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先生は、もっと「大人との付き合い」を求めた方がいい

 教え諭(さと)す人のことを教諭(きょうゆ)という。
 学校の先生のことだね。

 どんな職業についても言えることだが、その仕事を長くやっていると、行動や態度や言葉遣いなどが、「いかにも〇〇っぽく」なって行くものである。
 だがそれは、特段問題のあることではなく、当然なのだ。医者が医者らしく、警察官が警察官らしく、営業マンが営業マンらしくなって、どこが悪い。

 という前フリをしておかないと、これから書くことに反発する人も出てくるかもしれないので予防線を張っておいた。

 先生方は、ふだん大人に対しても、子供に諭すような態度や言葉遣いになっていますよ。
 私もときどきムッとするけど、かつては自分もそうだったと思うし、別に悪気があってそうしているわけではないと分かっているから、まあ、それほど腹は立たないが。


 私は今年に入ってまだ、20歳以下の若者や子供と会話をしていない。
 というか、会ったことすらない。
 話す人、会う人は、全員大人。
 これは異常か?
 いや、そうでもない。家族に小さな子供や小中学生でもいれば別だが、だいたいの大人はこんなものだ。

 私生活においては、友達も自分と一緒に年をとって行く。交際範囲は上へ上へとスライドして行く。仕事面でも、キャリアを重ね立場が上がるにつれ、自然とカウンターパート(対応相手)の年齢も上がって行く。

 では、先生はどうか。
 仕事柄、会うのも話すのも圧倒的に子供や若者だ。時間には限りがあるから、相対的に「大人相手」は極端に少なくなる。
 だがこれは、そういう職業なのだから仕方ない。毎日やっていれば、誰に対しても、教え諭すような話し方にもなろうというものだ。

 で、言葉遣いなんてものは実は大した問題ではなく、今日、こんな話を書いたのは、福島県いわき市の私立女子高校の副校長(58)が、18歳の女子生徒と交際していることが発覚し、懲戒処分(退職)になったというニュースを目にしたからだ(学校もすでに特定されている)。
 
 世の中には、いろんな嗜好の人がいるわけだし、恋愛や結婚に年の差は関係ないのかもしれないが、それにしても40歳差だからね。普通なら恋愛の対象にはならんでしょ。

 この先生が、特に変わった性癖の持ち主ではないという前提に立てば、「大人との付き合い」が不足しているから」ではないか。
 この場合の「付き合い」は別に恋愛に限らず、普通の友達付き合いや、仕事上の交流を含めてだが、本物の大人との付き合いが極度に少ないから、18歳が大人に見えて来る。
 たしかに、女子中学生や女子高校生は可愛いが、自身が40代、50代となり、同世代の、人間としても女性としても完成された大人を見ていれば、彼女らを可愛いと思う気持ちは、赤ん坊や幼児を可愛いと思う気持ちと変わらない。

 会社員58歳ではなく、副校長58歳だからニュースになったということだろうが、それは措いても、先生方は、もう少し「大人との付き合い」というものを心がけたほうがいいだろう。

八潮市(埼玉県)が、転入超過数全国20位に(総務省統計)

 地味な話題を一本。

 1月末、総務省から「住民基本台帳人口移動報告」という資料が発表された。
 都市間の転入者数と転出者数の統計だ。

 首都圏(東京・埼玉・千葉・神奈川)への転入者が多いのは予想通りで、約14万人の「転入超過」だ。政権が掲げる「地方創生」の効果は見られず、相変わらずの一極集中だ。

 さて、埼玉県民としては、わが県、わが市町村の動向が気になるところだが、非常に興味深い(個人的に)データが出ているので紹介しておこう。

■転入超過数の多い市町村(上位20市町村)
1  東京都特別区部(東京都) 60,909(人)
2  大阪市(大阪府)     12,081
3  さいたま市(埼玉県)   9,345
4  川崎市(神奈川県)    8,342
5  札幌市(北海道)     8,283
6  横浜市(神奈川県)    8,187
7  福岡市(福岡県)     6,138
8  流山市(千葉県)     4,381
9  船橋市(千葉県)     3,499
10 川口市(埼玉県)      3,432
11 柏市(千葉県)       2,911
12 藤沢市(神奈川県)     2,789
13 千葉市(千葉県)      2,780
14 つくば市(茨城県)     2,711
15 越谷市(埼玉県)     2,258
16 小平市(東京都)      2,165
17 調布市(東京都)      2,155
18 仙台市(宮城県)      1,979
19 明石市(兵庫県)      1,921
20 八潮市(埼玉県)      1,903

