弁天様より98歳のお婆ちゃんの方がご利益ありそうだ
今日の話は、結果として昨日の続きのような形になりそうだ。
1月3日は、「谷中七福神めぐり」の日と決めている。今年で11年目。
風が強かった。そのせいか、いつもより人出も少なく、どこも待たずに参拝できた。唯一行列ができていたのが、上野不忍池の弁財天。ここだけ参拝という人も多いのだろう。
順番待ちをしながら、何となくすぐ後ろの三人連れと会話になる。老夫婦ともう一人、小柄なお婆ちゃん。年寄りの私から見ても完ぺきなお婆ちゃんだが、聞けば大正8年生まれというではないか。西暦1919年。現在98歳で、今年中には99歳となる。
杖はついていたが、自分の足で歩き、階段もスタスタ昇って行く。この年で、どこにでも自分の足で行けるなんて、なんてハッピーなんだ。会話もしっかりしている。
こうなると、どうしても聞いてみたくなる。
「お元気の秘密は何なんですか?」
答え。
「何にもやってないんですよ。何にも考えてません」
よく聞く答えだ。ご長寿の人に尋ねると、みんな、このように言う。
もしかしたら秘密を隠してる? そんなはずはない。だって、隠したって意味ないじゃないか。
謙遜? それもありそう。「こんな努力してきました」っていうのは、何か自慢話みたいだし。
しかし、最近思うのは、「何にもやってないんですよ」は、結構本音なんじゃないかということだ。
暴飲暴食しないとか、好き嫌いしないとか、早寝早起きするとか、毎日歩くとか、何かやってる。やってるけど本人に努力の自覚がない。だから、他人から問われれば、何も特別なことはしていない、となる。全部、努力なしには出来ないことなんだけどね。
努力とは苦しいもの。努力とは辛いもの。
話はどうしてもそっちに向かってしまうが、「努力とは楽しいもの」なのかもしれない。楽しいことや好きなことばかりやっているというのは、努力とは正反対の方向に向かっているようでいて、案外、それこそが本当の意味での努力になっている。
私は、弁天様を拝みに来て、思わず小柄な98歳のお婆ちゃんを拝んでしまったよ。
1月3日は、「谷中七福神めぐり」の日と決めている。今年で11年目。
風が強かった。そのせいか、いつもより人出も少なく、どこも待たずに参拝できた。唯一行列ができていたのが、上野不忍池の弁財天。ここだけ参拝という人も多いのだろう。
順番待ちをしながら、何となくすぐ後ろの三人連れと会話になる。老夫婦ともう一人、小柄なお婆ちゃん。年寄りの私から見ても完ぺきなお婆ちゃんだが、聞けば大正8年生まれというではないか。西暦1919年。現在98歳で、今年中には99歳となる。
杖はついていたが、自分の足で歩き、階段もスタスタ昇って行く。この年で、どこにでも自分の足で行けるなんて、なんてハッピーなんだ。会話もしっかりしている。
こうなると、どうしても聞いてみたくなる。
「お元気の秘密は何なんですか?」
答え。
「何にもやってないんですよ。何にも考えてません」
よく聞く答えだ。ご長寿の人に尋ねると、みんな、このように言う。
もしかしたら秘密を隠してる? そんなはずはない。だって、隠したって意味ないじゃないか。
謙遜? それもありそう。「こんな努力してきました」っていうのは、何か自慢話みたいだし。
しかし、最近思うのは、「何にもやってないんですよ」は、結構本音なんじゃないかということだ。
暴飲暴食しないとか、好き嫌いしないとか、早寝早起きするとか、毎日歩くとか、何かやってる。やってるけど本人に努力の自覚がない。だから、他人から問われれば、何も特別なことはしていない、となる。全部、努力なしには出来ないことなんだけどね。
努力とは苦しいもの。努力とは辛いもの。
話はどうしてもそっちに向かってしまうが、「努力とは楽しいもの」なのかもしれない。楽しいことや好きなことばかりやっているというのは、努力とは正反対の方向に向かっているようでいて、案外、それこそが本当の意味での努力になっている。
私は、弁天様を拝みに来て、思わず小柄な98歳のお婆ちゃんを拝んでしまったよ。