親が死んでもブログ止めない
8月6日に死んだ母親の通夜(10日)、告別式(11日)のため、いまいち気合の入らないブログを書き続けたが、明日からは平常運転に復帰するつもりだ。
葬儀の準備に忙殺される中、一瞬お休みを取ろうと思ったが、いったん自分で決めごとをしたら、愚直にやり続ける母であったから、その息子としては、何があっても休みにすることはできない。
親が死んでもブログ止めない。
父が享年80、母が享年90であるから、中をとって85歳あたりが自分の寿命だろうと勝手に決めているが、あと20年持つだろうか。
たぶん、そこまでは持つまい。
私は、「健康にいい」とか「身体にいい」という単語に、ほとんど反応しない人間であると自覚している。
マラソンや山登りをしているが、健康のためではない。これらはむしろ、身体を痛めつける行為であって、健康のことを考えたら、止めるか、ほどほどにすべきなのである。
だが、若いころからの流儀を、この年になって変えるのは難しい。
このままで行こう。
そして願わくば、母のように一瞬のうちに旅立ってしまいたいものである。
葬儀の準備に忙殺される中、一瞬お休みを取ろうと思ったが、いったん自分で決めごとをしたら、愚直にやり続ける母であったから、その息子としては、何があっても休みにすることはできない。
親が死んでもブログ止めない。
父が享年80、母が享年90であるから、中をとって85歳あたりが自分の寿命だろうと勝手に決めているが、あと20年持つだろうか。
たぶん、そこまでは持つまい。
私は、「健康にいい」とか「身体にいい」という単語に、ほとんど反応しない人間であると自覚している。
マラソンや山登りをしているが、健康のためではない。これらはむしろ、身体を痛めつける行為であって、健康のことを考えたら、止めるか、ほどほどにすべきなのである。
だが、若いころからの流儀を、この年になって変えるのは難しい。
このままで行こう。
そして願わくば、母のように一瞬のうちに旅立ってしまいたいものである。