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先生は「大人の本気」を見せつけなくては

 人の名前が覚えられない。
 たぶん年のせいだ。
 脳機能の低下もあるんだろうが、憶えようという意欲がない。記憶に必要なのは「覚えるぞ!」の気力だ

 さて、新人教師諸君!
 新年度が始まって1週間。担任クラスの生徒の顔と名前は覚えただろうな。
 ナニ、まだ半分ぐらい?
 おいおい、春休み中、何やってたんだ。名簿と顔写真渡されてなかったか。全部覚えておいて、初日からいきなり「誰々さん」と呼んでやるんだよ。

 スゲー、と素直に感動してくれる生徒もいるし、受けようと思って先生予習してきたなと、斜めから見てくる生徒もいるが、どっちでもいい。こういうところで「大人の本気」ってものを見せつけてやるんだ。ものごとに本気で取り組むということが、どういうことかを身をもって示す。これが担任としての最初の教育だ。

 来週から授業も始まるし、その準備が大変。慣れない事務作業も大変。
 新人教師にとって、連休までは「地獄の3週間」というところかな。
 先生という職業は、他の職業と異なり、ベテランと新人が同じ役割を担うことになる。学校にもよるが、新人が即担任ということもあり得るからね。
 
 先生になった以上は、良い授業をやりたい。
 これは当然のことなんだが、もう一つ大事なのは、子供たちと良好な関係を築ける能力を身につけること。要するにコミュニケーション力だね。これが無いと、どんなに周到に準備しても、授業は成立しませんよ。

 あっ、それと念のために注意しておくと、生徒とのコミュニケーションというのは、生徒とただ仲良くなるというのとは、ちょっと違うからね。
 「友達みたいな先生」ではダメですよ。「友達風」や「友達的」は、本物の「友達」にはかなわない。つまりニセモノですからね。

 あくまでも大人であり、先生であることを貫きながら、生徒と良好な関係を築く。これが先生に求められているコミュニケーション力ですよ。

 最初に言った、生徒の顔と名前を覚えるというのも、生徒に好かれたいなんていうスケベ根性からやるんじゃありません。見せつけるならプロ根性です。
 頑張ってね。

たぶんハズレと言われていた元担任の言い分

 今年の担任はハズレだのなんだのと文句を言っているお母さん、こっちから言わせれば、あなたのお子さんもハズレですよ。

 それとお母さん、あなた自身もハズレ。
 大した根拠もなく、人やモノをアタリだハズレだと断じるのがクセなんでしょうね。亭主はハズレ、そいつを産んだお姑さんもハズレ、あの美容室はハズレ、あそこの病院はハズレ、今度の車はハズレとかね。そうやって生きてきた。そうやって子供を育ててきた。

 たぶん、これから先も、入った高校・大学がハズレ、入った会社がハズレ、上司がハズレ、選んだ嫁さん(婿さん)がハズレとやって行くんでしょうね。要するに、考え方があくまでも自分中心。自分が気に入った人やモノはアタリ、気に入らない人やモノはハズレ。

 だから、あなた自身がハズレ、そんなあなたに育てられた子もハズレ。

 と、なりそうですが、心配は要りません。
 私はあなたの担任ではありません。あなたのお子さんの担任です。私たちは、児童・生徒をつかまえてアタリだのハズレだの言いません。

 そりゃあ手を焼く子はいますよ。暴力を振るう子もいる。弱い者いじめをする子もいる。無気力な子もいる。勉強がからっきしダメな子もいる。
 こういう子たち、あなたに言わせるとハズレですよね。

 でも、私たちはどんな子を受け持っても、この子はアタリ、この子はハズレなどとは言いません。というか、思うことすらありません。どうしてもと言うなら、全員アタリでハズレなし。

 目に見える短所は誰だって指摘できるけど、目に見えない長所に気づいてそれを伸ばすのが先生の仕事ですよ。それが出来たときは、ホント先生やってて良かったと感じますね。先生の醍醐味ってやつですよ。

