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イギリスのアジア侵略(読んでわかる歴史講座08)

 産業革命により、工業製品を安く大量に生産できるようになったイギリスは、その販売先を海外に求めるようになった。しかし、このこと自体は今でも普通に行われていることであり、特に問題はない。トヨタ自動車だって最初は国内販売のみだったが、次第に海外輸出の割合が増えていったのだ。

 だが、19世紀のイギリスのやり方は違っていた。軍事力を背景に海外進出したのだ。力で相手の国を屈服させ、自国の製品の販売先(市場という言い方をする)を拡大する方法は、現代ではとうてい許されるものではないが、それは今の世界の常識であって、当時はイギリスだけでなく、どの国も当然のようにそうした方法をとっていたのである。

 イギリスは、中国(清)との間でアヘン戦争を引き起こし、これを破り、不平等な条約を押しつけた。
 当時イギリスの対中国貿易は大幅な赤字だったので、その対策として麻薬のアヘンを清に密輸し、その利益で茶や絹を手に入れる方法を考えた。中国(清)は、当然ながら人々の身体をむしばむアヘンを厳しく取り締まったが、イギリスの力の前に屈したのだ。

 イギリスはインドでも、国内産業を衰退させ、この国を完全に支配下においた。

 この時代、イギリス以外のヨーロッパ各国も、みな同じようなやり方でアフリカやアジアの国々を支配下に置いていった。軍事力を背景に政治的・経済的に従属させるこのやり方を帝国主義などと呼び、従属させられた国や地域を植民地という。

 アヘン戦争の起こった1840年は、日本では大塩の乱が起こり、江戸最後の改革・天保の改革が行われた時期である。幕府の衰退があらわになった、ちょうどその時、イギリスはじめヨーロッパ諸国の脅威が目の前まで迫ってきていたのである。

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受験生・保護者の皆さん、学校や塾の先生方に最新情報をお届けします。ただし、結構頻繁に受験と無関係の話も。

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