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「副校長、この場で酒は…」と言えなかったかな

 千葉県の私立・市原中央高校の副校長(61)が、修学旅行で訪れた京都の旅館で泥酔し女湯に侵入。放尿までしたという情けないニュース。
 生徒募集で大事なこの時期に何やらかしてんだ、このバーカ。

 市原中央高校の同系列(同じ学校法人)に、野球などで有名な木更津総合高校がある。「警察官合格率全国2位」が売りの清和大学もある。
 それにしても、この副校長。真面目に頑張っている先生方や生徒たちに、どう落とし前つけてくれるのよ。

 ニュースによると、「23日午後6時ごろ、旅館で同僚の教員ら約10人と食事中にビールで乾杯し、自ら注文したハーフボトルのワイン2本や日本酒の4合びん1本の大半を飲んだ」とある。
 私が気になったのは、飲んだ酒の量ではなく、午後6時という時間と教員約10人という部分だ。

 この学校の生徒数は約250人というから、クラス数は6クラス程度か。
 そうすると、宿泊行事の引率教員数は、「クラス数×2」が一般的なので、引率責任者である副校長を含め15人程度の先生が参加していたと推測される。
 で、そのうちの約10人はその場に居合わせたということだが、まさかビールで乾杯はしてないだろうね。
 副校長以外はノンアルだったことを祈りたいね。「(副校長)は大半を飲んだ」とあるが、大半以外は「飲み残した」であってほしい。
 
 ホントは、「副校長、やはりこの場でアルコールは…」と、止められる先生がいればよかったが、上司には言いづらかったかな。どこの職場でもありがちなことだ。

 それと、午後6時という時間。
 夕飯どきだ。
 ということは、先生方は生徒とは別室で夕食をとっていたと思われる。
 修学旅行では、生徒と同じ時間、同じ場所で、同じもの食べないとね。「同じ釜の飯」って言うでしょ。食事の時間は、生徒とのコミュニケーションのチャンスですよ。健康状態なども観察できるし。
 今度から、ぜひそうしてください。

 50代60代の先生の若かりし頃は、飲酒について世間全体が今ほど厳しくなかった。もちろん勤務時間中だから、昔だってやってはいけなかったのだが、大目に見るところはあった。年寄りは、そうした経験が頭から離れないんだろうね。

 今の若い先生方は、まさか勤務時間中に飲酒はしないでしょう。心配なのは盗撮。

男女別定員あるなら事前に公表するべきだった

 宮崎県五ケ瀬町の全寮制中高一貫校・県立五ケ瀬中等教育学校で約20年間、1学年の合格者を男子22人、女子18人で固定していた問題。
 その後の調べで、入試で男子の合格者よりも高得点なのに、不合格になった女子が過去5年間で49人いたことが分かった。

 新聞は、20年も前から不正な入試が行われていたかのような書き方をしているが、毎年男女の合格者が一定だから、誰が見たって男女の合格者数を調整しているのは明らかでしょう。なぜ、今まで黙ってた。
 これはやはり、東京医科大学の一件からの流れだね。今ならニュースになる。

 ここは全寮制で、寮の定員という他の学校にはない制約があるのだから、それによる男女別定員があるなら、それは公表しておいたほうが良かった。

 問題化してしまった以上、このままというわけにはいかないから、1学年定員40人のうち、男女各15人までは性別の成績順、残り10人は性別なしの成績順というあたりが落としどころか。都立高校などもこのような方式をとっている場合がある。
 それだと男子25人対女子10人、あるいはその逆というケースが発生するが、ぎりぎり現状の設備で対応できるかもしれない。ただし、これが数年続くとなると寮の新増設が必要になる。
 いずれにしても全寮制という特別な環境下での問題であることは考慮されなければならないだろう。

 私の県立高校教員としての経験の中では、入試段階で男女の合格者を調整したことはなかった。ただし、男女比が大きく開いた場合、入学後のクラス編成で調整したことはあった(女子だけ、あるいは男子だけのクラスを作るなど)。
 ついでに言えば、共学校にも関わらずクラス編成は男女別々という学校は、昔もあったし今もある。

 クラスの編成の仕方は、時間割編成に影響する。
 いわば学校側の都合なのであるが、小学校と異なり教科担任制をとる中学高校の場合、時間割編成は元々難しい作業であって、そこに男女比のアンバランスが加わると、さらに困難に拍車がかかる。
 そして、その影響は最終的には教員スタッフの増員、とりわけ非常勤スタッフの増員にもつながるわけで、学校側の都合とばかり言えなくなってくる。

