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「勉強しなさい」を仕掛けで解決する

 昨日のブログで、「(課題は)言葉や精神論ではなく、制度・仕組み・仕掛けで解決しましょう」と書いたわけである。
 が、私は言葉の力を信じないわけではない。
 言葉の力を信じなければ、新聞に原稿を書くことも出来ないし、講演や研修で話すこともできないし、このブログだって書くことができない。

 たとえば「勉強しなさい」あるいはその言い換えは、一定の効力はあるだろう。だから、これらも並行して使いながら、制度・仕組み・仕掛けを工夫して、子供たちを勉強に向かわせようではないかということだ。

 「酒を飲んで車を運転しないようにしましょう」。
 言葉で言ってもあまり効果がなかったので、法律を変えて罰則を厳しくした。酒を飲ませた店や一緒に飲んだ連中も同罪だぞ。免許は即座に取り上げるぞ。これは効果があった。制度を変えたってことかな。
 呼気にアルコールを検知するとエンジンが始動しない車も開発されているようだ。啓蒙活動でもない、法改正でもない、仕掛けによる解決を目指すものと言っていいだろう。

 以前、講演に行った某塾では、壁にこんな掲示が。
 20181009焼肉

 食い物で釣るのかなどと堅いことは言いっこなしだ。
 今どきの生徒が焼肉目当てに勉強なんかするものか。
 全員で目標クリアして焼肉食いに行こうぜ。頑張ったらご褒美やるぜ。これも一種の仕掛けかな。ゲーム感覚を取り入れてるってことだろう。
 焼肉の次は回転ずしにしてもらおうか。

 自習室や自習コーナーを作るなんていうのも仕掛けと言っていいだろう。「やりたい人はどうぞ」の方が、「自学自習しろ」よりも効果があるかもしれない。

 親がくだらんテレビ番組見てバカ笑いしてるようじゃ、どんな言葉も効果はないぞ。どころか逆効果だ。反面教師にしてくれればいいがな。
 
 言葉だけで「勉強しなさい」なんて言ってるうちはプロとは言えない。
 ご褒美作戦。ゲーム感覚。
 不謹慎だ、邪道だという批判を恐れず、いろいろな仕掛け試みていただきたい。要は、子供が勉強に向き合うようになってくれればいいわけだよ。

異才を発掘するなら個人塾とアピールしてみる

 20181007入試ファースト越谷

 「お宝は個人塾に眠る」。 
 これは、私立高校の募集担当の先生に向けたアピール。

 今日はNPO埼玉教育ネットが主催する公私合同説明会「入試ファースト」(於:越谷サンシティ)が行われた。
 NPO埼玉教育ネットは、主に県東部の個人塾塾長らが中心となって立ち上げた組織で、私も名ばかりだが役員の末端に名を連ねているので、応援するわけである。

 いわゆる大手塾の情報収集力、分析力、指導力については、私も一緒に仕事をさせてもらっているのでよく分かっている。塾生数も多いから、私立高校としてはしっかりパイプをつないでおきたいところだ。

 一方、個人塾。
 だいたいは1教室で、3年生も10人とか20人という小規模塾が多い。私立高校側から見た場合、この程度の人数だと毎年受験生を送り込んでくれる保証はなく、募集活動の上では、いわゆるコストパフォーマンスがまことによろしくないわけである。
 私立高校側の募集戦略がどうしたって大手塾中心になるのは止むを得ないところだ。

 しかし私は、個人塾を応援する立場でもあるから、私立高校にもぜひ個人塾に目を向けてもらいたい。
 そこで考えたのが冒頭のキャッチフレーズだ。
 
 「お宝」とは非常に優秀な生徒、または異才である。受験生を「お宝」とは不謹慎かもしれないが、内輪の話だから許してもらおう。

 NPO埼玉教育ネットに属し、今日のイベントでも大いに汗をかいてくれた塾長に、試しに「塾の卒業生から東大合格者を出したことのある人は?」と尋ねてみよう。これが結構な数でいるのである。

 県内公私立高校からの東大合格者は毎年100人程度である。かれらに中学時代の塾はと尋ねてみれば、当然ながら数としては大手塾に通っていた者が多いわけだが、 大手塾の規模は個人塾の数十倍、もしかしたら数百倍である。
 一生塾を続けても、出身者から東大合格者が出る可能性はきわめて低いはずだが、結構な数でいる。
 だから「お宝は個人塾に眠る」なのだ。

 高校の募集担当者の皆さん。異才を発掘したかったら、個人塾にも目を向けてくださいね。というお願いである。

通知表、「5」に上限なく「1」に下限なし

 通知表で「5」をもらってくる生徒。
 完璧?
 いや、そうではあるまい。
 物差しの目盛りが「5」までしかないから、「5」と表しているだけで、本当は「6」の子も「7」の子も「8」の子もいるわけである。

 テストの100点も同じこと。
 A君100点=B君100点。
 物差しの目盛りが100点までしかないから、その先の力の違いは分からない。

 たとえば漢字のテスト。
 全部読めて書ければ100点。読めて書けて意味が言えても100点。

 私立でも公立でも、最上位校に入ってくる子はみんな、通知表なら「5」、テストなら100点、偏差値なら70以上。
 では、みんな同じ実力か?
 実はそうではないのだが、ここを本人も親も誤解しがち。

 入試や模試の物差しが「5」まで、あるいは100点までしかないのは仕方ないが、塾長先生は、その先の「6」も「7」も「8」も、あるいは120点も150点も、正確に測れる物差しを持っていなければならない。

 公立中学校では、「5」の子を「6」や「7」や「8」まで伸ばす指導はできない。中学校の先生方が、そういう物差しを持たないのではなく、現行のシステム上、それができない。
 
