ブログタイトルを変更する理由
ブログ毎日更新を始めてから3年9か月が経過した。
が、上には上がいるので、別に誇るような数字ではない。
新年を期して、ブログタイトルを変更する。ずっと前から考えていたが、何となくタイミングを逸してしまい今日まで来た。
当ブログの読者には、学校や塾の先生方が多いようだ。「ようだ」というのは、誰が読者であるかは、こちらからは分からない仕組みになっているからだ。ただ、実際に会ったときになどに「いつもブログ読んでます」と言ってくれる人もいて、そのほとんどが先生なので、やっぱり読者は先生なんだなと思うわけである。
タイトルは変わっても、内容は今までどおりだ。
ではなぜ?
私は、教育者でも教育学者でもない。教育行政に関わっている者でもない。教育に関心を寄せる「市井人」である。
「市井」は「しせい」と読み、簡単に言うと「庶民」ってこと。
私は教育界(学校)に育ててもらった。教育界(学校)に食わせてもらってここまで来た。だから、教育界(学校)に恩返しをしたい。
さてと。
そういう思いはあるものの、それをどのように実現したらいいかだ。
金もないぞ。地位も権力もないぞ。若さと行動力なんぞとうの昔に失っておるぞ。何にもないじゃないか。
何にもなくて出来ることがないかな。
そうだ、応援だ。
先生を応援しよう。
知恵をしぼって制度や仕組みを変えても、最後にそれを実践するのは先生だ。
先生方には、誇りと自信をもって、夢と希望をもって、日々の仕事に当たってもらいたい。それが日本の教育を良くする一番確かな方法だ。
このブログを読んで、「勇気をもらったぜ」、「やる気が出てきたぜ」と言ってくれる先生が一人でもいれば、私にとって本望だ。
という気持ちで今までも書いてきたのであるが、そのことを改めて己に言い聞かせる意味でタイトルを変えてみるわけである。
くり返すが、同じ人間が書いているので、中身は変わらんよ。
が、上には上がいるので、別に誇るような数字ではない。
新年を期して、ブログタイトルを変更する。ずっと前から考えていたが、何となくタイミングを逸してしまい今日まで来た。
当ブログの読者には、学校や塾の先生方が多いようだ。「ようだ」というのは、誰が読者であるかは、こちらからは分からない仕組みになっているからだ。ただ、実際に会ったときになどに「いつもブログ読んでます」と言ってくれる人もいて、そのほとんどが先生なので、やっぱり読者は先生なんだなと思うわけである。
タイトルは変わっても、内容は今までどおりだ。
ではなぜ?
私は、教育者でも教育学者でもない。教育行政に関わっている者でもない。教育に関心を寄せる「市井人」である。
「市井」は「しせい」と読み、簡単に言うと「庶民」ってこと。
私は教育界(学校)に育ててもらった。教育界(学校)に食わせてもらってここまで来た。だから、教育界(学校)に恩返しをしたい。
さてと。
そういう思いはあるものの、それをどのように実現したらいいかだ。
金もないぞ。地位も権力もないぞ。若さと行動力なんぞとうの昔に失っておるぞ。何にもないじゃないか。
何にもなくて出来ることがないかな。
そうだ、応援だ。
先生を応援しよう。
知恵をしぼって制度や仕組みを変えても、最後にそれを実践するのは先生だ。
先生方には、誇りと自信をもって、夢と希望をもって、日々の仕事に当たってもらいたい。それが日本の教育を良くする一番確かな方法だ。
このブログを読んで、「勇気をもらったぜ」、「やる気が出てきたぜ」と言ってくれる先生が一人でもいれば、私にとって本望だ。
という気持ちで今までも書いてきたのであるが、そのことを改めて己に言い聞かせる意味でタイトルを変えてみるわけである。
くり返すが、同じ人間が書いているので、中身は変わらんよ。