 であれば、入試段階で多少の調整をということになりかねないが、そういうことに特に厳しいのが今の時代であるから、昔のままの感覚でやっていると大きな痛手を被ることになる。

 私は、施設設備など主としてハード面の制約から、入試段階で多少の男女比の調整があっても仕方ないと考えている。入ってから生徒に迷惑をかけるよりいいだろう。ただ、繰り返しになるが、そうであれば事前に明らかにしておくべきで、今回の五ケ瀬中等教育学校の件も、そこが一番の問題だと思う。

マラソン大会やりたくねえは学校側も同じだよ

 マラソン大会がない学校に行きたい。
 プールがない学校に行きたい。
 昔も今もそういう子はいるね。
 まあ、授業のない学校に行きたいと言わないだけましというものだ。

 マラソンやプール(水泳)は「やりたくねえ」というのは、苦手な子の気持ちになれば、そうだろうなと思うが、実施する学校の側も別の意味で「やりたくねえ」のだ。

 まず、今どき学校周辺にコースを設定するのが難しい。
 信号がない。交通量が少ない。適度な道幅があって歩行者の迷惑にならない。そういう場所を選んで1000人とかそれ以上の生徒を5キロ、10キロにわたって安全に走らすことのできる場所なんて、ほとんどない。交通事故起きたらどうすんのよ。
 どこかの河川敷や大きな公園にでも出かけて行くしかないね。

 それと、マラソンには身体面での危険も伴うからね。プールもそうだけど。
 というわけだから授業で持久走はやるにしても、大会はやらなくていいんじゃないのというのは、学校の側も同じだよ。

 前にも書いたことだが、今度の日曜日(12月2日)に「加須こいのぼりマラソン」という大会があるが、ここには県立不動岡高校と開智未来高校の生徒が参加してくる。校内マラソン大会を兼ねているのだ。交通規制された公道を警察官やボランティアスタッフに守られて走るんだから、こりゃ安全だ。
 どうしても大会やりたいんなら、近隣で行われる市民マラソンに便乗するというのも一つの手かもしれない。
 (ここで、不動岡高校の名誉のために言っておきますが、この大会がまだ人気がなく出場者も少なかった頃に、主催者の方から持ち掛けられたというのが真相のようで、便乗という言い方はこのケースには当てはまりません)

 環境の面からも、安全の面からも、また授業時間確保という面からも、学校行事は廃止や縮小の方向に向かっているが、私は古いタイプの人間だから、学校行事や部活といった授業以外の活動の意義も捨てきれない。

 ただし、昔ながらの行事を昔のままに実施するのは無理があるので、時代にあったやり方、あるいは時代に合った新しい行事を考えてほしいと思うのである。

目前に迫った小学校のプログラミング授業、さあどうする

 20181127かいしゃごっこ

 共栄大学(春日部市)を取材訪問。
 春日部共栄中学高校と同じ学校法人共栄学園が経営する大学。国際経営学部と教育学部の2学部体制。

 大学発ベンチャー有限会社「かいしゃごっこ」を経営する海老原武教授に話を聞く。
 海老原先生は元公立高校教諭で67歳。そうか、同い年か。同じ時期に県立高校で教えていたんだね。

 社名は「かいしゃごっこ」と、ちょっとゆるめだが、れっきとした会社ですよ。
 今や、こうした大学発のベンチャー企業が1000社以上あるとか。
 
 で、この会社、いろんな事業を手掛けているが、いま最も力を入れている一つが、子供たち向けプログラミング教室の運営。
 その名も「キッズプログラミングスクール」。←案内リーフレットが見られます。

 2020年度から、いよいよ小学校の授業にプログラミングが登場するわけだが、それに先がけ4年前から教室を開いている。
 そっち方面はからっきしダメな私なので、うまく説明できないが、ただパソコンとにらめっこしてプログラムを学ぶんじゃなくて、それを応用して「ものづくり」に挑戦する。
 そりゃそうだ。相手は子供だから、楽しくなくちゃ。

 とにかく子供の集中力や発想力は大人の想像をはるかに超えているから、音楽は作るは、デザインはするは、ロボットは作るはと、どこまでも発展する。パソコンの分解修理を手がける子もいると言うから驚きだ。

 やらされている勉強だとこうは行かないね。
 それと、今のところ彼等には「不可能」とか「困難」という発想がない。そういう語彙を持たないのだ。
 まったく同じことをやるのに、大人は「なんか、難しそうだな」から入って行くが、彼らは「なんか、面白そうだな」から入って行く。だから、大人にとってはてしなく高い壁でも、彼らは軽々と飛び越えてしまう。うらやましいね。

