないからな。

 授業が急に自習になっちゃって、さあどうしようかと考えているときに、担任が血相を変えてやってきた。
 「おい、お前たち何をやったんだ」。

 いや別に。普通に授業受けてたら急に先生がいなくなっちゃってなんて言い訳しても、担任が納得するはずがなく、「U、職員室に来い」。
 エッ、オレ?
 いつもこの役が回って来るんだ。でもまあ仕方ない。言いだしたのはたしかSだったけど、やろうぜって盛り上げたわけだし。

 担任は怒ってはいないようだった。ホッとした。
  「気持ちは分かるが、やり方が良くない」
 えっ、気持ちって、オレまだ何も言ってませんけど。
 そうか、新米女教師が言いつけたんだな。自分のやり方が悪いくせして「U君たちにいじめられた」とか言ったんだろう。そうだよ。お仕置きしてやったんだよ。

 担任は、「何か不満があるんだったら、まず私に言いなさい」と、もっともな説教を垂れた。でも、それじゃあ意味ないんだよな。行動で気づかせないと。
 そのあと担任は、「N先生は新任だけど、一生懸命やってるんだよ。3年生なんだし、こんなことで授業を無駄にしたら、結局損をするのはみんななんだぞ。私からもアドバイスしておくから」などと言い、オレは無事解放された。

 教室に戻ると、たくらみに加担した連中が「担任、怒ってたか?」と集まってきたので、「そうでもないけど、やり方がまずいってさ。受験生なんだから授業を無駄にするなって言ってたよ」と言葉どおり伝えた。
  「でもさ、やる前は面白いと思ったけど、案外つまんなかったな」、と言い出しっぺのSが言う。
  「途中から、ちょっと可哀そうだったもんな」
 後味の悪い勝利だ。

 優等生のM男が、「ぼくはもうやらないよ。意味ないもん」と言ってきた。分かってるよ。オレたちだって今日が最初で最後だ。

 その後しばらくの間、新米女教師と一部男子の間には気まずい空気が流れたが、徐々に修復されていった。例のやり方は止めにしたみたいだ。いいとこあるじゃないか。

 高校の合格発表の日。結果を担任に報告しようと学校に行ったら、間が悪いことに新米女教師に最初に顔を合わせてしまった。
  「U君、おめでとう」
 何で知ってるんだ。そうか新聞で見てるんだ。そういえば、おふくろが駅まで行って埼玉新聞を買って来なくちゃと言ってたっけ。
  「ありがとうございます。先生にはお世話になりました」。そういうのはちゃんと言える。
  「高校でもがんばってね。期待してるから」
  あれ? 何だか急に先生っぽくなっちゃってどうしたんだよ。オレたちの反抗のこと気にしてないのかな。
  あの時。
 「先生には迷惑かけました」、とその場で言っておけばよかった。
 
 その後オレは高校の教師になり、何かの折に一度だけ新米女教師と遭遇した。もっとも向こうはもう立派なベテラン教師になっていたが。
 「U君、先生になったんだ」
 そうか、憎っくきクソガキのことはちゃんと覚えているんだ。
 「先生、あの時のことは・・・」
 「ああ、あれね。私も若かったし」
 いやいや、今でも十分お若いですよ。まだ40かそこいらでしょう。

 「先生っていうのは、生徒を育てるっていうけど、結局のところ、自分自身も生徒に育てられてるのよね。あの時はありがとう」
 ヤベエ、こっちが謝るつもりが逆に感謝されちゃったよ。
 元新米女教師のN先生は、生徒の成長は先生の成長にかかっているとも言った。
 むろん、まだ教師なりたてのオレにその意味は理解できなかったが、言葉だけはしっかり受け止めた。

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