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またも虐待死事件、大人はなぜ少女を守れなかったのか

 またも起きてしまった「虐待死事件」。

 いや、これは「殺人事件」と言ったほうがいい。行政の不作為がもたらした殺人事件だ。
 千葉県野田市の小学4年、栗原心愛(みあ)ちゃん(10)が自宅で父親(41)に殺された。
 
 昨年3月、東京・目黒区の船戸結愛ちゃん(5)が殺害された事件はまだ記憶に新しい。「きょうよりか あしたはもっともっと できるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください」。こんな悲痛な文章を残し、短い生涯を終えた。

 事件のあと本ブログで、虐待案件に関して、児童相談所と警察は、全件情報共有すべきだと書いた。しかし、これが実現しているのはいまだに全国の4分の1程度の府県に過ぎない。
 もちろん、情報が共有されたからといって、それだけで虐待が防げるわけではない。その情報をもとに、両者が、どのようなケースではどう行動するかといった、明確な行動基準を作り、協力して事に当たることが必要だ。

 今回の野田市の事件。少女は学校のアンケート調査に「お父さんにぼう力を受けています。先生、 どうにかできませんか」と書いていてSOSを発していた。一昨年には地元の「要保護児童対策地域協議会」のリストにも載っていたという。つまり、周りの大人たちは少女の命が危機にさらされていることを知っていたということだ。

 それでも命を守れなかった。
 学校も、児相も、なぜ子供の命を守れなかったのか。そういう批判もあるだろう。だが、学校や児相と、警察では、命の守り方が違う。学校の先生や児相の職員は、凶悪な殺人者に対抗し、己の命を盾に子供の命を守るための訓練も受けていないし、実力で戦う権限も与えられてはいない。
 残念だが、世の中には、一定数の鬼畜のごとき人間が存在する。かれらの行動を実力で阻止できるのは、警察しかない。

 警察が情報を把握し、行動していれば防げたか。
 それは分からない。しかし、死に至る可能性を減じることはできただろう。

 児相も組織、警察も組織。系統の異なる組織同士の連携が難しいのは分かる。プライバシーや人権という方向からの世間の合意も必要だろう。
 だがこれだけは、強く言っておかなければならない。
 「毎年、虐待死が起こるような国でいいのか」。

 関連ブログ:2018年6月14日付

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受験生・保護者の皆さん、学校や塾の先生方に最新情報をお届けします。ただし、結構頻繁に受験と無関係の話も。

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