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人が仕事を選ぶのではなく、仕事が人を選ぶのだ

 一昨日のエントリー「小学校の教科担任制、教員は増やしてくれるのか」に、長文のコメントを寄せてくださった読者さん。小学校図書館の現状、勉強になりました。

 突然だが、仕事は人を選ぶという話。
 人が仕事を選ぶんじゃなく、仕事の方が人を選ぶ。

 「仕事君」達はいつでも人を探している。すぐやってくれる人いないかな。上手くやってくれる人いないかな。
 「おい、鈴木さん(仮名)の所行ってみろよ。すぐやってくれるぞ」
 いいこと聞いた。すぐ行ってみるよ。
 「な、言った通りだろ。あそこが一番早い。それに正確だし」
 みんな! やってもらうなら鈴木さん(仮名)だ。
 かくして「仕事君」達は、こぞって鈴木さん(仮名)を目指す。

 なんで自分ばかり忙しいんだ。「暇こいてる奴」がいくらでもいるのに。
 ところが、この「暇こいてる奴」は、楽してシメシメとほくそ笑んでいるかと思いきや、本人忙しいと思ってる。まったく、手に負えんな。

 私も長いこと社会人をやってきて、また、いろんな学校を見てきて、たしかに負担のアンバランスはあるなと感じる。
 でも、これを平均化しようとすると、組織全体の戦力が落ちてしまう。全体のパワーを維持しようと思ったら、ブツブツ言いながらグズグズやる奴よりも、はいよっ、と言ってさっさとやってくれる人に任す方がいい。「仕事君」達もそれを喜ぶ。
 
 私には社長という肩書が付いているが、それは名称だけのことで、本来の意味での「長」の立場に立ったことはない。
 だがもし、そういう立場だったら…
 平均化は断念しよう。申し訳ないが、速さと正確さが優先だ
 ただ、人間の気力・体力にも限度がある。鈴木さん(仮名)に何かあったらどうしよう。これ以上の戦力ダウンはないわけだし。

 自称大忙しの「暇こいてる奴」には、ニッコリ笑って「いつもご苦労さん」とだけ言っておこう。
 鈴木さん(仮名)の話はしっかり聞くよ。自分に出来ることは何でもやってあげるよ。
 で、その上で言う。
 「忙しい中悪いけど、鈴木さん(仮名)、これやってくれないかな」

免許制度や法律を変えないと犠牲者が増えるだけだ

 87歳暴走。
 昨日の池袋での痛ましい交通事故(死傷事故)のことだ。

 事故を起こしたのは飯塚幸三容疑者
 新聞報道では飯塚幸三さん
 死者を2人出す事故を起こしながら「さん」はないだろう。と、どうしてもそこを考えてしまう。

 現行犯逮捕されていないから「さん」なのだという意見もあるが、犯罪の嫌疑をかけられていれば、身柄を拘束されようがされまいが「容疑者」だ。
 法律用語の「被疑者」は「被害者」と文字も発音も似ているので、マスコミ報道では「容疑者」と言う。
 なお、私が若いころは、「容疑者」すら付けず「呼び捨て」だった。

 なぜ逮捕されなかったのか。なぜ「さん」なのか。
 飯塚幸三さんが、東大卒の元・通産官僚(元・工業技術院院長)で勲章までもらっている人だから、というのがもっぱらの噂であるが真偽のほどは分からない。事故直後、息子に電話連絡したとされていることから、息子が警察やマスコミに顔が効く人物である可能性もある。
 もしそうであれば、報道は今日限りだろう

 いずれ自動運転の時代が来る。
 と言って、それまでの間、この種の事故が繰り返されていいはずがない。

 免許の年齢制限には下限だけあって上限がないので、この際、上限を設けよう。個人差があるので一律何歳までと決めづらいが、そこは割り切るしかない。問題は自動車メーカーの反対を押し切れるかだ。

 免許の更新についても見直そう。一度取得してしまえば、事故などで停止を食らわない限り永久免許というのでいいのか。更新手続きも今のような事務的なものでいいのか。
 極端な話、20歳で免許を取って、40年間更新手続きだけして、60歳で少し暇になったからと初めて実際の運転をしても何の問題もないのが今の制度だ。
 教員免許なんて、毎日毎日授業してたって10年ごとに講習を受けないと失効してしまうのに

