だったら家で日記帳書いてなさいよ
不定期にブログを書いたり、ツイッターをやったりしている友人に、「更新頻度を高めれば、たとえば毎日更新とかすれば、もっと読者が増えますよ」と教えてあげたら、何と言ったか。
「いや別に読者を増やそうとは思っていない。書きたいことだけ書いて、分かる人だけ分かってくれればいい」
だったら家で日記帳書いてなさいよ。
別に世界に向けて発信する必要ないでしょう。
出版という形であれ、ブログという形であれ、書いたり撮ったりしたものを発信した時点で、「読んでください」「見てください」ってことになるんだよ。
「読んでください」という行為をしておいて、「読まれなくていい」というのは、どう考えたって矛盾だ。
給料や原稿料をもらって書く原稿は、たしかに制約が多い。それに比べたらブログの自由度は高い。
だが、読み手あっての書き手であるという状況は、お金をもらって書く原稿と変わるところはない。
私はたまたま、一方で有料の依頼原稿を書き、一方でノーギャラのブログを書いているわけだが、どちらの場合も読者を意識して書いている。当たり前じゃないか。
あなた、読まれたいから書いてるんでしょ、分かってもらいたいから何か言うんでしょ。
そういう自分の気持ちに正直にならないと。
読者が増えないのは、読む価値のないものだから。原因はただそれだけ。
そういう現実から目を背けて「好きなこと書いてるだけだから、読者は増えなくていい」なんて言ってると、ますます読者は減っちゃうよ。
というような私の考えは、何度か書いているはずだが、いつどこで書いたか覚えていない。
ついでだが、私の場合、ブログの執筆時間は基本的に勤務時間外だ。勤め人ではないので決められた勤務時間はないのだが、9時5時の時間外ということ。
ただし、調査や資料収集が必要な内容の場合は、昼間にも書く。いずれ依頼原稿や講演の形で収益化できる可能性があるので勤務時間内に書くことを自分に許している。
今日のこのブログは?
もちろん勤務時間外ですよ。
「いや別に読者を増やそうとは思っていない。書きたいことだけ書いて、分かる人だけ分かってくれればいい」
だったら家で日記帳書いてなさいよ。
別に世界に向けて発信する必要ないでしょう。
出版という形であれ、ブログという形であれ、書いたり撮ったりしたものを発信した時点で、「読んでください」「見てください」ってことになるんだよ。
「読んでください」という行為をしておいて、「読まれなくていい」というのは、どう考えたって矛盾だ。
給料や原稿料をもらって書く原稿は、たしかに制約が多い。それに比べたらブログの自由度は高い。
だが、読み手あっての書き手であるという状況は、お金をもらって書く原稿と変わるところはない。
私はたまたま、一方で有料の依頼原稿を書き、一方でノーギャラのブログを書いているわけだが、どちらの場合も読者を意識して書いている。当たり前じゃないか。
あなた、読まれたいから書いてるんでしょ、分かってもらいたいから何か言うんでしょ。
そういう自分の気持ちに正直にならないと。
読者が増えないのは、読む価値のないものだから。原因はただそれだけ。
そういう現実から目を背けて「好きなこと書いてるだけだから、読者は増えなくていい」なんて言ってると、ますます読者は減っちゃうよ。
というような私の考えは、何度か書いているはずだが、いつどこで書いたか覚えていない。
ついでだが、私の場合、ブログの執筆時間は基本的に勤務時間外だ。勤め人ではないので決められた勤務時間はないのだが、9時5時の時間外ということ。
ただし、調査や資料収集が必要な内容の場合は、昼間にも書く。いずれ依頼原稿や講演の形で収益化できる可能性があるので勤務時間内に書くことを自分に許している。
今日のこのブログは?
もちろん勤務時間外ですよ。