ファーストペンギンになるとはどういうことか考えてみる
最近少しずつ浸透してきた言葉に「ファーストペンギン」というのがある。
数年前のNHK朝ドラの中にも出てきたセリフというが、見ていないので分からない。
集団行動をする南極のペンギン。
エサを獲るためには海に飛び込まなければならないが、そこには危険も潜む。天敵に食われてしまうかもしれないのだ。
「お前から行けよ」
「やだよ。お前こそ先に飛び込めよ」
「そんなの恐いよ」
「俺だって同じだよ」
と、皆が躊躇している中で、勇敢な(もしかしたら無鉄砲な)一羽が果敢に飛び込む。それを見た他のペンギンたちが、「お、大丈夫じゃん。じゃ俺も」と次々に飛び込む。
最初にリスクを取りにいった一羽は、悲惨な結果に終わるかもしれないが、うまく行けば、たくさんのエサが食べられる。つまり、リターンも大きい。
ということで、皆さんも勇気を持ってファーストペンギンになりましょう。と、朝のミーティングなんかでアザラシみたいな部長が、部下に話して聞かせるわけである。
これは例え話である。
いや、「実はペンギンの生態は…」などと、話をそっちに持って行くのはバカのやることだ。私の知り合いにも、いちいち例え話や比喩にツッコミを入れてくるヤツがいるが、大概にしやがれ。
要は失敗を恐れずにチャレンジしなさい、ということで、それはその通りなんだが、部長の話に欠けているのは、どうしたらファーストペンギンになれるかということだ。
勇気?
でも、ちょっと抽象的過ぎるような気がする。
ペンギンの群れにははっきりしたリーダーはいないようだが、人間の組織にはリーダーが必要だから、リーダーになれということなのか。リーダーはお手本を示せ。そういうことか。
しかし、真っ先に飛び込んでも、誰も後に続かないかもしれない。セカンド、サードと、後に続く者がいて初めて、ファーストペンギンと称えられる。ただの孤独なチャレンジャーではダメなのだ。
あの人に続け。
あの人には経験がある。知識もある。技術もある。洞察力もある。判断力もある。だからそれに続けば間違いない。
つまり。
ファーストペンギンになりなさいという話は、単に最初にやりなさいというのではなく、人が信頼してついてくるような、そういうリーダーになれるように自分を磨きなさいということになるのかな。
少なくとも、最初にやれば大儲けできるぞって話じゃないね。
数年前のNHK朝ドラの中にも出てきたセリフというが、見ていないので分からない。
集団行動をする南極のペンギン。
エサを獲るためには海に飛び込まなければならないが、そこには危険も潜む。天敵に食われてしまうかもしれないのだ。
「お前から行けよ」
「やだよ。お前こそ先に飛び込めよ」
「そんなの恐いよ」
「俺だって同じだよ」
と、皆が躊躇している中で、勇敢な(もしかしたら無鉄砲な)一羽が果敢に飛び込む。それを見た他のペンギンたちが、「お、大丈夫じゃん。じゃ俺も」と次々に飛び込む。
最初にリスクを取りにいった一羽は、悲惨な結果に終わるかもしれないが、うまく行けば、たくさんのエサが食べられる。つまり、リターンも大きい。
ということで、皆さんも勇気を持ってファーストペンギンになりましょう。と、朝のミーティングなんかでアザラシみたいな部長が、部下に話して聞かせるわけである。
これは例え話である。
いや、「実はペンギンの生態は…」などと、話をそっちに持って行くのはバカのやることだ。私の知り合いにも、いちいち例え話や比喩にツッコミを入れてくるヤツがいるが、大概にしやがれ。
要は失敗を恐れずにチャレンジしなさい、ということで、それはその通りなんだが、部長の話に欠けているのは、どうしたらファーストペンギンになれるかということだ。
勇気?
でも、ちょっと抽象的過ぎるような気がする。
ペンギンの群れにははっきりしたリーダーはいないようだが、人間の組織にはリーダーが必要だから、リーダーになれということなのか。リーダーはお手本を示せ。そういうことか。
しかし、真っ先に飛び込んでも、誰も後に続かないかもしれない。セカンド、サードと、後に続く者がいて初めて、ファーストペンギンと称えられる。ただの孤独なチャレンジャーではダメなのだ。
あの人に続け。
あの人には経験がある。知識もある。技術もある。洞察力もある。判断力もある。だからそれに続けば間違いない。
つまり。
ファーストペンギンになりなさいという話は、単に最初にやりなさいというのではなく、人が信頼してついてくるような、そういうリーダーになれるように自分を磨きなさいということになるのかな。
少なくとも、最初にやれば大儲けできるぞって話じゃないね。