何でも担任は生徒のためにならない

 本日、某私立高校にて。

 中堅の男性教員。
「生徒から海外大学への進学(留学ではない)について聞かれた。担任としての責任があるから、いろいろ調べてみるが限界がある。努力はするが、あらゆることに精通するのは不可能ではないか」

 そのとおり。
 大事なことは、学年全体あるいは学校全体として、一人ひとりの生徒にどう関わって行くかということだ。担任としての責任感・使命感は結構だが、すべてを担任が背負い込むことは、結果として、生徒のためにならないこともある。

 高校には分掌(ぶんしょう)という組織がある。進路指導部とか生徒指導部というやつだ。ここに専門家を集め、またはここで専門家を育て、個々の担任では対応できない問題を扱う。

 先般、埼玉栄高校に行き、「進路指導センター」を見学させてもらったが、ここには専任教員が常駐し、朝昼晩と一日中生徒の進学相談を受けている。入学以来の個人成績もすべてデータベース化されている。進学指導を担任まかせにしないという考え方だ。担任は関知しないというのではなく、担任に丸投げしないということであり、裏を返せば、学校全体として責任を持つということだ。

 担任問題に戻る。

 私のつたない知識の範囲だが、担任というものについて明確な法的根拠はない。少なくとも、担任の仕事内容、守備範囲はどこにも規定されていない。
 (私の誤解があるかもしれないので、もし、この件に精通している方がいたら、ぜひ教えていただきたい)

 担任の役割とはどういうものなのか。守備範囲はどこからどこまでなのか。一度これを見直してみる必要がある。もちろん各学校においてである。

 とりあえず、何でも担任ということでは、経験の浅い教員には荷が重いだろう。ベテランだってしんどい。

 これは別に担任に楽をさせようということではない。そういう方向からの議論は無駄だ。そうではなく、「生徒ファースト」(最近の流行語を使ってみた)で考えた場合、担任ひとりが奮闘するより、学年なり分掌なりが組織的に関わっていったほうがいいのではないかという意味だ。
 冒頭の例でも、担任がにわか勉強で生半可な知識・情報を伝えるより、専門家なり、自分より詳しい先生の応援を得たほうが生徒のためになる。

 このテーマ、もう少し続きそうだ。
 
 おまけで私の担任歴。
 1年目 2年担任
 2年目 3年担任
 3年目 3年担任
 4年目 2年担任
 5年目 3年担任
 6年目 3年担任
 新任として赴任し、最初の6年間で4回3年生を担任した。おかげで卒業アルバムがいっぱいたまった。卒業後のクラス会によくお呼びがかかる。
 

コメント

コメントの投稿