「子供を産まない方が問題」はどこが問題発言なのか
今日は政治の話。
麻生太郎副総理が、またやらかしてくれた。
「子供を産まないほうが問題」発言。
野党及び一部マスコミは、ほら来たと大騒ぎ。
政治家は、自分の地元で支持者を集めてのパーティだと、ちょっと気が緩むのかな。しかし、いくら身内の会といっても、置かれた立場というものがある。そこらの新人議員とはわけが違うのだから、そのあたりはわきまえてほしいね。
「少子高齢化問題」。
「少子化問題」と「高齢化問題」を合わせての言い方だが、麻生副総理は、「高齢化(長生きが当たり前になったこと)」と「少子化」(子供が生まれなくなったこと)を比べると、「少子化」の方がより大きな問題だと発言したようである。または、そのように受け取られる発言をしたようである。
ただ、どちらがより大きな問題かというと、そこは難しいところだ。
「高齢化」が進んでも、「多子化」が維持されれば、それによって解決できることも多い。ところが、「高齢化」と「少子化」が同時進行しているから、より問題が深刻さを増している。
「少子化」と「高齢化」は、別個の問題であり、解決への処方箋は異なる。どちらか一方を解決すれば、もう一方が自動的に解消するというものではない。
保育園をたくさん作り、教育を無償化し、女性も男性も子育てと仕事が両立しやすい環境を作っても、それで「高齢化」の問題が解決されるわけではない。その逆も然り。
そういう意味で、どちらを優先課題とするか、どちらにより大きな予算配分をするかは、非常に重要な問題であって、そういう中で、政府のナンバー2の実力者が、いかにも軽率じゃないのと、追及すべきはそこでしょう。
ところが、野党及び一部マスコミは例によってというか、「生みたくても生めない人」への人権無視という方向に話を持って行こうとする。
だからね。
「生みたくても生めない人」のことは、「少子化」とは関係なく存在しているわけですよ。同情する人はいても、「少子化」はあなた方のせいだなんて思っている人は、世の中には一人もいませんよ。
今回の麻生副総理発言は問題だけど、問題(化)の仕方が違っていると思う。
麻生太郎副総理が、またやらかしてくれた。
「子供を産まないほうが問題」発言。
野党及び一部マスコミは、ほら来たと大騒ぎ。
政治家は、自分の地元で支持者を集めてのパーティだと、ちょっと気が緩むのかな。しかし、いくら身内の会といっても、置かれた立場というものがある。そこらの新人議員とはわけが違うのだから、そのあたりはわきまえてほしいね。
「少子高齢化問題」。
「少子化問題」と「高齢化問題」を合わせての言い方だが、麻生副総理は、「高齢化(長生きが当たり前になったこと)」と「少子化」(子供が生まれなくなったこと)を比べると、「少子化」の方がより大きな問題だと発言したようである。または、そのように受け取られる発言をしたようである。
ただ、どちらがより大きな問題かというと、そこは難しいところだ。
「高齢化」が進んでも、「多子化」が維持されれば、それによって解決できることも多い。ところが、「高齢化」と「少子化」が同時進行しているから、より問題が深刻さを増している。
「少子化」と「高齢化」は、別個の問題であり、解決への処方箋は異なる。どちらか一方を解決すれば、もう一方が自動的に解消するというものではない。
保育園をたくさん作り、教育を無償化し、女性も男性も子育てと仕事が両立しやすい環境を作っても、それで「高齢化」の問題が解決されるわけではない。その逆も然り。
そういう意味で、どちらを優先課題とするか、どちらにより大きな予算配分をするかは、非常に重要な問題であって、そういう中で、政府のナンバー2の実力者が、いかにも軽率じゃないのと、追及すべきはそこでしょう。
ところが、野党及び一部マスコミは例によってというか、「生みたくても生めない人」への人権無視という方向に話を持って行こうとする。
だからね。
「生みたくても生めない人」のことは、「少子化」とは関係なく存在しているわけですよ。同情する人はいても、「少子化」はあなた方のせいだなんて思っている人は、世の中には一人もいませんよ。
今回の麻生副総理発言は問題だけど、問題(化)の仕方が違っていると思う。