作文は特定の誰かに向けて書く
長くブログを書き続けていると、「今日はこれといって書くことないな」という日もある。ただ、自分で毎日書くと決めてしまったので、何かしら書かなくてはいけない。
さて、どうする。
これ自体は仕事ではないので、そんなに時間はかけられない。
そんな場合のとっておきの手段は、知っている特定の誰かに向けて書くという技だ。
本来どなたが読者であるか分からないブログであるが、「ブログ読んでます」と言ってくれる人もいるので、少しずつ分かってくる。そこで、その中の特定の誰かに向けて書く。今日はAさん、明日はBさんとテーマごとに相手を替えて書く。手紙を書くように。
以前、知り合いが「ブログとか書くと炎上するときがあるじゃないですか。それが怖くて」とか心配してたので、「バーカ、オマエのブログが炎上するわけねえだろう。注目されている人だから炎上するんだよ」と言ってやった。
プロの物書きでもなく、有名人でもない私たちに、見ず知らずの大勢に読んでもらえる文章なんて書けるわけがない。
特定の誰かに向けて書く。
だが、不思議なもので、知り合いに向かって書いていても、長く続けていると、知り合いじゃない人も少しずつ読んでくれるようになるみたいだ。
たった一人であっても、「ふむふむ、その通りだな」と納得してくれるような文章を書ければ、世の中には結構似た考えの人がいるので、次第に輪が広がって行く。
私が中学生に作文の書き方を指導するとき、「ふだん教わっている先生に向かって書くといいよ」という話をする。
入試の作文を実際に読むのは、高校の先生だ。でも、どんな人か分からない。相手が分からない文章というのは書きにくいものだ。
そこで、「そうか、そうか」、「なるほど、それで?」と読んでくれる身近な先生に向けて書く。そういう人、一人ぐらいいるよね。
小学校低学年がやる「先生、あのね」の延長だ。
読書について。友情について。高齢化社会について。
そんなこと聞かれてもな。私だって困るよ。
そこで、特定の誰かを思い浮かべて、その人に聞いてもらうつもりで書く。そうすると結構スムーズに書ける。
ぜひ試してみてほしい。
さて、どうする。
これ自体は仕事ではないので、そんなに時間はかけられない。
そんな場合のとっておきの手段は、知っている特定の誰かに向けて書くという技だ。
本来どなたが読者であるか分からないブログであるが、「ブログ読んでます」と言ってくれる人もいるので、少しずつ分かってくる。そこで、その中の特定の誰かに向けて書く。今日はAさん、明日はBさんとテーマごとに相手を替えて書く。手紙を書くように。
以前、知り合いが「ブログとか書くと炎上するときがあるじゃないですか。それが怖くて」とか心配してたので、「バーカ、オマエのブログが炎上するわけねえだろう。注目されている人だから炎上するんだよ」と言ってやった。
プロの物書きでもなく、有名人でもない私たちに、見ず知らずの大勢に読んでもらえる文章なんて書けるわけがない。
特定の誰かに向けて書く。
だが、不思議なもので、知り合いに向かって書いていても、長く続けていると、知り合いじゃない人も少しずつ読んでくれるようになるみたいだ。
たった一人であっても、「ふむふむ、その通りだな」と納得してくれるような文章を書ければ、世の中には結構似た考えの人がいるので、次第に輪が広がって行く。
私が中学生に作文の書き方を指導するとき、「ふだん教わっている先生に向かって書くといいよ」という話をする。
入試の作文を実際に読むのは、高校の先生だ。でも、どんな人か分からない。相手が分からない文章というのは書きにくいものだ。
そこで、「そうか、そうか」、「なるほど、それで?」と読んでくれる身近な先生に向けて書く。そういう人、一人ぐらいいるよね。
小学校低学年がやる「先生、あのね」の延長だ。
読書について。友情について。高齢化社会について。
そんなこと聞かれてもな。私だって困るよ。
そこで、特定の誰かを思い浮かべて、その人に聞いてもらうつもりで書く。そうすると結構スムーズに書ける。
ぜひ試してみてほしい。