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スマホ持ち込んでもいいけど、ブラック校則とか言うなよ

 カメラ持って、ビデオ持って、あとテレビも持って、そうそう忘れちゃいけないゲームも持って、そうだマンガもだ。
 いや~、今どきの小学生はいろんなもの持って学校行くんだな。大変だろう。
 大丈夫。スマホ1台持ってくだけだから。

 というのが、いま議論が沸騰している、小中学校へのスマホ持ち込み問題である。

 今のところ、緊急時の連絡用にと言っている親たちが次に学校に求めてくるのは、コンセントをもっとたくさん付けろ、充電器を用意しろ。
 スマホは個人情報の塊なんだから、先生はちゃんと管理しろ。落として壊れたり盗まれたりしたら損害賠償しろ。イジメに使われるのは分かりきってるんだからちゃんと指導しろ。使い方の規則が多すぎる、ブラック校則だ。
 あ~あ、せっかく働き方改革で仕事時間減らそうとしてるのに。

 というのが、いま世間を騒がせている、スマホ持ち込み問題である。

 スマホ禁止なんて時代遅れ。むしろ、早くから持たせてリテラシー高めたほうがいい。
 まあ、児童生徒の指導に直接関与することのない人は、そう言うだろう。でも、学校というのは、生徒指導というのは、そんな簡単なもんじゃないんだよ。スマホ持ち込みは、学校や先生から見たら、新たな問題の持ち込みだ。

 災害時の緊急連絡用。
 これも一理あるが、スマホじゃ命は守れんよ。だって、命を守る用に開発された道具じゃないから。
 残念ながら、世の中にはスマホを悪用する大人がいくらでもいるから、スマホを持つことで別の危険にさらされることにもなる。

 とまあ、ネガティブなことばかり書いているが、趨勢としては、これは止められない。通信会社としても、われわれ年寄りに持たせるより子供や若者に持たせた方がいいから、ガンガン攻めてくるだろう。緊急連絡用とか教育用とか、理由はいくらでもある。

 だが、大人でもコントロールが難しいスマホの世界に、知識も判断力もない子供をいきなりぶち込むのは危険だ。親や先生は、子供の行動をどこまで制御できるか。

 今のところ、学校としては子供にスマホを持ってもらわなければならない理由はない。むしろ持って欲しくない。
 持たせたいのは親の方だ(もっと持たせたいと思っている人々がいるが、そこは措いておいて)。買ってやるのも親だ。
 買って持たせておいて、後の管理や指導は先生任せというのは無責任だ。

右パンチ一発は軽くもあり、重くもあり

 都立町田総合高校の先生、生徒に右ストレート一発かまし、ネットで炎上。
 今なら、TwitterやYouTubeで生徒たちの茶番劇とともに、その模様が閲覧できる。

 ここは、その名のとおり総合学科の学校。
 都立に10校あるが、そのうちの一つ。ちなみに埼玉県にも9校ある。総合学科はどちらもあまり人気はなく、定員を割っている学校が多い。
 総合学科は、普通科でもない、専門学科でもない、第三の学科として誕生した。多くの場合、商業・工業・農業・家政といった伝統的な専門学科を母体(前身)としている。興味や関心に沿って、さまざまな科目が学べる

 さて、都立町田総合高校。
 ピアスを注意しようという先生がいるのか。
 だったら、まだ希望はあるぞ。学力的には中下位で、定員確保すれすれでも、そういう指導をしているなら、そういう指導をしようとする先生がいるなら、まだ大丈夫だ。

 普通の日本語が通じない連中は放っておくに限る。
 親を呼んでみたら、子供はまだましだと知った。そういうのは触らない。義務教育じゃないんだし、やめたければどうぞ。5年6年して異動すればいい。それまでの我慢だ。見なったことにしよう。聞かなかったことにしよう。

 おいおい、オマエ、教員としての責任感はないのか。使命感はどこに忘れて来たんだ。

 いや、そうじゃありませんよ。生徒の自主性を重んじているんですよ。生徒の人権を認めているんですよ。茶髪もピアスもミニス カートも、生徒の個性じゃないですか。一方的に学校や先生の価値観を押し付けてはいけない。学校はもっと自由じゃなければいけない。そう新聞やテレビでも言ってるじゃないですか。
 なんてことを言っているうちに、消えて無くなった学校はいくらでもある。

