久しぶりにあかりちゃん
このブログではおなじみのあかりちゃんが、久しぶりに訪ねてくれた。
早いもので、もう高校2年生になる。
勉強の方はいまいちかな(本人談)。でも、教科書放り出して遊びまくってるわけじゃないからね。まあ、いいよ。今日も部活帰りに寄ってくれた。
私は、あかりちゃんに、こんな話をした。
「自分を見つめる、もう一人の自分を作れるといいよ」
幼いころは、「ああしなさい」「こうやりなさい」と親や先生に取るべき行動を指示される。そして、そのとおりできたら、親や先生に「よくやったね」とほめてもらえる。
でも、高校2年生がこれじゃいけない。
心の中にもう一人の自分がいて、そいつが現実の自分に対して取るべき行動を指示してくる。現実の自分は相当だらしないのだが、もう一人の自分は厳格だ。「おいおい、そんなんでいいのかよ」と口うるさい。
もう一人の自分のしつこさといったら、親の比じゃないのだが、こいつがいると、間違った方向や危険な方向に行きそうなときに、ぎりぎりのところで引き留めてくれる。
私も、人には偉そうなことを言っているけど、相当なダメな人間だ。
でも、とりあえず、自分の中にもう一人の自分がいるらしく、こいつが、「この野郎、何やってんだ」と叱ってくるし、「こうしなきゃだめだろう」と指図してくる。
うるさいやつだ。けど、こいつは自分の中にいるからな。一体いつからいるんだ。
たぶん高校生ぐらいのときからだろうな。じゃあ、今さら出てけとも言えない。しょうがない、死ぬまで付き合ってやるか。
あかりちゃん、もう一人の自分ってやつは、うるさいけど有り難い存在でもあるんだよ。
早いもので、もう高校2年生になる。
勉強の方はいまいちかな(本人談)。でも、教科書放り出して遊びまくってるわけじゃないからね。まあ、いいよ。今日も部活帰りに寄ってくれた。
私は、あかりちゃんに、こんな話をした。
「自分を見つめる、もう一人の自分を作れるといいよ」
幼いころは、「ああしなさい」「こうやりなさい」と親や先生に取るべき行動を指示される。そして、そのとおりできたら、親や先生に「よくやったね」とほめてもらえる。
でも、高校2年生がこれじゃいけない。
心の中にもう一人の自分がいて、そいつが現実の自分に対して取るべき行動を指示してくる。現実の自分は相当だらしないのだが、もう一人の自分は厳格だ。「おいおい、そんなんでいいのかよ」と口うるさい。
もう一人の自分のしつこさといったら、親の比じゃないのだが、こいつがいると、間違った方向や危険な方向に行きそうなときに、ぎりぎりのところで引き留めてくれる。
私も、人には偉そうなことを言っているけど、相当なダメな人間だ。
でも、とりあえず、自分の中にもう一人の自分がいるらしく、こいつが、「この野郎、何やってんだ」と叱ってくるし、「こうしなきゃだめだろう」と指図してくる。
うるさいやつだ。けど、こいつは自分の中にいるからな。一体いつからいるんだ。
たぶん高校生ぐらいのときからだろうな。じゃあ、今さら出てけとも言えない。しょうがない、死ぬまで付き合ってやるか。
あかりちゃん、もう一人の自分ってやつは、うるさいけど有り難い存在でもあるんだよ。