FC2ブログ

忘年会シーズン? どこの話だ

 ※昨日の疲れが残っているので、ほぼ雑談

 忘年会シーズン。
 最近の若い人のことはよく分からないが、私の世代だと忘年会の数を自慢するやつがいるんだよ。

 「見てよ、この日程」
 とか言って、忘年会予定がギッシリの手帳を広げて見せる。手帳ってところがすでに古いんだけどね。スマホにしろよ。

 「もう、身体が持たないよ」
 年も年なんだから、少しはセーブしたら。
 「いや~、いろいろ柵(しがらみ)があって、あっちに出てこっちに出ないってわけには行かないわけよ」
 顔が広いっていうのも考えもんですな。
 「そうそう。ちょっとは減らそうと思ってるんだけどね」

 私は別に、忘年会がダメだと言っているわけではない。お好きな人はお好きなだけどうぞ。ただ、お座敷の多さを自慢げに語るのはみっともないからおよしなさいと言っている。

 私たち昭和世代には、どこか「多忙」を評価するような風潮があって、それゆえ、ことさら「多忙」を自慢するような輩が現れるのだが、こういうのはそろそろ卒業したほうがいい。このブログでしばしば働き方改革に触れているが、いくら制度や法律が改まっても、「多忙」が自慢になるような世の中じゃダメでしょう。

 そう思うので、私は「暇」を売り物にしている。
 忘年会? はい、いつでもいいですよ。日程全部空いてますから。

 と、言っているにも関わらずどこからも声がかからない。
 誘われれば断らないのだが、どうも私と一緒に飲んでも面白くないと思っている人が多いようだ。
 「一応、声かけます?」
 「いや、アイツはやめとこう」
 こんな感じ。

 遅くまで酒を飲むより早く寝たいほうだから、好都合ではあるが、寂しい年末じゃないか。

「自己ベスト更新」にこそ真の価値がある

 受験は競争だ。
 ライバルより1点でも多く取る競争だ。
 これは仕方ない。と言うか、ある意味当然のことだ。

 しかし、他人を上回ったかどうかと同時に、「今日の自分は、昨日の自分を上回ったかどうか」という視点を忘れてはいけない。別の表現をすれば「自己ベストの更新」だ。

 ライバルに1点負けた。しかし、自己ベストを1点更新した。
 これは勝ちなのか負けなのか。
 もちろん大勝利である。
 私が実際に教える人だとしたら、大絶賛するであろう。

  「よく頑張ったが、上には上がある」と言いたい気持ちをグッとこらえ、「やったじゃないか自己ベスト更新だよ」と、ただそのことだけを褒めたたえる。

 若いうちに勝負には2種類あることを徹底的に教え込んでおいたほうがいい。
 「VS他人」と「VS自分」。 
 そして、たぶん(「VS自分」>「VS他人」)であるということも。

 誰か大人が大喜びしてやらないと子供は気づかない。
 「やったじゃないか自己ベスト更新だよ」と褒めても、最初は「気休め言ってんじゃないの」と疑うだろう。小学生ならまだしも中学生になればそんなものだろう。だから、本気で喜ぶ。その都度繰り返し喜ぶ。
 そのうち、もしかしたらこれは本当のことかもしれないと思うようになる。価値観が形成されるのだ。

 ネットを見ていると、「どこそこはバカ学校だ」などと匿名をいいことに言いたい放題の子がいるが、そういう自分も似たり寄ったりの学校なんだろう。他人を引きずり降ろすことで、ちょっとでも上に立ちたいという心理だね。
 勝負には「VS他人」しかないと教わってくると、こういう人間が出来てしまう。これが一生続くとしたら、こんな不幸なことはない。

 私は、他人を上回る必要はないとか、そのことに価値がないと言っているわけではない。勉強だろうが仕事だろうが、そういう場面は訪れるものだ。
 しかし、その前に「自己ベスト更新」である。「今日の自分は、昨日の自分を上回ったか」、すなわち成長である。
 偏った価値観しか持たない子を育てると本人が不幸であるだけでなく、世の中も迷惑する。