 ピアス野郎とその仲間たちよ。
 うるせー先生がこれで一人いなくなるよ。良かったな。ホントはうるせー先生じゃなく、めずらしくオマエラをかまってくれた先生なんだけどな。まあ、それは分かるまい。
 世の中には先生の行動に問題ありと言う人も多いが、そういう人もオマエラの行動が正しいとは言ってないぞ。そうやって、どんどん周りの人たちから見放されて行くんだよ。本当にそれでいいのか。

答えは質問の中にある

 質問力。大事ですね。

 先生としては、自ら質問してくる生徒に教えるのは難しいことではない。
 かれらには「分かろう」「分かりたい」という気持ちがある。そして、質問する段階で、すでに考えている。ここが大事。
 さらに、考えた結果、質問の中にすでに答えがある。

 2017年12月15日のエントリー「『ブラック校則』って、簡単に言われても困るな」に対する読者の方からのご質問。
 「少しわからないところがあったので教えていただきたいと思い、コメントいたします。
この記事の>やむにやまれぬ事情から、「くだらねえ校則」を強いているのだ。にある「やむにやまれぬ事情」とは、具体的にはどのようなことでしょうか」

 回答を先に言っておきます。
 ご質問にある「具体的にどのようなことでしょうか」。これがキーワード。と言うか、ほとんどこれが答えです。

 先生の中に、校則は「多い方がいい」、「細かいほどいい」、「厳しいほどいい」と考えている人は、まずいない。無しで済ませられればそれがベスト。あったとしても、少なくて、大ざっぱで、ユルーイほうがいい。そう思っている。
 月1回、全校生徒を集めて頭髪服装検査なんて、生徒も嫌だろうし、先生だって面白くない。

 では、なぜ校則が「多く」「細かく」「厳しく」なって行くか。
 「具体的にどのようなことでしょうか」に、いちいち答えようとするからだ。と言うより、答えざるを得ないからだ。

 まず先生方自身の問題点。
 「最近、生徒の服装が乱れているようなので、それぞれ注意してください」。
 これで済めばいいが、「乱れというと、具体的には?」と質問してくる先生がいる。毎日見てりゃ分かるだろ。
 「それは、各先生のご判断で」と言えば、「いや、統一性が必要でしょう。担任ごとバラバラはまずいでしょう。明確な基準がないと…」と来る。
 別に先生ごとに多少のズレがあっても構わないと思うが、基準がないと指導できないって言うなら、仕方ない、作ってやるか。
 
 生徒が言う。
 「スカートが短いっていうけど、じゃあ、膝上何センチまでならいいんですか?」
 そんなの大体でいいだろう。と思うが、そこまで言うなら仕方ない。数字で決めてやるか。

 親が言う。
 「派手な色はダメって言われても分からないから、何色と何色がOKなのか学校でちゃんと決めてください」
 それも各自の判断でいいだろう。と思うが、そこまで言うなら仕方ない。色を指定するか。


 ある時、廊下を走り回る生徒が大勢いた。ついにぶつかって怪我人が出た。
 若いころの私だったら向こうから走ってくるやつらにラリアットでも食らわしてやるところだが、今そんなことをしたら一発でこっちの首が飛ぶ。
 「危ないから廊下を走り回るんじゃない。静かに歩け」。これがたぶん正しい指導だが収まらない。仕方ない。「廊下を歩くときは右端を縦一列で無言で歩くこと」を定めよう。「追い越し禁止」も加えとくか。

 みんなが、具体的に、基準を定め、数字で表わさないと理解できない、納得できないって言うから、校則という形で明文化せざるを得ないんですよ。
 で、そのうちに、決めたとき当事者だった先生は異動し、生徒も卒業し、保護者も入れ替わって、あとに校則だけが残る。

 「自分で判断しろ」とか「常識で考えろ」と言えば済む生徒もいるが、そうではない生徒もいる。親にもいる。
 なぜそうしなければならないか。なぜそうしてはいけないか。言葉を尽くして説明し理解を求めるのが筋だが、それが通じない生徒も残念ながらいる。そこで、不本意ながら「それが規則だから」という奥の手を使う。先生として敗北感、無力感を感じる場面でもあるわけだけどね。