 事故を起こした個人は責められるべきだが、それで問題が解決されるわけではない。欠陥だらけの制度、法律を今すぐ変えなければならない。

小学校の教科担任制、教員は増やしてくれるのか

 生前、母親がよく言ってましたね。
 「あんた方はとても同じ職業(先生)とは思えない」って。
 うちは、私が高校教師で、弟が小学校教師だったもんで、二人の普段の様子を見て、そう思ったんだろうね。

 私も弟を見てて思った。
 「俺には到底真似できない」

 高校教師だった私の持ち時間(授業時間)は、多くても週18時間。16とか17の方が普通だ。これに学年、分掌、教科などの会議が組み込まれるが、空き時間(授業のない時間)は、1日当たり2時間はあった。
 一番授業時間が少なかったのは2校目で教務主任をやっていた時で、たしか週12時間。もちろん担任なし。教頭の下請けみたいな事務仕事は多かったわけだが、自分で言うのも何だが、そういう単純労働は得意だったもんで、かなり楽勝な生活。

 小学校の先生は大変だ。1日中授業だ。昼めしも一緒に食うんだろう。ずっと子供から離れられない。トイレいつ行くんだ。
 泣いたり、暴れたり、どこかにいなくなったり、喧嘩したり。近所のオッサンが怒鳴り込んできたり、最近では親が文句を言いにきたり、ホント大変だ。
 よほど子供好きじゃないと続けられないね。

 教員の働き方を変えるなら、まず小学校、続いて中学校、高校は最後でいいや。

 小学校に教科担任制を取り入れる方向で検討が始まるようだ。
 まあ、ものごと基礎が大事だから、音楽大学を出た先生に音楽を習い、美術大学を出た先生に絵を習い、体育大学を出た先生に運動を習うのはいい。子供たちもそのほうが楽しいだろう。

 だが、一番いいのは、1クラスに2人の担任をつけられるようにすることじゃないかな。教科担任制もいいが、それと教員増をセットにしないと、プラスよりマイナスが大きくなるだろう。予算があれば誰だってそうするよという話なので、名案と言えないが、経験的には、こうした改革は常に教員の負担増につながる。

 文科省の行う改革は、素人が主導するものだから理念とか理想が先行し、具体的なことは学校(現場)で考えてね、あと予算はつけませんから。
 こういうのが多いから、教科担任制の件も、その点が心配だ。

長い連休の過ごし方が決まった

 以前から自分でも不思議だと思っていることがあるので、今日はその話をしてみよう。
 雑談ブログである。
 
 原稿を書く仕事をしている。また、仕事ではないが、こうして毎日ブログを書いている。作家やライター、記者とは比べものにならないが、1年間に400字詰め原稿用紙換算で1000枚近く。

 時々、筆が進まなくなる。ガス欠だ。
 燃料を補給しなければ。燃料は本だ。

 で、その時、教育関係や入試関係の本を読むと回復するか。
 そういう人もいるかもしれないが、私の場合、ほとんど効果がない。

 小説を読む。
 時代小説、恋愛小説、海外文学、年甲斐もなく青春小説。
 教育や入試から遠く離れた小説の方がなぜか効果がある。
 不思議というのはこのことだ。

 まあ、牛乳や牛肉だって、草食ってる牛から生まれるんだからそれでいいか。インプットしたものがそのままアウトプットされるとは限らないわけだし。

 ハウツー本よりも小説の方が、どう考えても語彙や表現は多彩だ。それに、小説は想像力を刺激してくれる。登場人物の心情とか、情景とか。
 ハウツー本や専門書は理解が優先される。そのために読む。頭を使うので勉強にはなるが、想像力を刺激されることはない。小説だって頭を使うが、どうも使う部分というか、使い方が違うようだ。回復効果のカギはこのあたりにありそうだ。

 というわけだから、今度の長い休みは本を読む。
 ただ問題なのは、目の疲労だ。年をとるとこのあたりが厄介なのだ。
 文庫本は辛い。ハードカバーは高い。さあどうする。
 

今は「登校拒否」じゃなく「不登校」って言うんだよ

 立憲民主党の枝野幸男代表が、予算委集中審議に否定的な与党に対して「堂々と審議拒否している。登校拒否みたいだ」と批判したところ、ツイッターで不適切な表現との指摘を受け、謝罪し訂正した。

