中学校卒業おめでとう
3月14日(金)、この日が中学校の卒業式という人が多いと思う。
1年間、埼玉県の中学3年生(=高校受験生)を念頭にブログを書いてきた。私はまた、次の受験生のために書き続けることになるが、4月から高校生となる君たちとはお別れである。
そこで、はなむけの言葉。
誰のために、何のために学ぶか。
君たちは、この1年間、目標の高校に合格するために学んできた。それでよろしい。そして次の3年間は、目標の大学などに合格するために学ぶことになるかもしれない。それもよろしい。目先の具体的な目標がなければ、がんばれないものである。
では、その先はどうか。
今は想像するのが難しいと思うが、君たちはいずれ社会人となり、何らかの職業につく。つまり、「働く」のである。学校で学ぶのは、そのための準備である。すなわち将来「働く」ために学ぶ、これが第一の答。
さて、そうなると今度は、何のために「働く」のかという答を求めなければならない。
第二の答を先に言っておこう。
「世のため、人のために働く」のである。
自分のためではないのか?
もちろんそれはある。ただ、自分だけ、のためではあってはならない。
世の中には、いまだ幼く働けない者がいる。年老いて働けない者がいる。何らかの障害をかかえ十分に働けない者がいる。そういう人たちも含めてこの世の中は成り立っている。
君たちはまだ働いていない。そして遠い先の話だが、働けなくなる。
だから、働ける間は、働けない人の分まで働かなければならないのだ。
これが私の言う「世のため、人のために働く」の意味である。
半分は自分のためでもいいが、残り半分は他人のためと考えようではないか。
君たちは4月から高校生となる。
次の3年間で、自分の適性を見極め、秘めた能力を発見し、さらに磨きをかけなければならない。
働くことは時に苦痛ではあるが、自分の適性や能力に合った仕事につくことができれば、自分が幸福になるばかりでなく、世の中を幸福にすることができる。
自分の適性や能力は、学校生活のさまざまな場面を通じて発見され、磨かれて行くものだ。
授業だけではない。いや、授業だけでは不十分である。
部活動も、学校行事も、すぐれた「学び」の場面である。
すべてに全力でぶつかってほしい。
1年間、埼玉県の中学3年生(=高校受験生)を念頭にブログを書いてきた。私はまた、次の受験生のために書き続けることになるが、4月から高校生となる君たちとはお別れである。
そこで、はなむけの言葉。
誰のために、何のために学ぶか。
君たちは、この1年間、目標の高校に合格するために学んできた。それでよろしい。そして次の3年間は、目標の大学などに合格するために学ぶことになるかもしれない。それもよろしい。目先の具体的な目標がなければ、がんばれないものである。
では、その先はどうか。
今は想像するのが難しいと思うが、君たちはいずれ社会人となり、何らかの職業につく。つまり、「働く」のである。学校で学ぶのは、そのための準備である。すなわち将来「働く」ために学ぶ、これが第一の答。
さて、そうなると今度は、何のために「働く」のかという答を求めなければならない。
第二の答を先に言っておこう。
「世のため、人のために働く」のである。
自分のためではないのか?
もちろんそれはある。ただ、自分だけ、のためではあってはならない。
世の中には、いまだ幼く働けない者がいる。年老いて働けない者がいる。何らかの障害をかかえ十分に働けない者がいる。そういう人たちも含めてこの世の中は成り立っている。
君たちはまだ働いていない。そして遠い先の話だが、働けなくなる。
だから、働ける間は、働けない人の分まで働かなければならないのだ。
これが私の言う「世のため、人のために働く」の意味である。
半分は自分のためでもいいが、残り半分は他人のためと考えようではないか。
君たちは4月から高校生となる。
次の3年間で、自分の適性を見極め、秘めた能力を発見し、さらに磨きをかけなければならない。
働くことは時に苦痛ではあるが、自分の適性や能力に合った仕事につくことができれば、自分が幸福になるばかりでなく、世の中を幸福にすることができる。
自分の適性や能力は、学校生活のさまざまな場面を通じて発見され、磨かれて行くものだ。
授業だけではない。いや、授業だけでは不十分である。
部活動も、学校行事も、すぐれた「学び」の場面である。
すべてに全力でぶつかってほしい。