組織がそれ自体の目的を持ち始めることの危険性

 森友問題は何となくうやむやのまま終わってしまった。加計問題も同じ運命をたどりそう。
 要はこうした問題を取り上げ、国会審議を遅らせ、「テロ等準備罪」を含む「組織犯罪処罰法改正案」を廃案に追い込もうというのが野党・民進党の作戦なのだ。

 国会は国権の最高機関であり、国の唯一の立法機関であるというのは、中学生でも知っている基本中の基本の知識。つまり、法律を作ることが国会のお仕事なのだから、これをサボっている国会議員たちを、もっと厳しい目で見なければならない。
 本来の責任をちゃんと全うしろよという話。

 それはさておき。
 今回の騒動を機に、「役所にどこまでの権限を持たせるべきか」をいま一度考えてみるべきではないかと思う。

 われわれは、ある目的を持って組織を作る。ある必要性と言ってもいいだろう。何かをしなければならないから、何かをしたいから組織を作るのである。その「何か」が無ければ、組織なんて作る必要はないのだ。

 ところが、放っておくと組織はそれ自体の目的を持ち始める。作られた本来の目的を忘れ、組織の存続や組織の権限拡大を目的とするようになるのだ。悪意はなくても自然にそうなってしまう。
 だから、組織を作ったら、その存続については絶えず見直しを図らなければならないし、権限の拡大については警戒を怠ってはならないのである。

 文部科学省なんて要らない。
 と、そこまでの極論を述べるつもりはないが、いったん作られた組織は、権限拡大の方向にしか進まないから、われわれは常に縮小だけを考えて、監視し行動すべきなのだ。
 前にも言ったが、会社の数だとか、職業の数だとかを役所がコントロールする国でいいのか。質の向上、質の保証まではいいが、量のコントロールは市場の判断に委ねるべきだろう。


 話は学校のことになるが、私はよく、何か新しい校内組織を作るときは、解散させる時期を明記してから始めたほうがいいとアドバイスしている。
 「〇〇対策委員会」、「〇〇向上委員会」とか、ある目的を持ってプロジェクトが発足する。そこまではいい。
 ところが、前述したように、いつの間にか、組織はそれ自体の目的を探し始める。用が無くなっても存続し続ける。
 先生たちは真面目なので、「委員会として何かやらなければならない」と考えるのであるが、そんなものは本来ないのだ。
 一つ作ったら、一つつぶすという発想にならないと、余計な仕事が増えるだけだ。

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