「死ね」が溢れる世の中で、「命の大切さ」を教えろってか
ふざけんなよ。
そう思うのは、「死ね」の濫用のことだ。
「保育園落ちた、日本死ね」。こんなのを国会で声高に叫ぶ議員がいた。流行語大賞の候補にも選ばれた。
つい最近は、日本維新の会・足立康史議員が「朝日新聞、死ね」とやった。(後日、足立議員は「万死に値する」と訂正したようである)
「安倍に言いたい。 お前は人間じゃない! たたき斬ってやる!」(山口二郎氏)なんていうのもあった。
保育園の件にしろ、朝日新聞の件にしろ、言いたいことは分かる。主義主張に同調するかどうかは別として、それぞれに背景や経緯があることは理解できるということだ。
しかし、言うに事欠いて、いい大人達が「死ね」とは何事だ。
子供たちは、確実に真似するぞ。いや、もうとっくに真似している。
で、何だって? 学校で「命の大切さ」を教えろだと。
大人同士が、「オマエは死ね」、「そっちこそ死ね」と罵り合っていて、子供には、「滅多なことで、『死ね』なんて言葉を使ってはダメよ」と教えろっていうのか。冗談言っちゃいけないよ。オマエラが先に改めろって話だ。
教養ある大人たちなら、「死ね」だの「殺す」だの用いずとも、いくらでも表現を持っているだろう。
子供たちが言葉として「死ね」、「殺せ」を使ったからといって、ただちにそれを実行に移すというものではないが、日常的に軽々と使わせていいとは思わない。
論戦結構。批判結構。
でも、言葉は選べよ。
「オマエもな」
そう、私もだ。
そう思うのは、「死ね」の濫用のことだ。
「保育園落ちた、日本死ね」。こんなのを国会で声高に叫ぶ議員がいた。流行語大賞の候補にも選ばれた。
つい最近は、日本維新の会・足立康史議員が「朝日新聞、死ね」とやった。(後日、足立議員は「万死に値する」と訂正したようである)
「安倍に言いたい。 お前は人間じゃない! たたき斬ってやる!」(山口二郎氏)なんていうのもあった。
保育園の件にしろ、朝日新聞の件にしろ、言いたいことは分かる。主義主張に同調するかどうかは別として、それぞれに背景や経緯があることは理解できるということだ。
しかし、言うに事欠いて、いい大人達が「死ね」とは何事だ。
子供たちは、確実に真似するぞ。いや、もうとっくに真似している。
で、何だって? 学校で「命の大切さ」を教えろだと。
大人同士が、「オマエは死ね」、「そっちこそ死ね」と罵り合っていて、子供には、「滅多なことで、『死ね』なんて言葉を使ってはダメよ」と教えろっていうのか。冗談言っちゃいけないよ。オマエラが先に改めろって話だ。
教養ある大人たちなら、「死ね」だの「殺す」だの用いずとも、いくらでも表現を持っているだろう。
子供たちが言葉として「死ね」、「殺せ」を使ったからといって、ただちにそれを実行に移すというものではないが、日常的に軽々と使わせていいとは思わない。
論戦結構。批判結構。
でも、言葉は選べよ。
「オマエもな」
そう、私もだ。