 追伸:自己ベスト更新!
 「加須こいのぼりマラソン」(ハーフマラソン)に参加。2週連続のレースはきついかと思ったが、1時間58分40秒。おやおや、先週より早いではないか。生涯自己ベストには遠く及ばないが、65歳過ぎてから2時間切りがないので「65歳オーバー自己ベスト」だ。これは評価してやらなければいけない。
 

マラソン大会やりたくねえは学校側も同じだよ

 マラソン大会がない学校に行きたい。
 プールがない学校に行きたい。
 昔も今もそういう子はいるね。
 まあ、授業のない学校に行きたいと言わないだけましというものだ。

 マラソンやプール(水泳)は「やりたくねえ」というのは、苦手な子の気持ちになれば、そうだろうなと思うが、実施する学校の側も別の意味で「やりたくねえ」のだ。

 まず、今どき学校周辺にコースを設定するのが難しい。
 信号がない。交通量が少ない。適度な道幅があって歩行者の迷惑にならない。そういう場所を選んで1000人とかそれ以上の生徒を5キロ、10キロにわたって安全に走らすことのできる場所なんて、ほとんどない。交通事故起きたらどうすんのよ。
 どこかの河川敷や大きな公園にでも出かけて行くしかないね。

 それと、マラソンには身体面での危険も伴うからね。プールもそうだけど。
 というわけだから授業で持久走はやるにしても、大会はやらなくていいんじゃないのというのは、学校の側も同じだよ。

 前にも書いたことだが、今度の日曜日(12月2日)に「加須こいのぼりマラソン」という大会があるが、ここには県立不動岡高校と開智未来高校の生徒が参加してくる。校内マラソン大会を兼ねているのだ。交通規制された公道を警察官やボランティアスタッフに守られて走るんだから、こりゃ安全だ。
 どうしても大会やりたいんなら、近隣で行われる市民マラソンに便乗するというのも一つの手かもしれない。
 (ここで、不動岡高校の名誉のために言っておきますが、この大会がまだ人気がなく出場者も少なかった頃に、主催者の方から持ち掛けられたというのが真相のようで、便乗という言い方はこのケースには当てはまりません)

 環境の面からも、安全の面からも、また授業時間確保という面からも、学校行事は廃止や縮小の方向に向かっているが、私は古いタイプの人間だから、学校行事や部活といった授業以外の活動の意義も捨てきれない。

 ただし、昔ながらの行事を昔のままに実施するのは無理があるので、時代にあったやり方、あるいは時代に合った新しい行事を考えてほしいと思うのである。

二刀流・大谷選手の帰国を機に「二足の草鞋」について考えてみる

 大谷翔平選手が帰国している。あの「二刀流」の大谷選手ね。
 「二刀流」は、元々は剣術の言葉だが、酒も飲むが甘いものが好きな人のことを「二刀流」などと言っていたから、もちろん大谷選手以前からある言葉だ。

 来年あたり、学校案内に「目指せ“二刀流”」なんてフレーズが登場するよ。文武両道や文武不岐に代わって「二刀流」。
 いや、もしかしたら、もう使われてるかな? 

 ところで、似たような表現に「二足の草鞋を履く」(にそくのわらじをはく)というのがあるから、今日は中学生のためにそれを紹介しておこう。

 江戸時代に生まれた言葉だね。
 博徒(ばくと)と十手(じって)をあずかる岡っ引きを兼ねるという、あり得ない職業の組み合わせ。現代で言えば、反社会的勢力(暴力団)兼警察官みたいな感じ。
 どうも、始まりはあまりいい意味ではないようだ。

 それが次第にいい意味でも使われるようになった。ただ、同業・同種の仕事の場合は使わないという暗黙のお約束はあった。ルーツがあり得ない組み合わせだからだ。

 塾講師をしながら家庭教師。
 塾講師をしながらお勉強系ユーチューバー。
 こういうのは単なる兼業とか副業だろうね。本来の「二足の草鞋」ではない。

 しかし、最近は二つやってりゃ同業・同種であっても、みんな「二足の草鞋」。
 そして、二足の草鞋を履いていると、「二つも仕事を持って大変ですね」とほめられたり、尊敬されたりする。

