画一も悪いことばかりじゃない

 「画一性」の対義語は「多様性」、「画一的」の対義語は「個別的」。こんな理解でいいだろうか。
 いずれにしても今日、「画一(かくいつ)」というのはあまり良い印象を持たれているとは思えない。似たり寄ったりで、特色や個性がなく、みんな一緒でつまんねえ。

 そんな可哀そうな「画一」であるが、少しは肩を持ってやろうじゃないか。
 そこで、「画一」にだってそれなりに良い点もあるぜというのが今日の話である。むろん、教育にからめての話だ。

 私は、公立学校の良さは「画一」にあるんじゃないかと常々思っている。
 日本全国どこに住んでいても、ほとんど差のない費用で、だいたい同じような教育が受けられる。これは大事なことだ。
 だから、公立学校にとって「画一」は否定されるべきものではなく、むしろ目指すべき目標と言えるのである。

 むろん、それぞれの公立学校が、特色や個性をまったく出してはいけないということではないが、「画一」は使命であり責任であるから、まあ、7割8割が「画一」で、残りの2割3割で特色や個性を出して行く。そんなイメージだろうか。

 では私立学校はどうか。
 私立学校も広義の公教育を担う存在であるから、「画一」から完全に逃れることはできない。相当額の税金が投入されているんだからね。これは仕方がない。
 私立A校と私立B校では、まったく似ても似つかない教育が行われているとしたら、これはこれで困った問題になるのである。

 私立学校にも一定程度の「画一」があるから、受験生・保護者の選択が可能になるのであって、それがないと、学校選択はむしろ困難になる。
 私立A校を選んでも、私立B校を選んでも、それほど極端には変わらないよという安心感も必要なのである。ただ、公立学校に比べたら、「画一」の範囲は狭く、特色や個性の範囲がずっと広い。
 ということで、ここでも「画一」は完全に悪者というわけではなく、むしろ必要な条件ということになる。

 以上、何かと分の悪い「画一」を擁護してみた。

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