親が勉強が得意かどうかだけで子供を見ているようじゃ不幸だ

 長いこと取引を続けている会社の社長が来社した。
 娘がこれから高校受験(埼玉県ではない)だという。
 「で、どこ受けるの?」
 「いや、うちの娘あまり勉強は得意じゃないんで…」と、言いづらそう。

 でも、私がその分野の仕事をしているのは知っているから、
 「○○高校に行きたいって言うんです。あっちこっち回ってずいぶん調べたみたいで…」と、娘の志望校を遠慮がちに口にする。

 私は思った。
 わが子が、自分の足で学校を回り、話を聞き、自分の目で見て決めた学校に何の不足があるというのか。
 親はその決定を認め、讃え、応援すべきではないか。
 勉強が得意じゃないのは決して恥じることではない。恥じるべきは得意を何も持たないことであり、持とうとしないことである。
 聞けば本人、高校に入ってやりたいことがあるという。なおかつ、将来やりたい仕事があり、そのために行きたい大学すら口にしているというではないか。
 中学生でここまで考えられりゃ立派なもんだ。いい育て方をしたよ。

 そもそも、世の中には勉強が大好きで得意で、っていうやつは1割か2割もいれば十分なのである。
 世の中には、そういう連中に適した仕事がちゃんと用意されているから、そこで活躍してもらえばいい。

 しかし、世の中というものは、勉強が大好きで得意な連中が担う仕事だけでは回って行かないのである。早い話、スポーツや芸術の天才やスターだって欲しいだろ。
 私が昔やっていた学校の先生だって、勉強が大好きで得意である必要なんて全然ないからね。大嫌いじゃ困るという程度だ。ただし、子供が大好きとか、人の成長を見るのが楽しみとか、そういった資質というか人間性は求められていて、その点では他に抜きんでている必要はある。
 
 親の持っている定規が、勉強が得意かどうかしか計れないものだとしたら子供は不幸だ。「オマエは偏差値低いからバカ」、となる。

 その子が、歌が得意で大好きでと言ったら、これはもう偏差値を持ち出しても意味はない。絵が好きだ。動物が好きだ。水泳が得意だ。料理が得意だ。さあ、偏差値で計ってもらおうか。

 入りたい学校がある。入ってやりたいことがある。そこが一番大事なところであって、次に、じゃあそのためにあと何週間か頑張ろうじゃないか。そういう話だろ。

 今日は雪が降るって話もあるから、早く家に帰って、娘にそう伝えてくれ。

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受験生・保護者の皆さん、学校や塾の先生方に最新情報をお届けします。ただし、結構頻繁に受験と無関係の話も。

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