 すでに英会話とプログラミングの教室は、あちらこちらに見られるが、今後数年で大ブームになるはずだ。
 海老原先生は、このように言われた。 
 「近くプログラミング教室は乱立状態を迎えるだろう。おかしな教室も現れるかもしれない。その時に備え地域にプログラミング教室のスタンダード(基準)を作っておきたい」

 つまり、この内容(カリキュラム)でこの料金という基準だね。
 最初に言ったように、大学とは言え会社がやることだから有料。初級・中級・上級の各コースとも全12回。授業料は1回3000円(税込)。

 塾の先生方へ。
 塾とプログラミング教室の親和性は高いですよ。相性いいでしょ。
 ハードとして場所(教室)はあるわけだし、先生もいる。
 それに、学校で始まれば「プログラミングどうしましょう」という声が沸き上がってくるのは必定だから、この分野面白いかもしれない。すでに動いている塾もあるようだし。

正義のオバサンとクレーマーは紙一重

 昨日のマラソン大会での出来事。

 出走前のトイレには長蛇の列、というのはランナーにとってお馴染みの光景である。
 並んだボックスによる運不運がないように、ボックスが10あろうが20あろうが、列は一列で空いた所に順に入るというのがお約束。

 と、そこに、応援にやって来たと思しき母と息子(小学校低学年か)が現れる。
 息子「ガマンできない」
 母「順番なんだから我慢して」
 すると、最後列に並んでいたランナーが、「少しでも前の方がいいよね」と順番を譲る。それを見ていた別のランナー数人が、「一番前に行きなよ。係の人に言えば大丈夫だから」と母と息子に言う。
 どうしようか迷う母に、「じゃあ、一緒に行って頼んであげよう」というランナーが現れ、息子は無事列の先頭へ。
 まあこれが大人の対応ってものでしょう。

 今日の銀行での出来事。
 正義のオバサン登場。

 月末を控え、結構長い列が出来ていたが、突然、「ちょっと、並んでるんですけど」と大声が響く。
 誰かズルしたのか?
 いや、そうじゃなかった。
 フロアー係の女性がすぐに「こちら、記帳専用の機械ですので」と説明したので、正義のオバサンの勘違いと判明。とんだ赤っ恥だ。

 ところが正義のオバサン、「あら、ゴメンナサイ。アタシ勘違いしちゃった」とでも言えば可愛げがあるものを、「もっと分かりやすくしときなさいよ」と攻撃の矛先を銀行に向けやがった。

 で、この光景を眺めていた私は、正義のオバサン(もちろんオジサンの場合もあるが)と、クレーマーとは、紙一重だなと思ったわけである。
 不正が許せない性分というのはあるものだ。と言うか、本来そうでなくてはいけないのだが、どうもこれが高じるとクレーマーに転じてしまう危険性があるようだ。正義をかざして他人に文句をつけるのを喜びにしてしまう人ってことかな。

 さて、この正義のオバサンが、もし昨日の現場に居合わせたら、どんな対応をしただろうか。
 親子は別に順番を無視したわけではなく、皆さんの好意でそうなったのだから、何の問題もないのだが、正義のオバサンだったら「ちゃんと家で済まして来なさいよ」とか、「もっと早めにしときなさいよ」と、ひとこと言ったかもしれない。

 教訓(と言うより反省)。
 年をとると、視野が狭くなり、想像力が乏しくなる。自分の経験や考えだけが正しいと思い込むようになる。
 「限りなくクレーマーに近い正義のお爺さん」にならないように注意しないと。

年寄が必死で走る姿はどう見ても美しくない

 20181125小江戸川越マラソン

 川越の街を走ってきましたよ。
 小江戸川越マラソン(ハーフ)。

 この大会に出るのは8年ぶり。いや、もっと前だったか?
 ネットタイム:2時間00分08秒。
 遅ッ。

 走り出して1キロも走らないうちに、シューズの紐が解け、コースアウトして結びなおしたからな。 あのロスがなければ2時間切れたのに残念。
 でもまあ67歳という年齢を考えたら、こんなもんでしょう。

 が、この「こんなもんでしょう」の境地に至るのに、ずいぶん時間がかかったな。
 なにしろ30代のときは、ハーフの目標は1時間20分切りだったから。
 2時間なんて歩きも同然、汗もかかないよ。

 しかし、人間ちゃんと年をとるもので、確実に筋力は衰えてくる。
 なのに昔の栄光(ってほどじゃない)が忘れられない。
 60代で30代の記録を更新できるわけないのに。