 まあ、不適切と認めたんだったらいいだろう。言い間違いは誰にでもある。辞任しろとか任命責任とか言わない。

 枝野幸男代表(54)。栃木出身だが選挙区は埼玉5区だ。私より一回り以上下だが、「登校拒否」ってところが、やはり昭和の人だ
 待てよ、昭和の人という言い方は元号による差別だったか?
 訂正→20世紀の人

 私は教員としては「登校拒否」という言葉しか使ったことがない。
 学校嫌だ、行きたくねえ~。
 つまり、来られるクセに来ないやつという意味で「登校拒否」。

 ところがその後、いろいろ調べているうちに、行きたいのに行けない子もいるんじゃないかということになって、「不登校」と呼ぶことになったようだ。
 文部科学省の定義によれば、「不登校」とは「なんらかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因、背景により登校しない、あるいは登校したくともできない状態にある年間30日以上欠席した児童のうち病気や経済的理由によるものを除いた者」である。

 こういう言葉の言い換えは、学校でも、それ以外の社会でもよくあることだ。
 昔は「父兄」と言っていたが、今は「保護者」と言う、みたいな…
 良い面もある。
 昔は平気で「処女作」なんて言っていたが、「デビュー作」の方が感じがいいじゃないか。
 保母が保育士、看護婦が看護師となるのは、実態に合わせたものだ。

 「登校拒否」を「不登校」に変えたからといって、それだけで問題が解決するわけじゃないのは誰しも分かっていることだが、私自身のことで言えば、「登校拒否」と言っていた時代は、「この野郎、つべこべ言わずに来い」だったが、「不登校」と言うようになってから、背景や理由にも考えが及ぶようになった。
 「不」という表現も、不正、不毛、不信、不仲、不義、不倫と、決して良い意味ではないのだが、「登校拒否」という形で、本人にだけ原因を求めるよりはましだろう。

 というわけだから、枝野君。「登校拒否、けしからん」というような言い方は止めにしよう。
 それとも教育には関心がない? まさか。

人の授業を見るより、自分の授業を見られたほうが成長が早い

 この春、初めて教壇に立った新人教師の皆さん(常勤の方も非常勤の方も)。

 自分の授業をビデオ(動画)で撮っておこう
 昔はそういうの大変だったが、今ならスマホでもできる。あと用意するのは三脚ぐらい。できればピンマイク。

 すぐに見て、次の授業に生かす。
 それもいいが、今そこまでの余裕はないだろう。見るのは半年後、1年後、少し時間が経ってからでいい。それに、皆さんにはまだ「授業を見る“視点”」というものがない。保護者の授業参観とは訳が違う。プロにはプロの視点というものがある。多少なりともそれが育ってからのほうがいいので、見るのは後でもいい。

 先輩たちの授業を見るべきか。
 今言った通りだ。学ぶべきことが多いのは明らかだが、皆さんにはまだ「授業を見る“視点”」というものがないので、ただ見るだけで終わってしまう。いろんなやり方があり過ぎて混乱するだけだから、今は無理しなくていい。教材研究に時間を割いたほうがいい。

 見られるのはいい
 校長や教頭は頼まなくても見に来ると思う。先輩たちに見に来てもらおう。
 新人や異動してきた先生の授業を「どれどれ、今度来た先生はどんな授業をするんかいな」と、みんなで見に行く。
 学校全体にこんな雰囲気があるといいね。
 (実際に行っている学校もある)
 あまり形式ばらず、お仕事に余裕のある先生はどうぞという感じ。

 生徒が新人だと思ってなめてかかってくるかもしれないが、後ろにおっかない先生がいれば、下手なことはできない。そういう効果もある。
 見に来てくれた先輩には、あとで感想を聞く。みんな優しいから「良かったよ」と言ってくれると思うよ。というか、新人の授業なんて論評するレベルに達していないから、そう言うしかないんだけどね。

 でも、そんな中でも、あそこはこうしたほうがいいとか、ちょっとしたアドバイスがもらえるかもしれない。
 でね、そこが正に「授業を見る“視点”」なわけだよ。なるほど、そこを見ているのか、そういう見方をしているのか。
 自分ではマズったかなと思っている部分は意外にスルーで、うまく行ったと思っている部分にダメ出しが入ったり

 ということで、見るより見られたほうが成長が早い

ファーストペンギンになるとはどういうことか考えてみる

 最近少しずつ浸透してきた言葉に「ファーストペンギン」というのがある。
 数年前のNHK朝ドラの中にも出てきたセリフというが、見ていないので分からない。

 集団行動をする南極のペンギン。
 エサを獲るためには海に飛び込まなければならないが、そこには危険も潜む。天敵に食われてしまうかもしれないのだ。
 「お前から行けよ」
 「やだよ。お前こそ先に飛び込めよ」
 「そんなの恐いよ」
 「俺だって同じだよ」

 と、皆が躊躇している中で、勇敢な(もしかしたら無鉄砲な)一羽が果敢に飛び込む。それを見た他のペンギンたちが、「お、大丈夫じゃん。じゃ俺も」と次々に飛び込む。

 最初にリスクを取りにいった一羽は、悲惨な結果に終わるかもしれないが、うまく行けば、たくさんのエサが食べられる。つまり、リターンも大きい。
 ということで、皆さんも勇気を持ってファーストペンギンになりましょう。と、朝のミーティングなんかでアザラシみたいな部長が、部下に話して聞かせるわけである。

 これは例え話である。
 いや、「実はペンギンの生態は…」などと、話をそっちに持って行くのはバカのやることだ。私の知り合いにも、いちいち例え話や比喩にツッコミを入れてくるヤツがいるが、大概にしやがれ。

 要は失敗を恐れずにチャレンジしなさい、ということで、それはその通りなんだが、部長の話に欠けているのは、どうしたらファーストペンギンになれるかということだ。
 勇気?
 でも、ちょっと抽象的過ぎるような気がする。
 
 ペンギンの群れにははっきりしたリーダーはいないようだが、人間の組織にはリーダーが必要だから、リーダーになれということなのか。リーダーはお手本を示せ。そういうことか。
 しかし、真っ先に飛び込んでも、誰も後に続かないかもしれない。セカンド、サードと、後に続く者がいて初めて、ファーストペンギンと称えられる。ただの孤独なチャレンジャーではダメなのだ。

 あの人に続け。
 あの人には経験がある。知識もある。技術もある。洞察力もある。判断力もある。だからそれに続けば間違いない。

 つまり。
 ファーストペンギンになりなさいという話は、単に最初にやりなさいというのではなく、人が信頼してついてくるような、そういうリーダーになれるように自分を磨きなさいということになるのかな。
 少なくとも、最初にやれば大儲けできるぞって話じゃないね

式辞より祝辞が話題の東大入学式

 東大入学式における上野千鶴子氏の祝辞が話題になっている。

 国立大学とはいえ、一大学の内輪の式典であるから、どなたを来賓に呼ぼうが、その方がどんな祝辞を述べようが、部外者がつべこべ言うべきではないのだが、そこは天下の東大である。総長がいかなる式辞を述べたかなどは気になるのである。

 一般論としては、式辞と祝辞では、式辞の方が重く、来賓やその祝辞の方が目立ってしまうのは好ましくない。入学式におけるメインは、学長や校長の式辞であり、新入生の決意の言葉である。祝辞は添え物である。
 しかし最近、特に大学においては、マスコミ報道を意識して、入学式や卒業式に著名人を招くことが多いようである。

 これまでの上野千鶴子氏の行動と言動を見れば、ありきたりの祝辞に終わることは想像しにくいから、主催者である大学側は最初からマスコミが飛びつくような祝辞を期待したのであろう。上野氏はその期待にしっかり応え、ネットは大盛り上がり。その意味では大学側の人選は成功したと言えよう。

 先の「天皇陛下御即位三十年奉祝感謝の集い」において、ビートたけしさんが祝辞でボケまくって話題となったが、これも同じような構図だ。
 あそこでビートたけしさんが真面目な祝辞を述べたら、「何であなたを呼んだと思ってるのよ」となるが、そこはたけしさん、主催者の思惑をしっかり受け止め、ボケまくった。やっぱりプロだ。
 上野氏も、ご自身の役割を全うされたという点でプロである。

 残念なのは五神真総長。
 本来ならこちらが話題にならなくてはいけない。立派な式辞を述べられている。
 【コチラで見られます】↓
 東大入学式を伝える同大ホームページ

 しかし、対マスコミという点では百戦錬磨の上野氏相手では分が悪い。東大はなぜ総長が食われてしまうような人選をしたのだろう。

学校説明会情報の更新状況を調べてみた

 埼玉県高校入試情報。

 今年の入試説明会(学校説明会)の予定を各校ホームページで確認してみよう。
 新年度に入って2週間、学校が始まって1週間、今年度の新情報に更新されているはずだ。

 調べるのは私立(県内)だが、念のため公立を見てみるか。どうせ去年のデータに決まってるけど…
 まず県立浦和。おっ、早くも新情報が出ているではないか。たった2回の説明会だけど。次に浦和一女。おう、ここも新情報。
 意外!と言っては失礼だが、公立のくせに仕事早いな

 じゃあ、私立を見てみるか。
 7割は行ってて欲しいが、新情報に更新されているのは5割程度と予想。

●調査結果(今年度の説明会情報が掲載されている学校:五十音順)
 大妻嵐山・開智・開智未来・埼玉栄・栄東・秀明・昌平・城北埼玉・聖望学園・独協埼玉・東邦音大東邦・花咲徳栄・武蔵野音大付・立教新座・早大本庄(以上15校)

 少ないな。
 去年のままの学校が31校ある。ちょっとガッカリ。
 まだ決まってない?
 それはないでしょう。年間行事予定は、前年度のうちに決まっているはずだ。あとはホームページを更新するだけ。ついでに「平成」は「令和」に書き換えましょう。

 年度末・年度初めが忙しいのは分かるけど、見る人(お客様)はそんなふうには思いませんよ。
 「何だよ、古いデータじゃないか」
 こういう積み重ねが学校イメージを落として行くんですよ。
 本ブログをお読みになった学校関係者の皆さん。大至急更新してください。お願いします。

先生は「大人の本気」を見せつけなくては

 人の名前が覚えられない。
 たぶん年のせいだ。
 脳機能の低下もあるんだろうが、憶えようという意欲がない。記憶に必要なのは「覚えるぞ!」の気力だ

 さて、新人教師諸君!
 新年度が始まって1週間。担任クラスの生徒の顔と名前は覚えただろうな。
 ナニ、まだ半分ぐらい?
 おいおい、春休み中、何やってたんだ。名簿と顔写真渡されてなかったか。全部覚えておいて、初日からいきなり「誰々さん」と呼んでやるんだよ。

 スゲー、と素直に感動してくれる生徒もいるし、受けようと思って先生予習してきたなと、斜めから見てくる生徒もいるが、どっちでもいい。こういうところで「大人の本気」ってものを見せつけてやるんだ。ものごとに本気で取り組むということが、どういうことかを身をもって示す。これが担任としての最初の教育だ。

 来週から授業も始まるし、その準備が大変。慣れない事務作業も大変。
 新人教師にとって、連休までは「地獄の3週間」というところかな。
 先生という職業は、他の職業と異なり、ベテランと新人が同じ役割を担うことになる。学校にもよるが、新人が即担任ということもあり得るからね。
 
 先生になった以上は、良い授業をやりたい。
 これは当然のことなんだが、もう一つ大事なのは、子供たちと良好な関係を築ける能力を身につけること。要するにコミュニケーション力だね。これが無いと、どんなに周到に準備しても、授業は成立しませんよ。

 あっ、それと念のために注意しておくと、生徒とのコミュニケーションというのは、生徒とただ仲良くなるというのとは、ちょっと違うからね。
 「友達みたいな先生」ではダメですよ。「友達風」や「友達的」は、本物の「友達」にはかなわない。つまりニセモノですからね。

 あくまでも大人であり、先生であることを貫きながら、生徒と良好な関係を築く。これが先生に求められているコミュニケーション力ですよ。

 最初に言った、生徒の顔と名前を覚えるというのも、生徒に好かれたいなんていうスケベ根性からやるんじゃありません。見せつけるならプロ根性です。
 頑張ってね。
プロフィール

梅野弘之

Author:梅野弘之
受験生・保護者の皆さん、学校や塾の先生方に最新情報をお届けします。ただし、結構頻繁に受験と無関係の話も。

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