 なにが興味深いって、そりゃ八潮市に決まってるでしょ。 
 さいたま市、川口市あたりは、まあそうでしょうという感じ。越谷市も県下第4の市だから、これも分かる。でも、よりによって、なぜここに八潮市が入ってくるのよ。しかも全国の20位で。
 これは、やはり「つくばエクスプレス」(2005年開業)の効果なんだろうか。
 八潮市は、隣接する草加市、三郷市と比べ、鉄道が通っていないのが難点だった。しかし、今や秋葉原まで17~18分と、東京に通うには絶好のロケーションとなった。現在は人口10万人に届かないが、さらに発展しそうだ。

 この統計には、年齢区分別の転入超過数の集計もある。
 詳細は省くが、「0~14歳」の転入超過数では、さいたま市が全国1位である。子供の数が増えているということで、結構なことである。
 「15歳~64歳」を見ると、ここでも、さいたま市が全国5位、川口市が8位、越谷市が18位、八潮市が20位となっている。もう少し細かい部分を見る必要があるが、これから子供を産み育てる世代が流入してきている可能性がある。

 以上。
 塾の先生方や学校の先生方に、多少なりともお役に立てるのではないかと思い、地味なデータをお伝えしてみた。

またも虐待死事件、大人はなぜ少女を守れなかったのか

 またも起きてしまった「虐待死事件」。

 いや、これは「殺人事件」と言ったほうがいい。行政の不作為がもたらした殺人事件だ。
 千葉県野田市の小学4年、栗原心愛(みあ)ちゃん(10)が自宅で父親(41)に殺された。
 
 昨年3月、東京・目黒区の船戸結愛ちゃん(5)が殺害された事件はまだ記憶に新しい。「きょうよりか あしたはもっともっと できるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください」。こんな悲痛な文章を残し、短い生涯を終えた。

 事件のあと本ブログで、虐待案件に関して、児童相談所と警察は、全件情報共有すべきだと書いた。しかし、これが実現しているのはいまだに全国の4分の1程度の府県に過ぎない。
 もちろん、情報が共有されたからといって、それだけで虐待が防げるわけではない。その情報をもとに、両者が、どのようなケースではどう行動するかといった、明確な行動基準を作り、協力して事に当たることが必要だ。

 今回の野田市の事件。少女は学校のアンケート調査に「お父さんにぼう力を受けています。先生、 どうにかできませんか」と書いていてSOSを発していた。一昨年には地元の「要保護児童対策地域協議会」のリストにも載っていたという。つまり、周りの大人たちは少女の命が危機にさらされていることを知っていたということだ。

 それでも命を守れなかった。
 学校も、児相も、なぜ子供の命を守れなかったのか。そういう批判もあるだろう。だが、学校や児相と、警察では、命の守り方が違う。学校の先生や児相の職員は、凶悪な殺人者に対抗し、己の命を盾に子供の命を守るための訓練も受けていないし、実力で戦う権限も与えられてはいない。
 残念だが、世の中には、一定数の鬼畜のごとき人間が存在する。かれらの行動を実力で阻止できるのは、警察しかない。

 警察が情報を把握し、行動していれば防げたか。
 それは分からない。しかし、死に至る可能性を減じることはできただろう。

 児相も組織、警察も組織。系統の異なる組織同士の連携が難しいのは分かる。プライバシーや人権という方向からの世間の合意も必要だろう。
 だがこれだけは、強く言っておかなければならない。
 「毎年、虐待死が起こるような国でいいのか」。

