いっそ山でもかけてみろ

 「山を張る」とか「山をかける」という言い方がある。

 金山や銀山など鉱山の開発に際して、「山師」という職業の人が、勘と経験をたよりに鉱脈を発見するやり方。開発には巨額の資金を要するため、当たれば大儲け、はずれれば大損。そんなところから来た言葉だという説がある。

 最近の若い人はあまり使わないのかもしれないが、われわれの世代だと、試験のとき「山が当たった」とか「山がはずれた」とか言い合ったものだ。普段、ろくに勉強していないものだから、いざ試験となって何をやっていいかわからず、「エイッ、このへんだろう」と山をかけてそこだけを集中的に覚えて行く。

 まあ、ほとんど当たったためしはない。
 それはそうだ。元々は、プロが豊富な経験と勘をたよりに「山をかける」ものだ。ぐうたら学生には山が当たるという幸運は訪れない。

 そんなわけだから、「山をかける」というやり方は勧められないが、繰り返し言っているように、ある分野やある単元に時間を集中させるというやり方は悪くない。

 誰にだって、「ここが出されたらヤバいよな」という分野や単元があるだろう。それがたくさんある人と、少ししかない人という差があるだけで、完璧な受験生などいないのだ。
 やっかいなのは、「ここが出されたらヤバいよな」がたくさん有り過ぎる人だ。残り時間があまりにも少なく、どこから手をつけていいか分からない。
 そういう人が陥りがちなのが、「今さらいいや」というあきらめ。これは最悪だ。

 そんなふうになるぐらいなら、いっそ山でもかけてみろ。
 当たる見込みは少ないが、あきらめるよりはましだ。

 仮に山がはずれたとする。いや、はずれる可能性の方が高いと思っていたほうがいい。だが、がんばって勉強したことは、長い目でみれば無駄にはならないのだ。

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