「梅野弘之の先生応援ブログ」改め「梅野弘之オフィシャルブログ」
本ブログ内の過去記事は新ブログには移行していません。
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梅野弘之オフィシャルブログ【追記】今のところ、「梅野弘之オフィシャルブログ」で検索しても表示されません。
新ブログ「梅野弘之オフィシャルブログ」のURL
http://e-mediabanks.com
永らくご愛読いただいた「先生応援ブログ」は本日をもって終了することにした。
いや、ブログは続けますよ。読者がいなくなるまで、または自分が死ぬかボケるまで。
ただ、開設以来、「FC2ブログ」で運用してきたものを「ワードプレス」での運用に切り替えることにした。
当初、切り替えのタイミングを毎日更新6年目のスタートとなる4月1日と考えていたが、準備が整わず1か月遅れとなった。
サーバーを契約したり、独自ドメインを取得したりというのは、若い人には簡単なことなんだろうけど、年を取るとやることにいちいち時間がかかるんですよ。
一番悩んだのは、書き溜めた約2300タイトルに及ぶ過去記事を移行するかどうか。
技術的には可能なのだが、調べてみると結構手間がかかるようだ。これも若い人なら何でもないはずだが、老人にとっては、とてつもなく高いハードルだ。
「専門家に外注すればいいじゃないか」
そうなんだ。その手がある。だが、あいにく金がない。
てなことを1か月近くうじうじ悩んでいるうちに、あることに気がついた。
過去記事にこだわっているのは自分だけなんじゃねーの?
読者にとって、今日この日の記事が面白かったか、または役に立ったかだけが問題なのであって、このブログがいつから始まったかなんてことはどうでもいい。
よほどのことがない限り、過去記事なんて読まないでしょう。そもそも書いている本人だって、ネタの重複を避けるためにチェックするのがせいぜいで、改めて読み直すなんてことはしないのだから。
よく、思い出が詰まったものだから捨てられない、ってことがあるでしょ。
でも、それは本人だけが価値を感じているのであって、他人からすればただのガラクタ、ただのゴミ。
と、ここまで書いてきて思った。
年寄りの思い出話や経験談っていうやつは、要するにゴミの話だ。
「どうだ。すごいゴミだろう。これだけ集めるの大変だったんだ。苦労したよ。そうだ、せっかくだからこのゴミを君たちにあげよう。大事に使ってくれよ」
とまあ、普段こんなことをやっているわけね。嫌われるわけだ。
本題に戻る。
1 「梅野弘之の先生応援ブログ」は、当分そのまま残しておく。
一つは、新ブログがうまく機能しない場合、戻って来る可能性がゼロとは言えないから。もう一つは、ネタの重複を避けるため 私自身がチェックする必要があるから。
2 新ブログは「梅野弘之オフィシャルブログ」というブログタイトルで、一から書き始める。
WEB上に同じタイトルのブログが二つあるのはよくないらしいからやむを得ず改名。
新ブログの準備が出来次第、URLを公開します。
最近立て続けに「ブログやツイッターをやってみたいが炎上とか恐くて」という人に会った。
アハハ、なに勘違いしてんのよ。あなたのブログやツイッターが炎上するわけないじゃない。
理由?
簡単だよ。あなたのことなんて誰も注目してないからだよ。
炎上の可能性があるのは、敢えて炎上狙いに走る人か脳みそが足りてないクソガキを別とすれば、著名人や権威・権力を持った人ぐらいかな。市井の一個人が何を書いたって黙殺されるだけ。
だから、心配するなら、せっかく書いても誰も読んでくれないことだよ。もしかして、本当に恐れているのは、そっちじゃないの?
「炎上なんて心配ないのは分かりました。でも、ネタがすぐに尽きてしまいそうで…」
そう。いいとこ突いてきたね。
読んでもらうためには、うんと面白いことを書くか、すごく役に立つことを書かないといけない。
そんなこと知ってるよという話ばかりじゃ読む気は起らんだろう。これは読み手の立場で考えればすぐ分かることだ。
私が書き始めて一番思ったのは、自分の知識がいかに狭くて浅いかということだね。そういう反省は誰にでもあるものだが、「書く」という形でアウトプットしてみると一層明確になる。受験生が模試を受けてみて己の弱点に気づくのと似ているかもしれない。
ネタは自分の中に無尽蔵にあるものじゃない。ストックが多い人は割と長持ちするが、それだっていつか使い切ってしまう。ネタが底をつくのは誰でも同じだから、読まれるためには常に新しいネタを仕込む努力が必要だ。
という話をすると、「別に読まれなくてもいい。自分の書きたいことを書いているだけだから」と言い出すやつが必ず出てくるが、これについてはつい最近も「だったら家で日記を書いてなさいよ」という話を書いたばかりだ。
ブログやツイッター、インスタなどSNSのいいところは、始めるのに投資がいらないことだ。金がかからない。
ビジネスにはイニシャルコストもランニングコストもかかるから慎重さが求められるが、タダで始めてタダで続けられるのだから、とりあえず興味があるんだったらやってみる。やってみたけど思ったほど楽しくなかったらやめる。それだけの話だ。
休日は読者が少ない。
月曜、火曜あたりに数字が上がるところをみると、職場のパソコンで見る人が多いようだ。
ゴールが見えてきた。
何のこと?