 関連ブログ:2018年6月14日付

憲法三大原理のうち、一つしか入試に出ない理由を想像してみる

 入試でどこが出るかをピタリと当てるのは難しいが、どこが出ないかを当てることはそれほど難しい話ではない。
 今日はそんな話。

 中学校・公民では、日本国憲法の基本原理は「国民主権」、「基本的人権の尊重」、「平和主義」であると教えている。
 いずれも大事なことなので、日本国民として覚えておきましょう。

 しかし。
 埼玉県公立高校入試を受ける皆さんは、第3章「基本的人権の尊重」だけをしっかりやっておけばよろしい。「国民主権」と「平和主義」については過去出題実績なしだから。
 考えてみれば、おかしな話だ。
 学校で、教科書で、三大原理とまで教えているのに、一つだけが出て、あとの二つは出ない。

 「国民主権」については、憲法前文に「~ここに主権が国民に存することを宣言し~」とある。また、第1章(天皇)の第1条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する国民の総意に基づく」とある。
 「平和主義」については、憲法前文に「日本国民は、恒久の平和を念願し、(中略)われらは平和を維持し、(中略)平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とある。また、第2章第9条に「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、(後略)」とある。

 つまり。
 「国民主権」や「平和主義」で問題を作ろうとすると、「天皇」「象徴」、「戦争」「戦力」「交戦権」といった用語(文言)を使わざるを得ないのだが、これらは「取扱注意」の用語である。出し方(問い方)次第では、政治問題化する可能性だってある。
 まあ、そこまではしないと思うが、例えばの話、「あなたの考えを述べなさい」とでもしようものなら、「入試で思想調査をするのか」と大騒ぎになるのは目に見えている。

 だったら、そこは触らないでおこう。
 何かと議論の多い前文、第1章、第2章を回避しても、第3章(国民の権利及び義務)、第4章(国会)、第5章(内閣)、第6章(司法)、これだけで条文にして73条(全体で103条)もあるのだから、こちらから出そう。

 基本原理のうちの二つが入試に出ないのは、出題すべき条文自体が少ないこともあるが、以上のような理由があるのではないかと想像するわけである。

「子供を産まない方が問題」はどこが問題発言なのか

 今日は政治の話。

 麻生太郎副総理が、またやらかしてくれた。
 「子供を産まないほうが問題」発言。
 野党及び一部マスコミは、ほら来たと大騒ぎ。

 政治家は、自分の地元で支持者を集めてのパーティだと、ちょっと気が緩むのかな。しかし、いくら身内の会といっても、置かれた立場というものがある。そこらの新人議員とはわけが違うのだから、そのあたりはわきまえてほしいね。

 「少子高齢化問題」。
 「少子化問題」と「高齢化問題」を合わせての言い方だが、麻生副総理は、「高齢化(長生きが当たり前になったこと)」と「少子化」(子供が生まれなくなったこと)を比べると、「少子化」の方がより大きな問題だと発言したようである。または、そのように受け取られる発言をしたようである。

 ただ、どちらがより大きな問題かというと、そこは難しいところだ。
 「高齢化」が進んでも、「多子化」が維持されれば、それによって解決できることも多い。ところが、「高齢化」と「少子化」が同時進行しているから、より問題が深刻さを増している。
 
 「少子化」と「高齢化」は、別個の問題であり、解決への処方箋は異なる。どちらか一方を解決すれば、もう一方が自動的に解消するというものではない。
 保育園をたくさん作り、教育を無償化し、女性も男性も子育てと仕事が両立しやすい環境を作っても、それで「高齢化」の問題が解決されるわけではない。その逆も然り。

 そういう意味で、どちらを優先課題とするか、どちらにより大きな予算配分をするかは、非常に重要な問題であって、そういう中で、政府のナンバー2の実力者が、いかにも軽率じゃないのと、追及すべきはそこでしょう。
 
 ところが、野党及び一部マスコミは例によってというか、「生みたくても生めない人」への人権無視という方向に話を持って行こうとする。
 だからね。
 「生みたくても生めない人」のことは、「少子化」とは関係なく存在しているわけですよ。同情する人はいても、「少子化」はあなた方のせいだなんて思っている人は、世の中には一人もいませんよ。

