「担任がすべて」を変えることの難しさ

 私は教員時代、「危険ですから半径3m以内に近寄らないでください」という看板を出した方がいいような人間だった。それでよく10年以上も先生をやっていられたものだ。
 自分の方から、スーッと生徒の中に溶け込んで行く? 無理無理、絶対にあり得ない。
 しかし、それが自然体で出来ちゃう先生もいる。うらやましいね。

 で、そういう先生から、「実は○○君、今こんなことで悩んでるんだよね」などと知らされることがある。
 あの野郎、担任のオレには何も言わないくせして。と、ちょっと腹立たしいが、自分は万能じゃないし、相性の問題だってあるしな。ここは一つ、他の先生の力を借りるか。「○○のこと、よろしく頼むよ」。

 こういうのは、担任として無責任なのか。
 私はこれでいいんじゃないかと思う。大事なのは、頼れる先生が一人でもいるということ。それが部活の顧問でもいいし、副担任でもいいし、教科の先生でもいいし、学年主任でもいいし、何なら校長先生でもいい。

 以上は、高校の話なのだが、中学校や小学校はなかなかこうは行かない。

 高校の場合だと、選択教科があったり習熟度授業があったりで、一日中同じメンバーで過ごしているわけではない。つまり、「生活集団」としてのクラスが、そのまま「学習集団」というわけではない。担任とは朝ショートホームルームに来て出席をとったら、それっきり顔を合わせないということだってある。

 ところが、小学校となると、朝から晩まで生活も学習も全部一緒。給食も掃除もいつも一緒。授業は、一部専科の教員が担当するにしても基本は担任。クラスというものが持つ意味合いも、担任の位置づけも全然違うのだ。

 よって、私が言う、一人の児童・生徒にみんなで関わろうという考え方は、小学校では難しいのかもしれない。子どもの年齢を考えても、複数の先生とうまく付き合うのは困難かもしれない。

 しかし、そうであっても、担任がすべて、担任がすべてを背負い込むという形だけは変えて行くべきだろう。

 余談だが、去年死んだおふくろが、「あんたたち兄弟は同じ先生でも、全然別の職業みたいだねえ」とよく言っていた。私の弟は小学校の先生。それは私も同感で、とてもじゃないがオレにはできねえと思っていた。

コメント

コメントの投稿