 でも、ようやく2時間切りを目標にトロトロ走る自分を許せるようになりましたよ。

 で、この話。趣味というか遊びの話なので、他人様に迷惑はかからないが、仕事だとそうは行かない。
 近くに、かつての栄光が忘れられない上司がいたら大迷惑だと思うよ。

 若い者が必死に限界に挑む姿は美しいが、年寄りがそれをやったら醜い。そもそも存在そのものが醜くなっているんだから、さらに上塗りするなよって話だ。
 
 
 
  
  
 

二刀流・大谷選手の帰国を機に「二足の草鞋」について考えてみる

 大谷翔平選手が帰国している。あの「二刀流」の大谷選手ね。
 「二刀流」は、元々は剣術の言葉だが、酒も飲むが甘いものが好きな人のことを「二刀流」などと言っていたから、もちろん大谷選手以前からある言葉だ。

 来年あたり、学校案内に「目指せ“二刀流”」なんてフレーズが登場するよ。文武両道や文武不岐に代わって「二刀流」。
 いや、もしかしたら、もう使われてるかな? 

 ところで、似たような表現に「二足の草鞋を履く」(にそくのわらじをはく)というのがあるから、今日は中学生のためにそれを紹介しておこう。

 江戸時代に生まれた言葉だね。
 博徒(ばくと)と十手(じって)をあずかる岡っ引きを兼ねるという、あり得ない職業の組み合わせ。現代で言えば、反社会的勢力(暴力団)兼警察官みたいな感じ。
 どうも、始まりはあまりいい意味ではないようだ。

 それが次第にいい意味でも使われるようになった。ただ、同業・同種の仕事の場合は使わないという暗黙のお約束はあった。ルーツがあり得ない組み合わせだからだ。

 塾講師をしながら家庭教師。
 塾講師をしながらお勉強系ユーチューバー。
 こういうのは単なる兼業とか副業だろうね。本来の「二足の草鞋」ではない。

 しかし、最近は二つやってりゃ同業・同種であっても、みんな「二足の草鞋」。
 そして、二足の草鞋を履いていると、「二つも仕事を持って大変ですね」とほめられたり、尊敬されたりする。

 そこで、だ。
 中学生諸君が、将来二足の草鞋を履いて、人々から尊敬されるためにはどうしたらよいかを、一足しか履いていない私がアドバイスしておこう。

 当たり前のことだが、一足だけでも尊敬されるぐらいの人間になることだな。片足だけとか、中途半端に二足なんていうのは尊敬の対象にならない。
 それと、大事なのは意外性ってことだ。
 一足目と二足目は、かけ離れていればいるほど尊敬されるんだよ。

 たとえば、医者と弁護士。
 まあ、あり得ない組合わせではあるんだが、どっちも「頭がいいから」でまとめられそうじゃないか。組み合わせるなら格闘家のほうがベターだ。

 さあみんな、意外性を目指そうぜ。
 意外性のある「二刀流」、あっと驚く「二足の草鞋」。
 
 僕は理系だから英語は出来ませんとか、私は文系なので数学はダメですとか、何を言ってやがる。今から、狭い殻の中に自分を閉じ込めてどうする。
 と、最後はいつものお説教で締めておいた。

「障害」を「障碍」と言い換えただけでは

 「障害」なのか「障碍」なのか。
 読み方はどっちも「しょうがい」。
 
 東京パラリンピックを控えて、「碍」という字を常用漢字表に加えようという動きがあったが、見送られたというニュース。

 「害」は、「有害」「災害」「被害」「公害」など、あまり良いイメージがないのだが、これは仕方ない。「悪」「危」「犯」などを、イメージが良くないという理由で使わないことにすると大変不便なことになる。

 「障害」が一般化したのは戦後のことで(「碍」が常用漢字から外された)、それまでは「障碍」が普通だったようだ。

 「碍」は「碍子(がいし)」の「碍」。
 日本碍子という有名な会社がある。街の電線を見ると陶器製の絶縁体(小さくて白いやつ)が使われているが、それを作っている会社だ。
 「碍」には「さまたげる」という意味があることが分かる。

 「害」にも「さまたげる」という意味があるが、「邪魔をする」「傷つける」といった意味合いもあるので、「身体障害」よりも、昔使っていた「身体障碍」の方が当たっているかもしれない。身体に「しょうがい」があることは、自分の行動の妨げにはなるが、それによって他者を傷つけるわけではないからだ。

 最近学校の運動会では障害物競走をやらないという話を聞いたことがある。いや、やってはいるのだが「山あり谷あり競争」みたいな呼び方をしている。
 誰かが、障害者の差別につながるとか言い出したんだろうが、それはちょっと違うだろう。「障害」は「障害」で、ちゃんと用途があるんだから。