 今回の麻生副総理発言は問題だけど、問題(化)の仕方が違っていると思う。

埼玉公立では、なぜ江戸時代の文化が出題されないのか

 本日、塾の先生方向け。
 受験生にも役立つかもしれない。

 本日の考察。
 「なぜ、埼玉県公立入試(社会・歴史)では、江戸時代の文化が出題されないのか

 江戸時代の文化については、平成20年度に「化政文化」についての出題があったが、その後10年間出題されていない。
 この10年、平安(国風)、鎌倉、室町、安土桃山が各2回、飛鳥と奈良が各1回出ているのに、江戸はゼロ。どうした江戸、どうした元禄。近松も西鶴も芭蕉も泣いてるぜ。どうして俺たち出してくれないんだ。

 では、近松さんたちにお答えしよう。
 埼玉公立の場合、文化の問題はヴィジュアル重視なんですよ。画像が必要なわけ。それを見て解かせるというスタイル。
 だから、インパクトのある建物(寺など)や仏像や彫刻が優先されるわけですよ。芭蕉さんには悪いけど、俳句じゃ絵にならないじゃないですか。もし江戸から出すとしたら、ドカンと屏風に絵を描いた俵屋宗達さんとか、浮世絵の菱川師宣さんとか、葛飾北斎さんとか、ヴィジュアル系の皆さんに持って行かれるわけですよ。

 それだけじゃないですよ。
 江戸までの歴史を扱う大問3は、5つの小問で構成されているわけだけど、ここに飛鳥から奈良、平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸を全部詰め込むんですよ。奈良から1問、平安から1問、鎌倉から1問みたいな感じでね。だから江戸の割り当ても1問。

 おいおい、長さを考慮してくれよ。
 そうだろうね。でも残念でした。時代の長さに関係なく、1時代1問が原則みたいですよ。

 江戸時代の場合、幕藩体制をいかに確立したかというテーマがあるでしょ。それと鎖国。その後も三大改革や田沼の政治とか、末期になると外国船がやってきて対外政策が変わって来るしと、出したいテーマがいろいろあり過ぎるわけですよ。で、こういう中で文化を出してしまうと、これらの問題が出せなくなる。今言ったように、1時代1問が原則だからね。

 というわけなので、近松さん、西鶴さん、芭蕉さん。古くは清少納言さんや紫式部さん。歴史では分が悪いですが、皆さんには国語で登場するというチャンスが残されています。そっちで頑張ってみましょう。

根拠なく山をかけるより、分析に基づく予想でしょう。

 入試問題を作成する側から考えた場合、公平性とバランスである。

 公平性というのは、たとえば、その年の模試などに出題された問題を避けるだろうということ。
 問題の類似性の基準をどのあたりに置いているかは不明だが、それを受けたことのある受験生と受けていない受験生との間に、明らかな有利不利が出ないようにとは考えているだろう。

 県内で、ある教科の教科書が複数採用されている場合は、そのすべてをチェックして、使っている教科書によって有利不利がでないようにとも考えているはずだ。もっとも、入試に出題される内容は、どの教科書にも載っている基本的な事項ばかりだから、このあたり受験生はほとんど心配する必要はないだろう。

 以上、公平性の話。
 次にバランス。

 まず、易しい問題と難しい問題のバランス。
 難易度が高い問題ばかりだと下位の学校での選抜に使えず、逆に難易度が低い問題ばかりだと上位の学校の選抜に使えない。そこでバランス良く。
 明らかに出ると分かっているような問題が、期待を裏切らず毎年出されるのは、そういう問題も入れておかないと、平均点が下がり過ぎるからだろう。

 分野・単元のバランスも考えられている。
 これには2つある。
 一つは、年度内でのバランス。社会で地理・歴史・公民の三分野からほぼ均等に出題したり、理科で物理・化学・生物・地学からほぼ均等に出題したりするのは、年度内でのバランスを考慮したものだ。

