新聞は書いてナンボ、書かずにナンボ

 知り合いの元新聞記者から聞いた言葉。
 「(新聞記者)は書いてナンボ、書かずにナンボ」。

 売り出したいタレントがいたとする。そこで、事務所やマネージャーに、「じゃあ、今度なんか書いておきますよ」。
 これが書いてナンボ。
 タレントがちょっとしたトラブルに見舞われた。事務所やマネージャーは書かれたくない。「じゃあ、今回は目をつぶりますよ」。
 これが書かずにナンボ。

 もしかしたら実際に金が動く場合もあるかもしれない。そこまではないにしても、こうして恩を売っておけば、いつかどこかで見返りがある。
 
 芸能やスポーツの世界だと、取材する側(マスコミ)と、取材される側(タレントやスポーツ選手)の間に、このような関係が生まれやすいが、それによって、われわれが直ちに不利益を被るかというと、それはない。まあ、どっちでもいい問題だからだ。

 しかし、これが政治や経済などの世界で起きていたとしたら、笑って済ますわけにはいかない。

 マスコミには「報道する自由」と「報道しない自由」がある。もちろん、限られた時間、限られた紙面での報道であるから、「この件は大きく報道しよう」、「これは小さく」、あるいは「取り上げないようにしよう」という判断があっていいわけであるが、かれらが、この二つの自由を行使して、自らが目指す方向に世論を誘導しようとしていた場合、われわれは、対抗する手段を持たない。

 たとえば、このたびの加計学園の問題であるが、テレビを見ていると、「安倍首相が長年の知己である学園理事長に便宜を図った」というストーリーにしたがってニュースや番組が作られていることがわかる。
 そんなことがあったかどうか私には分からないので、そこを詳しく調べて報道してもらいたいのだが、そういう作りにはなっていない。

 大学新設には、民進党議員も奔走していた(高井たかし議員)。
 新たな学部新設を、既存の大学や獣医師会が阻止しようとしていた。
 国会で真っ先に取り上げた民進党・玉木雄一郎議員の父は獣医師で、自らも獣医師会から献金を受けていた。
 
 これらは、いずれも法を犯すようなことではないが、最初に描いたストーリーには合わず、むしろストーリーを崩壊させる材料なので一切触れない。

 マスコミには権力の腐敗をチェックしてほしいのである。マスコミ頑張れと世間が応援する世の中のほうが、われわれにとって好ましいと思う。
 だが、今のマスコミにはちょっとガッカリだ。別の意味でマスコミ頑張れ、しっかりしろと言いたい。

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