冬季五輪、私の中でいまいち盛り上がらない理由は

 冬季五輪やってるね。
 遠いヨーロッパじゃなく、お隣韓国なんだが、いまいち盛り上がりに欠ける(私の中では)。

 雪と氷が条件なので、開催地も参加国も強豪国も、北半球に限られている。
 IOC(国際オリンピック委員会)も、そこは何とかしなくてはと考え、前回はソチ(ロシア)、今回は平昌(韓国)、次回は北京(中国)と、今まで一度も開催したことのない都市を開催地に選んでいるが、世界は雪の降らない国の方が多いから、自ずと限界がある。

 そこで、競技種目を多くして何とか大会を盛り上げようと、今回の平昌では何と100を超える競技が行われる。
 1972年の札幌五輪では30数競技だったから、ほぼ半世紀で3倍に増えている。スキーのアルペンやクロスカントリー、複合などは相変わらずだが、昔はなかった団体戦が行われるようになった。スケートも然り。

 競技種目の増加に貢献しているのは、カーリング、フリースタイルスキー、スノーボードなのだ。これらが加わって種目が一気に増えた。
 競技としての歴史が浅く、競技人口もそれほど多くない新種目が加わったことで、私のような古い人間は、かえって興味がそがれてしまう。
 個人的に盛り上がらないのは、見たことのない競技に、見たことのない選手が参加している大会だからだろう。

 が、そうは言っても、日本選手を応援する気持ちはあるわけで、複合の渡部暁斗選手、スピードスケートの小平奈緒・高木美帆選手あたりには金メダルを期待したい。
 フィギュアの羽生結弦選手は故障明けのぶっつけ本番、スキージャンプの高梨沙羅選手は今シーズン絶不調ということで、実力は折り紙付きだが、ちょっと厳しいか。

 1998年、地元長野で複数の金メダルを獲得して以来、2002年ソルトレークシティーは無し、2006年のトリノは荒川静香選手の1つ、2010年のバンクーバーは再び無しで、2014年のソチは羽生結弦選手の1つというのが日本の過去の戦績であるから、金1つでも大変なことだ。誰でもいいから、1つは取ってくれ。

制服アルマーニなら、ランドセルはヴィトンだろ

 小学生の制服(標準服)にアルマーニか。
 じゃあ、ランドセルはルイヴィトンだろ。あればの話だが。

 銀座にある中央区立泰明小学校。歴史の古い学校である。たしか数寄屋橋の近くにあったが最近は銀座なんぞに行く用事もないしよく分からん。
 中央区のHPで調べたら学級数12、児童数334とあった。1学年2クラス(30人学級)ってとこだ。
 なお、特認校という制度を採用しており、条件付きで学区外からの通学も可能だ。

 で、この学校が、標準服としてアルマーニ(最高で8万円かかる)の採用を決めたということで物議を醸している。

 ベルサーチじゃダメなんか、日本にも山本寛斎とか森英恵とかコシノブランドもあるじゃないか、英国屋のオーダーって手もあるぜとか、とりあえず知ってる名前をあげて一人盛り上がってみるが、そこそこにして少しは真面目に考えてみるとするか。

 すでにいろんな方がコメントを出しているので、それらと被らない私の意見を述べておこう。意見というより感想かな。

 最近は、公立学校でも「特色化」というものを迫られている。親や児童生徒はそこまで考えちゃいないが、少子化が進む今、私立との競争もあるから、文科省や教育委員会からそういう圧力がかかるんだろう。主に校長に。
 そんな中で、いわば学校の特色化の一環として、制服での差別化を考えた。こんなところだろう。

 完全に一周遅れの発想だ。
 たしかに、「制服がカワイイ」からというのが学校選びの決め手になるというのは昔も今もある。ただ、これはもう一巡してしまったんじゃないか。小学生にアルマーニというのはそれなりにインパクトがあったが、発想として貧しいし、かなり遅れている。
 もっと歴史や伝統、地域性を生かしたブランド作りを追求していただこう。

 校長の一存で決めた。
 そんなこと簡単に出来るんか、と思うが、小学校ではありがちなことだ。泰明の校長が特別ワンマンということではなかろう。

 一般に、小学校、中学校、高校と上にあがって行くほど、学校規模が大きくなる。それに応じて先生の人数も増える。学年・分掌・教科といった組織もそれなりの規模(人数)になる。人数の多さは発言力の大きさにもつながる。だから、高校あたりになると一存どころか、校長の意見を通すことさえ簡単ではなくなる。

 その点、小学校だと、せいぜい学年団というまとまりがあるだけで、それも人数が少ない。良くも悪くも校長の対抗勢力ができにくい。それで校長ワンマンになりやすい。
 これは組織の構造上の問題であるから、なかなか解決が難しいが、これを機に校長のリーダーシップのあり方を考えてみようじゃないかということしか今は言えない。

文句を言う相手が違ってるんじゃないか

 「焼け野の雉、夜の鶴(やけののきぎす、よるのつる)」
 子を思う親の情の深さをたとえた言い方なんだが、よくわからない場合は各自ググってもらおう。
 
 で、この言葉を思い出したのは、「あたしおかあさんだから」という曲の歌詞が大炎上しており、作者が謝罪するような事態に発展していることを知ったからだ。
 問題の歌詞については、これも各自ググってもらおう。

