親も教育者ってことを忘れてもらっては困る
「嘘も方便」というが、あまり気分の良い言葉ではないな。
しかし、方便とは、元々仏教から来た言葉なのである。
お経を聞いていると、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」とか、「妙法蓮華経方便品第二」とか、最初にお経のタイトルを言っているよね。そこに出てくる「方便品(ほうべんぼん)」の「方便」。
えっ、知らない?
そりゃそうだ。お経なんてものは「早く終わんねえかな」と思って聞いている人がほとんどなんだから。
さてと。
話をしたいのは仏教のことではない。
昔のことだが、知り合いの娘によく嘘をつく女子中学生がいた。
嘘というか、見え透いた言い訳みたいなものなんだが、本人は巧妙に騙したつもりでも、所詮は子供だから、こっちはとうにお見通しだ。
その原因は母親の行動にあった。
母親が遅刻の常習犯かつ大ウソつきなのだ。
たとえば、約束の時間に遅れそうになる。母親は携帯で電話してくる。
「車が渋滞しちゃって…」、「出がけにお客が来ちゃって…」、「祖母が急に具合が悪くなっちゃって…」。
嘘つけ。寝坊したんだろう。お喋りに夢中になって出遅れたんだろう。
ある時。
「先生、今日○○さんと娘さんが行くと思うんですけど、さっきまで会ってて、ついお喋りが過ぎちゃって遅刻すると思います。ゴメンナサイ、私の責任です」。
という別の知り合いからの電話。
その直後。まさか本当の理由が伝わっていると思わないから、「スイマセーン。車がものすごく混んじゃって、遅れると思いま~す」。
隣にいる娘はどうなる。
母親としては、「嘘も方便」ってところなのかもしれないが、あんたの娘は、「そうか、こういう時は、こんな風にすればいいんだ」ってことを学習してるぞ。だから、しっかり大ウソつき育ってるぞ。絶対に謝らない人間に育ってるぞ。いいのかよ。
教育の話になると、すぐに学校が、先生が、となるが、親も教育者なんだよ。忘れてもらっちゃ困る。
追伸:私の車の中にはお経のCDがあるのだよ。
しかし、方便とは、元々仏教から来た言葉なのである。
お経を聞いていると、「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」とか、「妙法蓮華経方便品第二」とか、最初にお経のタイトルを言っているよね。そこに出てくる「方便品(ほうべんぼん)」の「方便」。
えっ、知らない?
そりゃそうだ。お経なんてものは「早く終わんねえかな」と思って聞いている人がほとんどなんだから。
さてと。
話をしたいのは仏教のことではない。
昔のことだが、知り合いの娘によく嘘をつく女子中学生がいた。
嘘というか、見え透いた言い訳みたいなものなんだが、本人は巧妙に騙したつもりでも、所詮は子供だから、こっちはとうにお見通しだ。
その原因は母親の行動にあった。
母親が遅刻の常習犯かつ大ウソつきなのだ。
たとえば、約束の時間に遅れそうになる。母親は携帯で電話してくる。
「車が渋滞しちゃって…」、「出がけにお客が来ちゃって…」、「祖母が急に具合が悪くなっちゃって…」。
嘘つけ。寝坊したんだろう。お喋りに夢中になって出遅れたんだろう。
ある時。
「先生、今日○○さんと娘さんが行くと思うんですけど、さっきまで会ってて、ついお喋りが過ぎちゃって遅刻すると思います。ゴメンナサイ、私の責任です」。
という別の知り合いからの電話。
その直後。まさか本当の理由が伝わっていると思わないから、「スイマセーン。車がものすごく混んじゃって、遅れると思いま~す」。
隣にいる娘はどうなる。
母親としては、「嘘も方便」ってところなのかもしれないが、あんたの娘は、「そうか、こういう時は、こんな風にすればいいんだ」ってことを学習してるぞ。だから、しっかり大ウソつき育ってるぞ。絶対に謝らない人間に育ってるぞ。いいのかよ。
教育の話になると、すぐに学校が、先生が、となるが、親も教育者なんだよ。忘れてもらっちゃ困る。
追伸:私の車の中にはお経のCDがあるのだよ。