 もう一つは、複数年度を通してのバランス。
 たとえば。理科の地学分野には大きく3つの内容がある。「地球と宇宙」、「大地のつくりと変化」、「気象とその変化」。
これらを単年度で全部出すことは難しい。そこで、複数年で見た場合、単元に偏りなしと言えればいい。と、そのように考えるので、結果としてこの3つをほぼ順繰りに出題することになる。
 ちなみに私は、31年度理科大問2「地学分野」は、「気象とその変化」からと言っている。

 今年は「気象~」であるの証拠映像


 以上のことは、塾の先生方なら先刻ご承知のことばかりだが、読者の中に保護者の方もおられるようだし、ごく稀に受験生もまざっているようなので、念のため書いておいた。


中学受験組が大学受験でも強い理由を考えてみる

 昨日から都内私立中学校入試が始まった。
 連戦になる受験生も多いだろう。最近は午後入試が一般化しており、午前にA校、午後にB校と一日に2校受験する子も多い。

 中高一貫校(中等教育学校含む)が、大学進学実績を伸ばしているのは周知の事実だ。
 5年間で中高6年分の学習を終わらせ、最後の1年は大学受験勉強に集中できる体制を取っている場合が多く、これが好成績の理由の一つと考えられる。

 しかし、理由はこれだけではないだろう。

 中学受験は、基本的に学力試験一発勝負。つまり「ガチな入試」である。「すべり止め」さえ、試験を受けて自力で確保しなければならない。
 こういう真剣勝負を小学生の時代に経験しているのが中学受験組の強みと言えるのではないか。
 これに比べたら、高校受験の何とのどかなことか。

 中学受験組は、小学校では少数派である。無邪気に遊びに興じている同級生を横目にみながら、4年生・5年生あたりから、せっせと塾通い・模試受験を続ける。長期戦なのだ。メンタルの戦いなのだ。
 対して、高校受験なんてものは中3になってから、それも夏休みを過ぎたあたりからの短期決戦だ。周りもみんなやっている。みんなで頑張ろうぜの集団戦だ。

 中学受験組は膨大な知識を持っている。
 埼玉の公立入試(社会)で、都道府県名や海洋・山脈を問うような問題が出ているが、かれらにとって、こんなものは基本の「キ」以前の問題だ。「キ」の前だから「カ」かな。
 分数の計算や、割合の計算を間違うような子はいないからね。最近は、英語をやっている子も相当数いる。

 別にみんながみんな中学受験をしろとは言っているわけではない。
 ただ、公立高校や、私立の高校単独校の先生方には、大学受験では、厳しい中学受験を乗り越えてきた中高一貫組と、ユルユルの受験しか経験してきていない高校入学組との戦いになるのだということは、考えておいてもらいたい。

部分点、取りやすい教科、取りにくい教科(まとめ)

 埼玉県公立入試、部分点問題に関する最終稿。

 繰り返し述べているように、「粘って1点でも多く取ろうぜ」の精神は、入試では大事なことである。
 その1点をもぎ取れる可能性は、「内容に応じて部分点を与える」問題の中にある。

 そこで。
 受験生を指導する立場である塾の先生方には、単なる精神論を超えた、根拠に基づく技術論の立場から、受験生に対し有効かつ具体的なご指導をお願いしたい。
 もしかしたら、本論がその一助になるかもしれない。
 そんな思いで書いている。

 ■社会
 20190201社会部分点
 部分点を与える問題の数がもっとも多いのが社会で、7問ある。配点にして33点分。
 7問中5問は、「一部正答率」が「誤答率」を上回っており、部分点を取れる可能性が高い教科と言える。
 大問5問5は「誤答率」が高い。「国債発行の目的」を問う問題で、歳出と税収の変化を示すグラフが示され、解答に当たっては「歳出」と「税収」の二語を用いなさいという条件つきだ。本来ならグラフと、指定された二語は重要なヒントとなるはずであるが、それでも書けないのは、「国債」についての基本的な知識が欠けているからだと推測される。「国債」は「税収不足を補うために発行される」ものだと知っていれば、それがそのまま解答(正答)となる。