 母親に自己犠牲を強いるような内容がけしからんといった批判が起きているというが、たかが歌詞で何をやっとんじゃ。
 歌詞にツッコミ入れたきゃ、演歌相手に永遠にやってろよ。演歌の世界はツッコミどころ満載だからな。

 独身のころは、おしゃれもしてたくさん遊んだけど、子どもができてお母さんになったら、それも全部あきらめて、すべてが子どものためになっちゃった。
 と、まあこんな内容の歌詞なんだが、多かれ少なかれそうなるだろうね。

 でも中には、独身のころと1ミリも違わない生き方を通してやろうという女性もいるかもしれない。どうぞご自由に。
 ただ、そういう人たちが、現実には望み通りの生き方を貫けていないとしたら、その原因は第一義的には家庭内にあるわけだよ。 だから、文句があるならテメエの亭主に言えよ。
 また、母親ばかりが犠牲になるのは、社会構造にあると思うなら、政治や行政に向かって文句たれろよ。
 少なくとも、一作詞家や歌手ではあるまい。だって、相手は個人だぜ。個人攻撃したって何にも解決しないよ。

 とにかく最近、こういうのが多いんだよ。
 不満があってっていいよ。文句言ったっていいよ。
 ただ、それをぶつける先が間違ってると思うぞ。

 個人が組織を攻撃するのはありだが、組織が個人を攻撃するのはなし。
 一応、私の中ではそうなっているので、自分より強く大きな組織に対しては盛大に文句をたれるが、弱い個人を相手にするのはやめておこうと思う。

今さらタイムカード導入してどうする

 ♪二日酔いでも寝ぼけていても
 タイムレコーダ ガチャンと押せば
 どうにか恰好がつくものさ♪

 これ、ハナ肇とクレージーキャッツが唄った「ドント節」(作詞:青島幸男)の一節。
 なんだよ、そんなの知らねえよ。
 だよな。1961年(昭和36年)、今から57年前の曲だから。

 で、今日の話題は、埼玉県教育委員会が、「県立校にタイムカードを導入」(埼玉新聞)というニュースである。18年度試行、19年度本格運用。
 ねらいは、教員の長時間勤務解消ということで、例の働き方改革の一環である。

 私は、他人が何か新しいことを始めようとしている時に、やる前から「意味がねえ」「無駄だ」「失敗するに決まってる」と、ケチをつけるのはなるべく止めようと思っている。「やってみないと分からない」ことがいっぱいあるからね。でもそれは時と場合による。

 で、冒頭のドント節の話である。
 タイムレコーダー(タイムカードも同じこと)は、会社では半世紀以上も前から使われていたんだよ。
 つまりね、タイムレコーダーで残業や長時間労働が解消されるんだったら、今さら働き方改革なんて話にはならないわけだ。

 半世紀にわたる実証試験の結果、事務の合理化・省力化はできましたが、残業や長時間勤務の解消には効果はありませんでした、というのが結論だ。

 新聞記事では、配布物の印刷など教員の業務支援を行う「スクール・サポート・スタッフ」を県内小中学校170校に配置することも検討とあった。
 うん、こっちのほうがいいな。
 ただ、小中合わせて1200校くらいあるから、170校というのはいかにも少ない。
 要するに、こっちは金がかかるんだ。
 仮に時給1000円のパートさんを1日8時間、週5日で雇うと、月間16万円。これでタイムレコーダー1台買えちゃう。

 効果はあるけど金のかかることはできないから、効果は知れているけど金のかからないほうをやろうってことなのか。

採点していると読めない字に出くわすこともある

 解読不能な字を書く子がいる。
 大人でもいる。

 急いでいて丁寧に書けなかった。
 すぐに捨てる自分しか見ないメモだからテキトーに書いた。
 というようなケースは日常的にあるものだが、入試の答案で解読不能な字を書く子がいるから困ったものだ。
 大事な入試で、そんなやついるのかと思うが、いるのである。昔のこととはいえ、本物の採点経験者である私が言っているのだ。

 入試は、字の美しさを競うものではないから、下手でも読めればいいのである。
 ところが読めない。
 採点しながら「これ、何て書いてあるんだろうね」と、皆で必死に解読を試みるが誰も読めない。

 乱暴な字。
 というのともちょっと違う。
 入試という大事な場面では、下手な子だって、それなりに丁寧には書いてくるから、乱暴な字というのには、あまりお目にかからない。

 では、なぜ読めないか。
 漢字の場合であれば、縦棒、横棒の長さだったり、点の形や打つ位置だったり、止め方だったりはね方だったり。それらが、良く言えばあまりに個性的過ぎて他人には読めないということがある。まさか、わざとそんな書き方をしているはずはなく、本人的にはきちんと書いているつもりだが他人には読めない。

 ひらがな・カタカナ・数字・アルファベットなど、平易で画数の少ない文字(数字)が特に危ない。
 めったに書かない漢字よりも、ふだん書き慣れている文字(数字)の方が、自分のクセがつきやすく要注意だ。

 本人分かっているのに、採点者が解読不能なため点数がもらえないという事態がおこらないとも限らない。
 記述による解答が増えた昨今の入試問題であるから、塾の先生方は、あまりに個性的なため他人には解読できない字になっていないか、誤読される恐れのある字になっていないかもチェックしてあげるといいだろう。念のためということで。

プロフィール

梅野弘之

Author:梅野弘之
受験生・保護者の皆さん、学校や塾の先生方に最新情報をお届けします。ただし、結構頻繁に受験と無関係の話も。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
当ブログを訪問された方
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード