長文の要旨が見る見る「明らかに成る」神授業

 昨日の授業見学レポートを書いておこう。
 花咲徳栄高校国語科・鈴木明成先生。教員25年目。

 国語の授業というと、生徒の机上には辞書とか便覧とかいろんなものが所狭しと並ぶものだが、この授業では教科書だけ。
生徒はノートすら出さない。
 後で分かったことだが、生徒は「読んで」、「考える」ことだけを求められており、黒板を写すという作業から完全に解放されているので、その必要がないのだ。

 村上陽一郎の「科学者とは何か」を題材とした2年生現代文の授業。対象は理系の生徒。11人の生徒が2グループに分かれ、机を寄せ合って学ぶ、アクティブラーニング形式。

 授業は、本文を段落ごとに読み、その都度要旨をまとめるということの繰り返し。実にシンプルな展開だ。
 このやり方、経験の浅い先生だと、たぶん30分と持たない。こういう単純な繰り返しは、そのうち生徒が飽きるからだ。見ている私だって正直、「おいおい、これずっと続けるのかよ」と思ったくらいだ。

 ところがどっこい、授業の後半に向けて、気分がどんどん盛り上がってくるのだ。なぜかと言うと、「鈴木式読解法」を用いると、小難しい論文がスイスイ読み解けてしまうからだ。そりゃあ、「よし、次行こうぜ」って気持ちになるよな。

 「鈴木式読解法」というのは私が勝手に名付けたのだが、もしかしたら苗字よりも名前にちなんで「明成式読解法」のほうがいいかもしれない。文字通り「明らかに成る」からだ。
 私の理解に誤りがなければ、「明成式読解法」の肝(きも)は、文章の最小単位である単語(語句)や文節に着目することだ。先生は重要語句のことを「部品」と呼んでいたが、それを見つけ出してつなげれば要旨はつかめるでしょうというわけだ。

 授業中、ときどき「部品」を見つけ損なって見当違いな答えを発表する生徒も出てくるが、そういう時、先生は頭から生徒の答えを否定することはしない。「そうですね」とまず受け入れる。次に、「では、これはどう?」「ここは、どうなる?」といった質問をぶつけながら、生徒自身が答えを修正する方向に誘導する。が、ここまではある程度年季の入った先生なら誰でもやる。難しいのは、こういう場面で授業の流れを止めないことだ。

 鈴木先生の授業は、生徒が読む時間、考える時間、仲間と意見を交換する時間、発表する時間、先生が解説する時間。これらのバランスが絶妙で、流れるように授業が進んで行く。これはちょっとやそっとで真似できるものじゃないな。最近流行りの言い方をすれば「神授業」ってやつだ。
 ということで、人前で講義をすることの多い私にとっても大いに勉強になる授業であった。

 花咲徳栄鈴木明成先生


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