京都日帰り、石清水八幡宮参拝の旅
昔ならった吉田兼好「徒然草」五十二段。
●原文
仁和寺にある法師、年よるまで岩清水を拝まざりければ、心うく覚えて、あるとき思ひ立ちて、ただ一人、徒歩より詣でけり。
極楽寺、高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。
さて、かたへの人にあひて、「年ごろ思ひつること、果たしはべりぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
少しのことにも、先達はあらまほしきことなり。
●現代語訳
仁和寺にいた法師が、歳を取るまで岩清水八幡宮を拝みに行ったことがなかったので、残念に思っていたが、ある時思い立って、一人で歩いてお参りに行った。極楽寺や高良神社などを拝んで、これでいいだろうと思って帰ってきた。
後で仲間にあって「ずっと思ってきたことをついに実行したよ。聞いていた以上に尊かったな。そういえば、参拝客の中に山に登っている連中がいたけど、何かあったんだろうか。まあ、気にはなったんだが、神に参拝するのが本来の目的だから、山には登らなかったよ」と言った。
ほんの小さなことでも、案内してくれる人は必要だよな。
というわけで、年をとるまで行ったことがなかった石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)を参拝。
京都駅から、JR奈良線、京阪電車を乗り継ぎ「八幡市駅」下車。
徒然草で予習していたので、ちゃんと山まで見て来た。
二所宗廟(にしょそうびょう)という言葉がある。
皇室の祖先を祭る二つの神社のことで、伊勢神宮と石清水八幡宮がそれである。
(古くは、石清水八幡宮ではなく大分の宇佐神社だったと言われる)
伊勢神宮には何度も行っているので、まだ行ったことのない、石清水八幡宮を参拝したという次第。

山頂まで「男山ケーブル」(片道200円)を使うという手もあるが、ここは徒歩(かち)より詣でけり。

仁和寺(にんなじ)の法師は、「山までは見ず」、つまり、これを見なかった。
●原文
仁和寺にある法師、年よるまで岩清水を拝まざりければ、心うく覚えて、あるとき思ひ立ちて、ただ一人、徒歩より詣でけり。
極楽寺、高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。
さて、かたへの人にあひて、「年ごろ思ひつること、果たしはべりぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
少しのことにも、先達はあらまほしきことなり。
●現代語訳
仁和寺にいた法師が、歳を取るまで岩清水八幡宮を拝みに行ったことがなかったので、残念に思っていたが、ある時思い立って、一人で歩いてお参りに行った。極楽寺や高良神社などを拝んで、これでいいだろうと思って帰ってきた。
後で仲間にあって「ずっと思ってきたことをついに実行したよ。聞いていた以上に尊かったな。そういえば、参拝客の中に山に登っている連中がいたけど、何かあったんだろうか。まあ、気にはなったんだが、神に参拝するのが本来の目的だから、山には登らなかったよ」と言った。
ほんの小さなことでも、案内してくれる人は必要だよな。
というわけで、年をとるまで行ったことがなかった石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)を参拝。
京都駅から、JR奈良線、京阪電車を乗り継ぎ「八幡市駅」下車。
徒然草で予習していたので、ちゃんと山まで見て来た。
二所宗廟(にしょそうびょう)という言葉がある。
皇室の祖先を祭る二つの神社のことで、伊勢神宮と石清水八幡宮がそれである。
(古くは、石清水八幡宮ではなく大分の宇佐神社だったと言われる)
伊勢神宮には何度も行っているので、まだ行ったことのない、石清水八幡宮を参拝したという次第。

山頂まで「男山ケーブル」(片道200円)を使うという手もあるが、ここは徒歩(かち)より詣でけり。

仁和寺(にんなじ)の法師は、「山までは見ず」、つまり、これを見なかった。