 「障害」を元々の使い方である「障碍」に戻すのはいいとして、誰かが差別用語だと言い出すと、それを使った人(特に差別意識なく)が糾弾されるという風潮は困ったものだ。いわゆる「言葉狩り」というやつだね。

 言葉を使わなくなったり、言い換えたりしたところで、それで差別がなくなるわけではない。

きれいなノートを作って勉強した気になってる子はいないかな

 以下は、弊社発行「埼玉県公私立高校進学ガイド2019版」の中の、「基礎からわかる高校入試」からの転載である。

 成績を上げたかったら、今すぐノート作りをやめることだ

 見た目に美しいノートを作ることに熱心な子がいる。
 学校で書いたノートをわざわざ清書したり、参考書などを見ながらまとめのノートを作ったり、とにかくノートがきれいに出来れば満足で、しかも、これが立派な勉強だと思っている。

 筆者は教員時代、「ノート作りに時間をかけるな」と、何度注意したことだろう。そういう子は例外なく成績が伸びないのである。
 伸びない理由は明白だ。それは単なる作業だからだ。時間をかけてノート作りという作業をしているだけだからだ。

 「うちの子、時間だけはやっているのに全然成績が伸びないんです」などと、親から相談を受けるが、当たり前の話だ。どんなに 長時間やっても、単純作業で成績を伸ばすことはできない。
 成績を上げたいなら今すぐ、意味のない作業をやめるべきだ。
 
 「でも、やらないよりやった方がいいんじゃないですか」 
 このセリフ、大人も結構使う。意味のないことは止めろと言っているのに、やった方がいいとはどういうことだ。人の言っていることが全然理解できていない。頭の良くない証拠だ。

 「ノートを整理すれば、頭の中も整理できるんじゃないですか」
 話の順序が逆だろう。頭の中を整理して、その結果をノートに書くなら別だが、ノートをきれいに書いても、頭は整理できない。

 「書いているうちに覚えるということもあるんじゃないですか」
 なるほど、もっともそうだ。いつの間にか自然に覚えてしまうこともあるだろう。学校のノートを清書するという、ほとんど頭を使わない作業であっても、少しは記憶に残るかもしれない。だが、長い時間をかけて、結果として少しは覚えていたという程度でいいのか。受験勉強がその程度のものでいいのかという話だ。

 というわけで、繰り返し言うが、ノート作りは意味がない。
 君たちは今、意味のない作業に膨大な時間をかけられる状況ではない。
 ノートは自分自身が読めて、理解出来れば十分なのだから、改めて清書する必要はない。ノート作りに費やす時間を問題練習にあてたほうがいい。

 一度ノートを整理してから問題集でもよさそうに思えるが、なにせ時間がない。入試は3年後ではなく半年後だ。のんびりと作業にいそしんでいる場合ではないはずだ。





空っぽの頭で、どんな思考どんな表現するのよ

 暗記は大事だぞという話は、このブログで何度も書いている。
 
 これからはAIの時代で、記憶はAIがもっとも得意とする領域だから、記憶で勝負してきた人間は真っ先に仕事を奪われる。
 はいはい、そんなことは分かっていますよ。

 でもね、私は目前に迫った高校入試の話をしているのだよ。
 10年20年先の話じゃなく、目の前の話。
 だから、とりあえず暗記。
 暗記という言葉が嫌なら記憶。これが有効。
 平均点付近でウロチョロしてる子は、これで一気に点数を上げられる。

 いや、そうは言っても、今の入試は思考力や表現力が求められるんじゃないですか?
 確かにそのとおり。
 でも、「空っぽの頭で、どういう思考をするのよ。どういう表現するのよ」と、考えるから、もし私のところに勉強見てくれと受験生がやって来たら、ガンガン暗記させるよ。

 もちろん、知識相互の関連とか、因果関係とか、そういう理解が深まれば記憶がさらに確かなものになるから、必要に応じてそれはやるけど、まずは覚えてからだ。

 繰り返すが、これからの時代を生き抜く力ではなく、目の前の入試を乗り切る力だ。たった50分のペーパー試験で点数を取る力だ。
 私は高校で先生をしていたが、さすがに普段の授業では、「いいから、とりあえず覚えとけ」なんて言わない。
 でも、進学補講だったら、「ここは覚えちゃうしかないだろう」もあり。
 つまり、ひとくちに授業と言っても、目的が違えば方法論も異なるということだ。

 以上。これが正しい方法だと言い張るつもりはなく、私だったこんなふうにするよという話だ。

プロフィール

梅野弘之

Author:梅野弘之
受験生・保護者の皆さん、学校や塾の先生方に最新情報をお届けします。ただし、結構頻繁に受験と無関係の話も。

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