 子供たちは家で先生の文句言ってますよね。厳しい、うるさい、つまんない、分かんない。
 たいていは自分のことは棚に上げてなんですが、自分自身を客観視できるようになるのは、まだもう少し先のことなので仕方ないですね。成長を待ちましょう。

 人からアタリ、ハズレと言われることはあっても、自分からはアタリ、ハズレと言わない。これが先生のプライドってもんです。
 あっ、お母さんハズレと言っちゃいましたね。
 訂正します。
 全員アタリの子供たちを産んで育ててくれたお母さんにハズレがあるわけないですよね。失礼しました。

第二希望も捨てたもんじゃない

 今日のは真面目でオチはないですから

 本日のホームルーム。

 みんなに聞くが、この学校が第一希望だった人もいれば、第二希望や第三希望だった人もいるよな。いやいや手は挙げなくてもいいんだ。心の中で答えてくれればいい。

 で、普通に考えれば第一希望で来た人は大満足、第二希望以下で来た人はちょっと不満が残るということなんだと思う。

 これは私の先輩の話なんだが、その人は「俺の人生いつも第二希望」が口癖だった。
 「高校は第二希望、今度こそと思った大学も第二希望、就職ぐらいはと思ったがまたもや第二希望で配属された学校も当然第二希望。というか、希望なんか最初から聞いてもらえなかった。で、せめてこれだけはと思った嫁さんも、一番好きだった人にふられて第二希望(笑)。あーあ、死ぬまでに一度でいいから第一希望をかなえてみたい」

 意地の悪い同僚が、「死ぬまでって言うけど、どんな死に方したいのさ」と聞く。
 「そりゃ、長生きして家族に見守られながら畳の上で穏やかに死にたいよ」。
 すると同僚、「それを第一希望にしないほうがいい」。

 この「いつも第二希望」さんなんだが、実は仕事はものすごく出来る。とにかく早い。ただ、ややミスが多い。で、ミスしたことをすぐ忘れる。まあ、よく言えば気持ちの切り替えが早いってことなんだけどね。
 もしもミスがもうちょっと減って、そのミスを深く反省する性質(たち)だったら、第一希望もかなえられたんじゃないかと思うが、どうもそうはならないみたいだ。

 「いつも第二希望」さんは、みんなから好かれていたよ。いや、頼られていたと言ったほうがいいかな。
 仕事でみんなが行き詰ったとき、「だったら、こういう手があるんじゃない」と、名案を出してくるのが、決まって「いつも第二希望」さんだったからだ。
 長年の経験?で、最善がダメなら次善で行こうじゃないかという発想が身に付いていたんだろうね。とにかく、何があってもくじけない、落ち込まない。

 第一希望はもちろん立派だが、第二希望も捨てたもんじゃないなと思ったよ。

 ところで。
 かく言う私も、この学校に来てから第二希望の連続でね。学年も仕事分担も希望通りになったことは一度もなかった。
 で今回、1年生を担任するんだったら1組にして欲しいと言ったんだが、どうせ無理だろうと思っていたところ、希望が通って、それで今みんなの前にいるというわけだ。
 やっぱり第一希望はいいね。我慢した甲斐があったってもんだ。よろしく頼む。

 以上、ホームルーム終わり。

満開のサクラと今年一番のお昼ごはん

 20190331見沼代用水サクラ
 20190331久の半02
 20190331久の半

 私は食い物に興味がない。
 好き嫌いは一切なく、目の前に並んだものは片っ端から平らげる。昔の人間だから米粒一つ残さない。
 私にとって食事とは、車にガソリンを補給するみたいなもの。メニューを選ぶのは面倒だから先頭に書いてあるものを注文する。
 なんかラーメンは醬油しか食ってないよな。そりゃそうだ、大抵は、味噌よりも塩よりも前に書いてある。