 部分点の採点において、表現力(文章力)については多少、大目に見てもらえる可能性はあるが、基本的知識の不足は容赦なく減点されると考えるべきだろう

 ■理科
 20190201理科部分点
 部分点を与える問題がもっとも少ないのが理科で、30年度は3問しかなかった。
 3問中2問は、「誤答率」が「一部正答率」を上回っている。
 大問2問4は、「金星の見かけの大きさが変化する理由」を述べる問題である。答えは「地球と金星の距離が変化するから」という、きわめてシンプルなものである。何も知らなくても常識で考えて答えられるレベル。
 誤答の中には、金星の特徴について書いたものが多く見られたという。点を取らんがために、とにかく知っていることをいろいろ書いてしまった可能性も考えられる。もし、この推測が当たっているとしたら、「何でもいいから書いておけ」的な指導の弊害と言えるだろう。「余計なことは書くな」も一つの重要な指導ではないか。

 ■英語
 20190201英語部分点
 20190201英語選択部分点
 「部分点を与える」と明記した問題は少ないが、細かい採点基準を設け、実質的に部分点を与えている問題が多いのが英語の特徴だ。
 英作文を別とすれば、学力検査問題では、5問すべてで「誤答率」が「一部正答率」を上回っている。学校選択問題でも、英作文を除く7問中4問で、「誤答率」が「一部正答率」を上回っている。
 一昨日書いた数学同様、部分点が取りにくい教科と言える。
 学力検査問題大問4問7は、「誤答率」が「一部正答率」を大きく上回っている。英文を読み、日本語の質問に日本語で答える問題だ。設問に「覚えていなければいけないもっとも大切なことは」とあるかから、該当する英文はすぐ見つかるだろう(importantやrememberを含む文)。だが、関係代名詞を含む、語数にして21語の長文であるため、文の構造を理解できなかったのだろう。単語的には2年生、文法的には3年生。3年生で習う関係代名詞については練習不足になりがちである。


 一昨日、数学と国語について書いたが、表がなかったので作っておいた。
 ■数学
 20190201数学部分点
 ■国語
 20190201国語部分点

 まとめ。
 各教科の指導法については、塾の先生方の方が、私などよりはるかに精通しているので、こうした資料を一つの参考としながら、「正答に至らなくても確実に部分点を取れる具体的な方法」をご指導いただければと思う。



 

文系だ理系だって、中学生には10年早いんだよ

 同じネタ3連投というわけにも行くまい。今日は話題を変えて。

 「私は理系人間です」。
 そうか、じゃあ数学はバリバリなんだ。物理化学は三度の飯より大好き。
 「いや~、そこまでは…」
 それのどこが理系人間なんだよ。国語や英語が苦手ってだけじゃないの。

 「私は文系人間です」。
 国語は超絶得意。英語ペラペラ。歴史もバッチリ。えっ、そうじゃない? なんだよ、数学や理科から逃げてるだけか。

 中学生の分際で「系」とか偉そうに言ってるんじゃないよ。学問研究やってるんじゃないぞ。全部やれ。
 たしかに中学生くらいになれば個性もはっきりしてくるし、向き不向きもそれなりに見えてくるだろう。が、それにしても義務教育レベルだ。「系」も糞もあるか。10年早いよ。

 好きなこと得意なことを徹底してやる。それはいい。
 しかし、だからと言って苦手なこと嫌なことはやらなくていいということにはならない。理系だ文系だという話を持ち出して、そういう誤った行動を合理化してはいけないということだ。

 もしかしたら、親とか先生が理系・文系という言葉を不用意に持ち出して、子供の合理化行動を助長しているのではないか。
 少なくとも私は、今後、中学生に対して、英国社が文系で理数が理系だという言い方をしないぞ。今まで無意識にそういう言い方をしていたかもしれないが、改める。

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梅野弘之

Author:梅野弘之
受験生・保護者の皆さん、学校や塾の先生方に最新情報をお届けします。ただし、結構頻繁に受験と無関係の話も。

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