ブログ毎日更新が始まってから、明日が5年目のゴールという話だ。
記事数は2000を超えた。1記事あたり800字を目安にしているから、400字詰め原稿用紙換算で4000枚。積み重ねというのはすごいもんだね。
紆余曲折はあった。
書き始めたころのブログタイトルは「UPテストの理事長ブログ」というものだった。今もURLにその名残りが見える。
図らずもテスト運営会社のトップに祭り上げられてしまったので、少しでも宣伝になればと思ったのが書き始めた動機だ。
2年前その会社(社団法人)が消滅したので、新しいブログタイトルに変更する必要に迫られた。さあどうする?
改めて自分が今までやってきたこと、これからやろうとしていることを考えてみた。
教育を良くするには、制度やシステムも大事だが、結局最後は先生だよな。先生が、やりがいを持ち、プライドを持ち、使命感を持って、事に当たる。それがなければ、どんなに制度やシステムを改良しても画餅に終わる。
よし、自分は先生の応援団になろう。
というわけで、ストレートに「先生応援ブログ」。
実名を入れているのは、名前をアピールして有名になろうというのではなく、自分なりの責任の取り方である。
必ずしも匿名が無責任とは思わない。ペンネームで書く人がいたって全然かまわない。中身があって、面白ければいいわけだから。ただ、私の場合は、地元の新聞・テレビに実名で出てしまっているので、今さら匿名もないだろうと考えた。
記事タイトルは控えめに。
ネットを見ると、ブログで稼ぐには目立つ記事タイトルを付けたほうがいいとか、検索で上位に来るような記事タイトルにしたほうがいいとか書いてあるが、私の場合、ブログは本業ではない。
ふだん原稿料をいただいている身なので、書くことは本業と言っていいかもしれないが、ブログは趣味みたいなものなので、記事タイトルは適当だ。
ブログを続けたことの効用は?
雑学度が飛躍的に上昇したこと。
だからなんだ。
なのであるが、あまりいい加減なことを書くわけにも行かないから、これで結構調べているのだ。そうすると、今まで自分が知らなかった世界に足を踏み入れることになり、そこが面白い。
この調子なら10年は行けるかもしれない。
不定期にブログを書いたり、ツイッターをやったりしている友人に、「更新頻度を高めれば、たとえば毎日更新とかすれば、もっと読者が増えますよ」と教えてあげたら、何と言ったか。
「いや別に読者を増やそうとは思っていない。書きたいことだけ書いて、分かる人だけ分かってくれればいい」
だったら家で日記帳書いてなさいよ。
別に世界に向けて発信する必要ないでしょう。
出版という形であれ、ブログという形であれ、書いたり撮ったりしたものを発信した時点で、「読んでください」「見てください」ってことになるんだよ。
「読んでください」という行為をしておいて、「読まれなくていい」というのは、どう考えたって矛盾だ。
給料や原稿料をもらって書く原稿は、たしかに制約が多い。それに比べたらブログの自由度は高い。
だが、読み手あっての書き手であるという状況は、お金をもらって書く原稿と変わるところはない。
私はたまたま、一方で有料の依頼原稿を書き、一方でノーギャラのブログを書いているわけだが、どちらの場合も読者を意識して書いている。当たり前じゃないか。
あなた、読まれたいから書いてるんでしょ、分かってもらいたいから何か言うんでしょ。
そういう自分の気持ちに正直にならないと。
読者が増えないのは、読む価値のないものだから。原因はただそれだけ。
そういう現実から目を背けて「好きなこと書いてるだけだから、読者は増えなくていい」なんて言ってると、ますます読者は減っちゃうよ。
というような私の考えは、何度か書いているはずだが、いつどこで書いたか覚えていない。
ついでだが、私の場合、ブログの執筆時間は基本的に勤務時間外だ。勤め人ではないので決められた勤務時間はないのだが、9時5時の時間外ということ。
ただし、調査や資料収集が必要な内容の場合は、昼間にも書く。いずれ依頼原稿や講演の形で収益化できる可能性があるので勤務時間内に書くことを自分に許している。
今日のこのブログは?
もちろん勤務時間外ですよ。