友達作れは子供を追い詰める言葉
♪1年生になったら 1年生になったら
ともだち100人 できるかな
100人で 食べたいな 富士山の上で おにぎりを
パックン パックン パックンと♪
有名な歌、「1年生になったら」。
この歌には、前々から人数が合わないんじゃないかとツッコミが入っている。
自分プラスともだち100人なら、富士山の上でおにぎりを食べるのは101人じゃないと合わないというわけである。
まあ、そんなことはいいとして、世の中では友達がたくさんいることはいいことだとされている。だから、われわれ大人も、中学校に入ったら、高校に入ったら、新しい友達を作れとついつい言ってしまう。
だが、落ち着いて考えてみれば、友達は作るものではなく、自然になるものである。つまり、「友達づくり」という行為は存在しないのだ。存在しない行為を若者に求めてはいけない。
友達がいれば楽しいこともあるが、逆に面倒なこともある。単なる知り合い程度だったら、何かに誘われても何かを頼まれても簡単に断れるが、友達からだと断りにくい。
その点、友達の少ない私は、人間関係に悩むことがない。友達が少ないことにもちゃんとメリットがあるのだ。
友達をたくさん作れというのは、子供たちを追い詰める言葉かもしれない。
友達が多いか少ないかなんて、声がデカいか小さいかの違い程度であって、性格やら人間性まで問われるようなものではない。
「ボク、○○クンとお友達になったんだ」
「そうか、そいつは良かった。仲良くやれよ」
この程度の話だ。
ともだち100人 できるかな
100人で 食べたいな 富士山の上で おにぎりを
パックン パックン パックンと♪
有名な歌、「1年生になったら」。
この歌には、前々から人数が合わないんじゃないかとツッコミが入っている。
自分プラスともだち100人なら、富士山の上でおにぎりを食べるのは101人じゃないと合わないというわけである。
まあ、そんなことはいいとして、世の中では友達がたくさんいることはいいことだとされている。だから、われわれ大人も、中学校に入ったら、高校に入ったら、新しい友達を作れとついつい言ってしまう。
だが、落ち着いて考えてみれば、友達は作るものではなく、自然になるものである。つまり、「友達づくり」という行為は存在しないのだ。存在しない行為を若者に求めてはいけない。
友達がいれば楽しいこともあるが、逆に面倒なこともある。単なる知り合い程度だったら、何かに誘われても何かを頼まれても簡単に断れるが、友達からだと断りにくい。
その点、友達の少ない私は、人間関係に悩むことがない。友達が少ないことにもちゃんとメリットがあるのだ。
友達をたくさん作れというのは、子供たちを追い詰める言葉かもしれない。
友達が多いか少ないかなんて、声がデカいか小さいかの違い程度であって、性格やら人間性まで問われるようなものではない。
「ボク、○○クンとお友達になったんだ」
「そうか、そいつは良かった。仲良くやれよ」
この程度の話だ。