個人塾経営は「一人、一代、一教室」の覚悟が必要

 私は大手塾と組んでテレビや新聞の企画をやる一方で、いわゆる個人塾の塾長たちとも仲良くやっている。
 つまり、どっちにもいい顔をしているわけである。
 ついでに言えば、公立高校の校長たちとも付き合い、私立高校の校長たちとも付き合っている。

 八方美人?
 まあ、そうかもしれないが、ビジネス上の立ち位置として、それを選んでいるのである。つまり、どっちにもいい顔をしておかないと商売が成り立たないのだ。
 そんなわけだから、「やつが言うことは信用ならん」などと言われることもある。
 だったら、聞いてもらわなくて結構。偉そうな言い草だが、この歳になって今さら路線変更はできない。私の人生のゴールはもう目の前なんだから、そういう文句はもっと若い連中に言ってくれ。

 個人塾の醍醐味(だいごみ)。
 今日はその話をしようと思うが、ちなみに醍醐味とは本当の面白さという意味だが、元々は仏教用語だ。

 個人経営の醍醐味は、そのまま顧客にとっての魅力にもなる。

 個人塾の塾長の中には、「大手ができないことをやる」などと言っている人がいるが、私が知る限りでは、大手が能力的にできないことなんてない。その気になれば何だってできる。ただ、ビジネス上の採算を考えてやらないだけだ。
 しかしこれは、大手にはどうしても拾い上げることができないニーズがあるということだから、その意味で「大手ができないことをやる」なら、戦略として間違ってはいない。

 塾長の個性がそのまま塾の個性である。
 自分の個性をそのまま塾の看板にしていい。個人塾の醍醐味はこれに尽きる。
 裏を返せば、何の個性も発揮していない塾長が経営する塾は、まったく特徴のない塾ということになる。

 大手塾にあって、各教室の教室長が自分の個性を前面に出すことは許されない。本社・本部の方針の中で限られた個性しか発揮できない。しかし、それはまた安心感にもつながるのであり、大手の特徴にもなっているのである。
 マクドナルドはどこに行っても同じ味というのは重要なことなのだ。

 塾業界は、どんどん大手による寡占化(かせんか)が進んでいる。そのあおりで個人塾の中には、店をたたむところも増えている。塾長自身の高齢化なども一つの理由だが、要は生徒が集まらなくなったということだ。

 個人塾は、「一人、一代、一教室」。
 塾長一人の個性で集めているんだから、講師を雇ってもいいが、基本的には一人で全員を教える覚悟が必要。人を使うなんて思うな。全部自分でやる。
 塾長の個性は他人に引き継げないから一代限りと割り切ること。息子や娘に継がせてもいいが、継いだ本人は親とは違う個性を発揮することになる。
 多店舗展開は個性が薄まるだけ。目が行き届く一教室で踏ん張る。どうしても教室展開したいのなら「教える人」をあきらめ、「経営する人」に徹し、なおかつ自分の個性は引っ込めるしかない。

 「一人、一代、一教室」。
 この覚悟を決めた塾長のところに、お客は集まる。

コメント

惚れ込んだ塾長

息子3人を近所の個人塾へ中3の1年間通わせた。長男の時。入ってひと月もしないうちに息子の性格、勉強への姿勢など、すぐ掴んで、褒めて伸ばすところ、尻を叩くところなど柔軟に対応してくれた。
塾に入っても魔法はかからない。ただの伴走者、やるのは本人。とつねに考えが一貫しているので、我が家にぴったりだった。塾長に惚れ込んだ。次男も三男もお世話になった。我が家は貧しいが、中学の勉強つまり、基礎をしっかりたたきこめば、高校で予備校へ行かずとも志望校へ合格できるはずだと信じ、必死に1年間の塾代を捻出した。ただし大学受験の予備校代は出せない、と子供に宣言した。
結果として、自主学習と高校の先生がたの補修のおかげで長男、次男は志望大学にに合格している。この春三男も志望の高校の合格を勝ち取れた。
狭い教室でクタクタになるまで勉強する経験をさせてくれ、良心的な月謝で、値上げも僅かだ。こういう塾との出会いは息子たちの今後の人生にも大きく影響すると思う。おそらく一代でおしまいになるかもしれない塾だが、我が家の救世主であったことは間違いない。

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