塾では入試に出ないことは教えなくていい

 学校の授業と塾の授業の違い。

 学校の授業では、入試には出ないと分かっていても教えなければならないことがある。塾の授業では、入試に出ることだけを教え、出ないと分かっていることは教えなくていい。
 学校の授業には学習指導要領という縛りがあるが、塾には何の縛りもない。それに、塾の授業時間数は学校より少ないのだから、選んで教えないと時間が足らなくなる。

 社会科公民では日本国憲法を教えるが、いまだかつて第1章、第2章から出題されたためしはない。(関東地方1都6県の調査)
 第1章は「天皇」で、ここに「国民主権」のことが書かれている。第2章は、言わずと知れた「戦争放棄」である。
 では、学校の授業でこれらに触れなくていいかというと、そうは行かない。「国民主権」、「平和主義」、「基本的人権の尊重」を日本国憲法の三大原理と教えるわけだし、教科書には象徴天皇制のことも自衛隊のことも日米安全保障条約のことも出ているからだ。

 教科書に書いてあるのに、なぜ入試には出ないのか。その理由を述べると長くなりそうなので別の機会に譲るが、読書の皆さんには大方想像がつくことだろう。

 ここ数日同じような話が続いているが、塾の指導には「費用対効果」の考え方があっていい。塾はビジネスであるから、経営面では言われなくてもそうしていると思うが、ここで言っているのは、指導面においてである。

 「費用」は、「学習に投じた時間とエネルギー」である。
 「効果」は、「得点や偏差値」である。
 「費用」に見合った「効果」が得られなければ、塾の存在意味がない。

 高校に入ってから伸びるように、大学・社会人になってからもっと伸びるように、学びの本質に迫った指導をしたい。子供の指導に関われば誰しもそう思うに違いない。
 自主性も持たせたいし、自立心も育てたいし、協調性や他人を思いやる心も育てたい。礼儀だって身につけてやりたい。根性もつけてやりたい。

 ただしこれらは、塾の目的ではなく、得点や偏差値を上げるための手段である。
 「費用」に見合った「効果」をきっちり出してやるぜというのが塾のプライドというものだろう。

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