 ということで、質問者さん。少しは理解が深まりましたか。

校則の自由を奪うな

 変な校則、おかしな校則というのはあるものだ。
 ネットで検索すればいくらでも出てくる。

 しかし、校則というのは、いわばローカルルールで、会社ごとに独自の決まりがあったり、各家庭に「わが家のしきたり」あったりするのと同じことだ。
 他者から見たら、「なんで?」と思われるものであっても、定めに至るには経緯(いきさつ)もあり理由もあるのだ。

 あちこちの変な校則を取り上げて、ネット上で盛り上がるのは自由だ。止めようと思っても止められない。
 しかし、マスコミがそれと同じレベルで大騒ぎするのはいただけない。
 批判するなら取材しろという話だ。定めた経緯と理由をちゃんと取材しろ。その上でやはり変だと思うなら、記事にするなり番組にするなりすべきだろう。ネットの話題をつまみ食いして無責任な記事や番組を作ってんじゃないよ。

 日本には約2万の小学校と、約1万の中学校と、約5千の高校がある。これだけあれば、いろんな校則があるでしょうよ。
 で、それらの学校が、いろんな経緯、いろんな理由でローカルルールを定めている。それを「うちの学校とは違う」とか、「われわれの時代とは違う」とか、「わが家の考えと違う」などと言い出したら切りがない。

 うちでは子供にテレビを見せませんとか、スマホは与えませんという親がいたら、子供の知る権利を奪っているとでも言うのかな。まさか。
 それが「わが家の方針」であり「わが家のしきたり」なんだから、他人がとやかく言う問題ではないでしょう。家庭内で、親子で、話し合って解決しなさいよ。

 学校は公的な性格もあるし、ある種の権力でもあるから、家庭とまったく同じにはできないが、当事者で話し合って解決しなさいよという点は同じだ。

 全国一律の校則でいいんですか?
 誰かが、これが正しい校則だと決めたほうがいいんですか?
 地域ごと、校種ごと、学校ごとでいいじゃないですか。

 その中で、当事者(学校と生徒と保護者)が、やっぱりこれは変えようよとなったら、自由に変えられる。それが校則というものだ。

 梅野弘之の先生応援ブログ・動画版(2018年12月6日)

「乗るな」の指導から「乗るなら」の指導へ、いいことだ

 20180927校内スマホ禁止

 高校生のバイク解禁
 県教育局「三ない運動」は廃止
 
 9月26日(水)付埼玉新聞1面トップの見出しだ。

 バイクに「乗らせない・買わせない・免許をとらせない」の三ない運動。
 県教委が「高校生活にバイクは不要」の方針の下、指導要項を定めたのは1981年のことだ。
 下手すりゃ、ツッパリ君たちが廊下をバイクで走り回るような時代だ。当時は規制も必要だったのだ。
 
 もともと、文科省なんかはそれほど積極的じゃなかったんだね。もちろん自動車工業会みたいな業界団体も。ただ、PTAとかを中心に一種の社会運動として盛り上がって、それを受けて県教委や各学校がバイク規制を強化したという経緯がある。

 時代は移り、むしろ若いうちから交通安全教育をしたほうがいいんじゃないかという考えが主流になってきた。昔からあった考え方だが、ようやく社会がそれを容認するようになった。 
 若いうちから自転車・バイク・車の運転の仕方やマナーを叩き込んだほうがいいわけで、私は歓迎する。

 「(臭い物に)蓋をする」というのかな。危ないからとりあえずダメ、禁止する。
 そういう指導が必要な場面があるし、短期的には効果を発揮するが、実は課題を先送りしていることになる。
 命にかかわること。身の安全にかかわること。そういうのは、蓋をせずに早い段階で、きちんと教えよう。

 話が飛躍し過ぎと言われるかもしれないが、ケータイやスマホなんかも、蓋をしないで正しい使い方やマナーを教えてもらいたいね。むしろ積極的に使う方向で。
 やれICT教育だ、これからはAIだ、と言っていながら「中学生活にスマホは不要」は変でしょう。アカウントを乗っ取られない方法とか、詐欺に引っかからない方法とか、ウイルスに感染しない方法とか、ちゃんと教えておいたほうが子供のためだ。

 それはそうと、ブレーキとアクセル踏み間違えない方法を年寄りに教えてくれないかな。「乗るな」じゃなくて。
プロフィール

梅野弘之

Author:梅野弘之
受験生・保護者の皆さん、学校や塾の先生方に最新情報をお届けします。ただし、結構頻繁に受験と無関係の話も。

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