不寛容は日本人の本性なのかもしれないという不安

 私が「寛容」という言葉を覚えたのは、たぶん小学生の頃、当時の池田勇人首相が政権のキャッチフレーズとして「寛容と忍耐」を掲げたからだろう。小学生なので意味は分からなかった。

 あれから40年、いや50年かな、今の日本はどうも不寛容な世の中になってしまったようだ。
 小さなミスをあげつらい、徹底的に攻撃する。いくら反省しても「謝って済む問題じゃない」とさらに追及し、ついには相手を再起不能なまでに追い落とし留飲を下げる。いい趣味じゃないよな。

 不正は許さない。それはいいだろう。不正に寛容な世の中では困る。
 だが、法を犯したわけでもないミスには、もうちょっと寛容であっていいのではないか。

 昔は、世の中もっと寛容だったというのは、学問的に研究し検証した結果ではなく、ただの印象である。普通に考えて日本人のメンタリティーが、そう急に変わるはずはないのである。
 もしかしたら今日ほど通信手段が発達していなかったので、個人が犯した小さなミスなど誰も気づかなかったのかもしれない。知らなきゃ攻撃のしようもないからね。

 つまり、前言を翻すことになるが、不寛容な世の中になったのではなく、不寛容が表面化する世の中になったというのが正当な見方ではないかと思うのである。

 不寛容はもともとわれわれの心の中にあり、いつでも「許せね~!」と一斉攻撃する準備はできていたが、「許せね~」ことがなかなか伝わって来なかった。だから、結果として寛容な世の中であったように記憶されているのではないかというのが私の見立てだ。
 われわれは、もともと寛容であったわけではなく、世の中のさまざまな進歩発展の中で、本性がむき出しになった。

 もし、この見立てが当たっているとしたら、昔は良かったなどと寝言をほざいている場合ではない。今こそ寛容な心を育てなければならない。まず大人からな。

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