大学の新設認可は、レースへの参加を認めるだけ

 「面従腹背」(めんじゅうふくはい)。
 表面では服従するように見せかけて、内心では反抗すること。

 前文科省事務次官・前川喜平氏の「座右の銘」(ざゆうのめい)ということだ。
 なるほど。文科省というところは、こんな考えの人がトップに立っていたんだ。
 こんな考えの人ばかりとは思いたくないが、官僚のいやらしさが表れていて、こうやって書くこと自体、気分のいいものではない。

 それはそうと、加計学園の問題なのだが、これまであまり語られていない点を指摘しておこうと思う。(実は語られていて、私だけが知らない可能性もあり)

 当たり前の話だが、大学の新設が認可されても、それだけで成功というわけではない。
 というのは、これから学生募集が始まり、結果として学生が集まらないという可能性もあるからだ。
 つまり、新設の認可は、学生募集レースへの参戦を認められたということに過ぎず、勝利が約束されたわけではない。

 愛媛県や今治市からの支援があるとはいえ、加計学園自身も100億円近い投資を行うわけだから、大きなリスクを負うことになる。
 理事長が安倍総理の知り合いだから優遇されたのではないかという点にスポットが当てられているが、仮にそうだとしても、レースへの参戦についてだけで、いざレース(=学生募集)が始まれば、総理の知り合いだとか友達だとかはまったく関係なくなるのである。

 大学の新設は国(文科省)が、それ以下の学校は都道府県が、認可するのであるが、なぜ、そのような制度をとっているかというと、教育の質を保証する必要があるからだ。
 学校を作りたいという人が、何の規制もなく自由に作れるとしたら、ちょっと、いや相当おかしな学校もできてしまうんじゃないかという不安がある。

 まあ、入学してみれば、そのうち分かることだが、被害が出てからで遅すぎる。だから、レースへの参加資格を厳しくするのは受験生のためでもある。
 しかし、文科省がやろうとしてきたのは、量の制限である。ここがおかしい。

 もし、質の高い大学が新設され、そこに学生が殺到したら、既存の質の低い大学が淘汰されることになり、全体のレベルは上がるわけである。これは悪い話ではない。
 
 加計学園の件で言えば、レースへの参加資格を満たさない大学、すなわち質の低いと思われる大学を総理の圧力で認可させようとしたのであれば、そこのところが問題になるのである。

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