国会で必要なのは「YesかNoか」ではなく記述式の答だ
国会中継などを見ていると、野党の議員が政府関係者に対して、「YesかNoでお答えください」と迫る場面が多い。
近年の傾向だと思う。
野党議員「総理は、消費増税を延期するんですか、しないんですか。YesかNoかで端的にお答えください」
総理「Yes」
野党議員「それは公約違反でしょう。YesかNoかで端的にお答えください」
総理「No」
野党議員「であれば責任を取って辞めますか。YesかNoかで端的にお答えください」
総理「No」
実際にはこうはならないのだが、もし野党議員が望むように、端的にお答えしたら、こんなやり取りになってしまう。これではまるでアンケートだ。
たしかに、国会の場においては、最後は賛成か反対かの二者択一になるわけだが、そこに至るプロセスにおいて「YesかNoか」だけを問うのは、結局のところ、議論を否定していることになる。
われわれは、まさか、こんなことのために議員を選んでいるわけではないし、歳費を負担しているわけではないだろう。
○か☓かを選べ。正しいものを一つ選べ。正しい言葉を書け。
入学試験ならぎりぎり許せる。
だが、国の経済や外交や安全保障の問題は、何が正解か分からないのだ。さまざまな見解はあるが、唯一の正解はない。そういう話をしているのだ。
議員の仕事は、見解を述べ合うことである。
もちろん採決もするわけだが、最終的な決着は国民が選挙によって付ける。
端的にお答えするのは国民の仕事なのであるから、国会では「YesかNoか」ではなく、記述式でお願いしたい。
近年の傾向だと思う。
野党議員「総理は、消費増税を延期するんですか、しないんですか。YesかNoかで端的にお答えください」
総理「Yes」
野党議員「それは公約違反でしょう。YesかNoかで端的にお答えください」
総理「No」
野党議員「であれば責任を取って辞めますか。YesかNoかで端的にお答えください」
総理「No」
実際にはこうはならないのだが、もし野党議員が望むように、端的にお答えしたら、こんなやり取りになってしまう。これではまるでアンケートだ。
たしかに、国会の場においては、最後は賛成か反対かの二者択一になるわけだが、そこに至るプロセスにおいて「YesかNoか」だけを問うのは、結局のところ、議論を否定していることになる。
われわれは、まさか、こんなことのために議員を選んでいるわけではないし、歳費を負担しているわけではないだろう。
○か☓かを選べ。正しいものを一つ選べ。正しい言葉を書け。
入学試験ならぎりぎり許せる。
だが、国の経済や外交や安全保障の問題は、何が正解か分からないのだ。さまざまな見解はあるが、唯一の正解はない。そういう話をしているのだ。
議員の仕事は、見解を述べ合うことである。
もちろん採決もするわけだが、最終的な決着は国民が選挙によって付ける。
端的にお答えするのは国民の仕事なのであるから、国会では「YesかNoか」ではなく、記述式でお願いしたい。