「乗るな」の指導から「乗るなら」の指導へ、いいことだ

高校生のバイク解禁
県教育局「三ない運動」は廃止
9月26日(水)付埼玉新聞1面トップの見出しだ。
バイクに「乗らせない・買わせない・免許をとらせない」の三ない運動。
県教委が「高校生活にバイクは不要」の方針の下、指導要項を定めたのは1981年のことだ。
下手すりゃ、ツッパリ君たちが廊下をバイクで走り回るような時代だ。当時は規制も必要だったのだ。
もともと、文科省なんかはそれほど積極的じゃなかったんだね。もちろん自動車工業会みたいな業界団体も。ただ、PTAとかを中心に一種の社会運動として盛り上がって、それを受けて県教委や各学校がバイク規制を強化したという経緯がある。
時代は移り、むしろ若いうちから交通安全教育をしたほうがいいんじゃないかという考えが主流になってきた。昔からあった考え方だが、ようやく社会がそれを容認するようになった。
若いうちから自転車・バイク・車の運転の仕方やマナーを叩き込んだほうがいいわけで、私は歓迎する。
「(臭い物に)蓋をする」というのかな。危ないからとりあえずダメ、禁止する。
そういう指導が必要な場面があるし、短期的には効果を発揮するが、実は課題を先送りしていることになる。
命にかかわること。身の安全にかかわること。そういうのは、蓋をせずに早い段階で、きちんと教えよう。
話が飛躍し過ぎと言われるかもしれないが、ケータイやスマホなんかも、蓋をしないで正しい使い方やマナーを教えてもらいたいね。むしろ積極的に使う方向で。
やれICT教育だ、これからはAIだ、と言っていながら「中学生活にスマホは不要」は変でしょう。アカウントを乗っ取られない方法とか、詐欺に引っかからない方法とか、ウイルスに感染しない方法とか、ちゃんと教えておいたほうが子供のためだ。
それはそうと、ブレーキとアクセル踏み間違えない方法を年寄りに教えてくれないかな。「乗るな」じゃなくて。