パン屋じゃなく和菓子屋にしろ

 パン屋・和菓子屋論争。
 教科書検定の話である。

 正式な教科となる「道徳」。その教科書検定で、話題になったことがある。
 新聞報道等をまとめると以下のとおりである。

 ある出版社の小学1年の教材に「にちようびのさんぽみち」という話があった。
 おじいさんと散歩に出かけた少年が地元のよさを発見するという内容なのだが、その中にパン屋の前を通ったというくだりがあるが、これに対し文部科学省は、「郷土に愛着を持つだけでは伝統的な文化や生活に親しんだことにはならない」と指摘した。結果、出版社側は、パン屋を和菓子屋に修正した。
 文部科学省側は、具体的にパン屋がダメと指摘したわけではないと説明しているようだが、和菓子屋に修正した結果、検定に通ったというのであれば、パン屋を否定したも同然だ。

 パン屋がダメで、和菓子屋がいいというのは、誰もがツッコミやすい話題なので、ネットでも大いに盛り上がったのだが、要は、道徳を正式な教科として教えることに反対する人々がいて、それらの人々に、格好の批判材料を与えてしまったという話である。

 私は、学校に道徳の時間があってもいいと思う。ただし、消極的支持である。
 慣習とか道徳といった社会規範は、主に家庭や地域において、日々の生活の中で身につけて行くものだと思う。しかし、家庭や地域の教育力が低下した今、例によって、「では、学校で」となってしまうのはやむを得ないところだ。
 部活動や学校行事といった教科外の活動でということも考えられるが、それにはまた別の目的があるし、今やそれ自体が大きな課題をかかえており、道徳どころではない。

 そんなわけで、学校で道徳をきちんと学ばせようとすると、正式な教科という位置づけにせざるを得ない。
 正式な教科にしなくてもいいではないかという意見もあろうが、学校では、教科書もなければ、評価もしない教科は、「手抜き」と「息抜き」の時間になってしまうのだ。
 放っておくと、クラスの協力と連帯の心を育てるために校庭でドッジボールしたり、郷土を知るために本当にお散歩してしまったりするかもしれない。

 ついでだが、小学4年の教材では、「しょうぼうだんのおじさん」が「おじいさん」に修正された。「高齢者に、尊敬と感謝の気持ちをもって接すること」が大事と教えるためらしいが、火事になったときは、「おじいさん」より「おじさん」の方が頼りになりそうだ。で、この「おじさん」、ふだんはパン屋さんをやっているという想定だが、こっちは和菓子屋じゃなくてもいいみたいだ。

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