 そこで、だ。
 中学生諸君が、将来二足の草鞋を履いて、人々から尊敬されるためにはどうしたらよいかを、一足しか履いていない私がアドバイスしておこう。

 当たり前のことだが、一足だけでも尊敬されるぐらいの人間になることだな。片足だけとか、中途半端に二足なんていうのは尊敬の対象にならない。
 それと、大事なのは意外性ってことだ。
 一足目と二足目は、かけ離れていればいるほど尊敬されるんだよ。

 たとえば、医者と弁護士。
 まあ、あり得ない組合わせではあるんだが、どっちも「頭がいいから」でまとめられそうじゃないか。組み合わせるなら格闘家のほうがベターだ。

 さあみんな、意外性を目指そうぜ。
 意外性のある「二刀流」、あっと驚く「二足の草鞋」。
 
 僕は理系だから英語は出来ませんとか、私は文系なので数学はダメですとか、何を言ってやがる。今から、狭い殻の中に自分を閉じ込めてどうする。
 と、最後はいつものお説教で締めておいた。

きれいなノートを作って勉強した気になってる子はいないかな

 以下は、弊社発行「埼玉県公私立高校進学ガイド2019版」の中の、「基礎からわかる高校入試」からの転載である。

 成績を上げたかったら、今すぐノート作りをやめることだ

 見た目に美しいノートを作ることに熱心な子がいる。
 学校で書いたノートをわざわざ清書したり、参考書などを見ながらまとめのノートを作ったり、とにかくノートがきれいに出来れば満足で、しかも、これが立派な勉強だと思っている。

 筆者は教員時代、「ノート作りに時間をかけるな」と、何度注意したことだろう。そういう子は例外なく成績が伸びないのである。
 伸びない理由は明白だ。それは単なる作業だからだ。時間をかけてノート作りという作業をしているだけだからだ。

 「うちの子、時間だけはやっているのに全然成績が伸びないんです」などと、親から相談を受けるが、当たり前の話だ。どんなに 長時間やっても、単純作業で成績を伸ばすことはできない。
 成績を上げたいなら今すぐ、意味のない作業をやめるべきだ。
 
 「でも、やらないよりやった方がいいんじゃないですか」 
 このセリフ、大人も結構使う。意味のないことは止めろと言っているのに、やった方がいいとはどういうことだ。人の言っていることが全然理解できていない。頭の良くない証拠だ。

 「ノートを整理すれば、頭の中も整理できるんじゃないですか」
 話の順序が逆だろう。頭の中を整理して、その結果をノートに書くなら別だが、ノートをきれいに書いても、頭は整理できない。

 「書いているうちに覚えるということもあるんじゃないですか」
 なるほど、もっともそうだ。いつの間にか自然に覚えてしまうこともあるだろう。学校のノートを清書するという、ほとんど頭を使わない作業であっても、少しは記憶に残るかもしれない。だが、長い時間をかけて、結果として少しは覚えていたという程度でいいのか。受験勉強がその程度のものでいいのかという話だ。

 というわけで、繰り返し言うが、ノート作りは意味がない。
 君たちは今、意味のない作業に膨大な時間をかけられる状況ではない。
 ノートは自分自身が読めて、理解出来れば十分なのだから、改めて清書する必要はない。ノート作りに費やす時間を問題練習にあてたほうがいい。

 一度ノートを整理してから問題集でもよさそうに思えるが、なにせ時間がない。入試は3年後ではなく半年後だ。のんびりと作業にいそしんでいる場合ではないはずだ。





プロフィール

梅野弘之

Author:梅野弘之
受験生・保護者の皆さん、学校や塾の先生方に最新情報をお届けします。ただし、結構頻繁に受験と無関係の話も。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
当ブログを訪問された方
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード