人生の勝ち負け。その基準は自分で決めりゃいいんだよ
「なぜ安定した公務員の身分を捨てたんですか?」
これまでの人生で、私は何回この質問を受けただろうか。
そんな時、私は逆に問う。
「人生って安定してなきゃいけないんですか?」
私は40歳のとき、安定した公務員(公立学校教員)の身分を捨て、民間企業のサラリーマンとなり、その後自前の会社を作り現在に至っているが、案の定、その後の人生は不安定なものであった。今もだ。
収入は常に安定しない。借金は山ほどある。
「ほら見ろ」と言う人もいるが、私は安定を捨てて不安定を選んだ。約束された人生ではなく、明日をも知れぬ人生を選んだ。
病気や怪我でもしたらそれでゲームセット。常に崖っぷちを歩む人生でスリル満点。
よく人生の勝ち組、負け組なんてことを言うが、その勝ち負けの基準って何なんだ?
金持ちが勝ち、貧乏が負け。
そう思う人は努力して金持ちを目指せばいい。
有名になったら勝ち、無名のままなら負け。
そう思う人は頑張って有名になればいい。
でもね、何が勝ちで、何が負けかは、自分で決めていいんじゃないかな。
若いうちはたぶん分からない。勝ち負けの基準は、いい高校に入った、いい大学に入った、いい会社に入った、いい職業に就いたぐらいしか思い浮かばない。
でも、30代40代になると、それだけじゃないなと思うようになる。いろんな勝ちがあるんじゃないかと思うようになる。思わない人がいてもいいが、私はそう思ってしまった。
安定(主として経済的安定)は、自分にとって勝ちではない。もちろん金はあるに越したことはないが、10年20年先の分まではいらない。あと1年2年分の見通しがあればそれで十分。後のことはまた考えよう。
死の間際、「縁あってこの世に生まれてきたけど、これで結構オレの人生面白かったぜ」。そう思えたら幸せだ。
マラソンの川内優輝選手が、公務員(埼玉県職員)を辞めてプロに転向するという。
なぜ安定した公務員の身分を捨てるんだ、プロで活躍できたとしてもあと数年なのにと、とやかく言う人がいるが、私は彼の気持ちが少しは分かるような気がする。
彼の中で、自分にとっての勝ちとは何か、負けとは何かがはっきりしてきたのだろう。ならば、己の信念を貫けばいい。ますます応援するぞ。
これまでの人生で、私は何回この質問を受けただろうか。
そんな時、私は逆に問う。
「人生って安定してなきゃいけないんですか?」
私は40歳のとき、安定した公務員(公立学校教員)の身分を捨て、民間企業のサラリーマンとなり、その後自前の会社を作り現在に至っているが、案の定、その後の人生は不安定なものであった。今もだ。
収入は常に安定しない。借金は山ほどある。
「ほら見ろ」と言う人もいるが、私は安定を捨てて不安定を選んだ。約束された人生ではなく、明日をも知れぬ人生を選んだ。
病気や怪我でもしたらそれでゲームセット。常に崖っぷちを歩む人生でスリル満点。
よく人生の勝ち組、負け組なんてことを言うが、その勝ち負けの基準って何なんだ?
金持ちが勝ち、貧乏が負け。
そう思う人は努力して金持ちを目指せばいい。
有名になったら勝ち、無名のままなら負け。
そう思う人は頑張って有名になればいい。
でもね、何が勝ちで、何が負けかは、自分で決めていいんじゃないかな。
若いうちはたぶん分からない。勝ち負けの基準は、いい高校に入った、いい大学に入った、いい会社に入った、いい職業に就いたぐらいしか思い浮かばない。
でも、30代40代になると、それだけじゃないなと思うようになる。いろんな勝ちがあるんじゃないかと思うようになる。思わない人がいてもいいが、私はそう思ってしまった。
安定(主として経済的安定)は、自分にとって勝ちではない。もちろん金はあるに越したことはないが、10年20年先の分まではいらない。あと1年2年分の見通しがあればそれで十分。後のことはまた考えよう。
死の間際、「縁あってこの世に生まれてきたけど、これで結構オレの人生面白かったぜ」。そう思えたら幸せだ。
マラソンの川内優輝選手が、公務員(埼玉県職員)を辞めてプロに転向するという。
なぜ安定した公務員の身分を捨てるんだ、プロで活躍できたとしてもあと数年なのにと、とやかく言う人がいるが、私は彼の気持ちが少しは分かるような気がする。
彼の中で、自分にとっての勝ちとは何か、負けとは何かがはっきりしてきたのだろう。ならば、己の信念を貫けばいい。ますます応援するぞ。