 塾のビジネスモデルは、「3」の子を「4」に、「4」の子を「5」にと、ワンランク上げてあげる指導が前提で成り立っている。
 市場の大きさを考えれば、それでいいわけだが、「5」の子を「6」や「7」や「8」にというニーズがないわけじゃない。ただ、市場としてのスケールが小さい。

 本人がちょっとでも興味を示したら、教科書や入試問題にとらわれることなく、先の先まで教えてあげる。
 個人的には、そういうのをやってみたいと思うが、思い付きで教えるんじゃなく、自分自身が正確な物差しを持ち、それを基準に教えなければならない。
 ただ知っていることを教えればいいなら楽だが、そうじゃないところが難しい。

さあ夏だ、ブルーオーシャンを探そう

 20180713海

 青い海。
 ブルーオーシャンのお話。

 ご存知の方も多いと思うが、ブルーオーシャンとはマーケティング用語で競争のない市場。
 これに対し、競争の激しい市場はレッドオーシャン。血で血を洗う激しい競争の世界。

 ブルーオーシャンは、誰もいない海だから、新たに生み出した価値が人々に受け入れられたら、一人勝ちとなる。 
 さあ、ブルーオーシャンを探そう。

 ブルーオーシャンの教科書では、何かを「増やす」「付け加える」と同時に、「減らす」「取り除く」ことにより、高付加価値と低コストを実現するものだと教えている。
 「増やす」「付け加える」で高付加価値を実現。
 「減らす」「取り除く」で低コストを実現。
 両立は難しそうだ。

 ブルーオーシャンの事例で取り上げられる「シルク・ドゥ・ソレイユ」は、斜陽と言われたサーカス業界で成功を収めた。
 「取り除く」=動物を使わない
 「付け加える」=芸術性・テーマ性

 動物が出てこないなんて、それじゃサーカスって言えないでしょ。たぶん、みんな最初はそう思った。
 でも、動物見たいなら動物園行けばいいでしょう。なるほど、それもそうだ。
 子供じゃなく、大人相手にしましょう。
 ちょっと待って、昔からサーカスは子供が見るもんでしょう。
 だから、われわれは大人向けにしましょう。
 大人が満足する高い芸術性とパフォーマンスで勝負しましょう。
 かくして、サーカスから始まり、サーカスを超えた新しいエンタテインメントが誕生、といったところか。
 
 ブルーオーシャン戦略は万能ではない。競争回避でもない。
 誰かがブルーオーシャンを発見すると、必ず追随する者が現れる。つまり新規参入は阻止できず、やがてブルーオーシャンはレッドオーシャンになる。競争優位を持続するには、レッドオーシャンでも勝ち抜けるだけの体力と知恵が必要だ。


 と、ここまで書いてきて思ったのだが、塾業界(特に個人塾業界)の方々は、もう少し「取り除く」を考えたほうがいいかもしれない。
 いろんなサービスやり過ぎでしょう。大手がやってるから、他もやってるからと、商品ありすぎサービス過剰。
 もちろん、それが価値を生み出し(ということは売り上げが上がり)、かつ低コストを実現していれば何の問題もないのだが、そうでないならば、「取り除く」あるいは「減らす」発想に立ち、その分、新しいことを「増やす」「付け加える」方向を模索したらどうか。
 きっとどこかにブルーオーシャンはある。

学校より塾が分かりやすいのは当然なのだ

 「学校の先生より塾の先生の方が分かりやすい」。

 中学生は上手なお世辞など言えないから、これはたぶん本音である。
 これを聞いた塾の先生は、日頃の研鑽の賜物であるから、ちょっとは胸を張っていい。だが、「どうだ、参ったか。こっちが上だ」などと、己を過信してはいけない。なぜなら、学校の授業と、塾の授業とでは条件が違い過ぎるからだ。同じ条件下で授業をした場合に、それでもやっぱり「学校の先生より塾の先生の方が分かりやすい」と言わせられれば本物だ。

 学校の授業が分かりにくいのは、授業のスピード(授業の進度)を調整できないからである。
 教員経験を積めば、「連中うなずいてるけどわかってないな」ということぐらいすぐに見抜ける。見抜いたら、ちょっと立ち止まるとか、少し前にさかのぼるとかしてやれば、分からせることはできる。学校の先生はそのぐらいのスキルは当然ながら持っているのである。
 では、なぜそうしないかというと、学校の授業には学習指導要領による縛りがあるからだ。教える内容、教え方、教える順番などは、この制約の下にあるのだ。個々の教員の裁量など事実上ないに等しい。
 全体の進度を考えれば、理解不十分な生徒がいても、不本意ながら先に進めざるを得ないのである。

 学校のクラスには、100点満点のテストで90点以上取れる生徒から、10点も取れない生徒が混在している。教える側としては、大変困難な状況だ。
 これも、一定数の「分からない生徒」が出現してしまう原因だ。

 というわけで、「学校の先生より塾の先生の方が分かりやすい」のは、個々の先生の力量がどうこうよりも、制度やシステムに問題があるからである。
 
 だったら、変えればいいじゃない。
 その通りなんだが、それがさっさと出来ないのが、今の公教育なのである。

 こんな言い方をすると、塾の先生方は気分を悪くされるかもしれないが、私に言わせれば「学校の先生より塾の先生の方が分かりやすい」なんてことは、当たり前の話なのである。
 その程度で喜んでいないで、「分かりやすい」のもっと先を目指してもらいたいものである。

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梅野弘之

Author:梅野弘之
受験生・保護者の皆さん、学校や塾の先生方に最新情報をお届けします。ただし、結構頻繁に受験と無関係の話も。

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