 セブンイレブンのお弁当は旨い。すき家の牛丼も旨い。マックのハンバーガーも旨い。とにかく口に入るものは何でも旨い。

 そのような、食通(グルメ)とは程遠い私が言うことなので、やや信ぴょう性に欠けると思うが、今日の昼飯は極上だった。
 今年に入って(と言ってもまだ3か月だが)食ったものの中では、堂々の1位。昨日までは、分不相応にも帝国ホテルのディナーだったが、今日で逆転した。

 場所は東浦和。県道浦和越谷線沿い、浦和東警察署近く。お蕎麦屋さんで「久の半」(くのはん)。あとは、ぐるなびや食べログで調べてもらおう。

 そうそう、絶賛する重要な理由がある。かつての教え子の実家なのだ。ここは大事なポイントだ。

 今日は、その教え子たち(50代)数人と見沼代用水沿いにお花見ウォークに出かけた。

 大病を患った級友がいる。今はだいぶ快復した。だが、このまま家に引きこもるのは良くない。たまには様子見がてら外に連れ出そうじゃないか。
 という企画なんですが、先生もどうですか。

 おお、それはいい。仲間に入れてくれ。
 それにしても、おまえら本当に優しいな。血も涙もない担任からどうしてそんなに心優しい人間が育ったんだ。

 今日の昼飯は、それ自体極上なのであるが、高評価の裏には、教え子贔屓と、ほのぼのストーリーがあることをお断りしておこう。

石灯篭に登ってはいけない理由を説明できるか

 群馬県高崎市の中学1年生が、石灯篭に登って遊んでいるうちに、落下し、石の直撃を受けて死亡。
 事故と言えば事故なんだろうが、若いのに残念な亡くなり方だ。

 灯篭(とうろう)というのは読んで字のごとく、灯(あかり)の篭(かご)、つまり照明器具だ。部屋の中で使うのが行燈(あんどん)、携帯用が提灯(ちょうちん)。
 なんてことはこの際どうでもよくて、昔の人、たとえば私の祖父母の世代(明治生まれ)だったら、こういう時「罰(バチ)が当たった」と言うだろう。罰(バチ)にしては重過ぎるが。

 寺や神社にある石灯篭は、ふつうは地中深く基礎を打ち込んでるわけじゃないよ。鉄筋が通ってるわけでもないよ。多少はコンクリートで補強してるかもしれないが、基本的には自重で安定を保ってるんだ。墓石も同じ。
 
 だから人が乗ったら危ない。
 けれど、もともと人が乗ることを想定していない。というか、乗っちゃいけない。遊具代わりにしちゃいけない。そういうものなんだ。

 でも、神社側の管理責任を問う声も出るんだろうね。全国の神社仏閣の石灯篭を総点検しろとか。
 「石灯篭には乗ってはいけない」の看板を立てろとか。
 そんな無粋なもの立てられるか。

 石灯篭に乗って遊んじゃいけなのは、危険か安全かという問題じゃない。そういう問題なら、安全なら別にいいじゃないとなるが、安全でもダメなんだよ。バチが当たるから。

 法で禁じられているからダメ。
 危険だからダメ。
 人に迷惑かけるからダメ。
 こういうのは割と説明がしやすいし、言われた方も理解しやすい。
 だが、なぜと言われてもうまく説明できないけど、ダメなんだ、やっちゃいけないんだ、ということは世の中には山ほどあるわけで、そういうことをきっちり教えるのが大人の責任というものだ。

 私が当該の生徒の担任だったら、この度の一件をどう生徒に説明するだろう。
 他人事ながら悩ましい。

 さしあたり、わが身の安全をどう守るかの話になりそうだが、灯篭が軽合金やプラスチック製になっても、やっぱりダメなんだな。少し時間が経ってから、そのあたり、ちょっとずつ教えるしかないか。
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梅野弘之

Author:梅野弘之
受験生・保護者の皆さん、学校や塾の先生方に最新情報をお届けします。ただし、結構頻繁に受験と無関係の話も。

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