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ペリーが軍艦でやって来た(読んでわかる歴史講座09)

 1853年、ペリーが4隻の軍艦を率いてやってきた。かれは東インド艦隊司令官という立場の軍人であるから、軍艦でくるのは、まあ当然と言えば当然である。
 アメリカからだと、なんとなく太平洋を渡ってきたように思いがちだが、大西洋からアフリカをぐるっと回ってインド洋に出て、中国や琉球(今の沖縄)などに寄って、それから浦賀(神奈川県)に来たのだ。

 ペリーは日本に開国を要求した。アメリカは、中国との貿易船や捕鯨船(「ほげいせん」はクジラを捕る船)のための中継地が必要だったと言われる。

 幕府は非常に困った。何しろ軍艦で来ているのだ(人々はこれを「黒船」と呼んだ)。断れる雰囲気ではない。で、このときは「いま、将軍が病気なんですぐに返事をできないわけで…、悪いけど来年まで待ってもらいたいんだけど」とか何とか言って、いったん引き取ってもらった。

 幕府は、この騒ぎの中で、諸大名の意見を聞いたり、朝廷(天皇)に報告したりした。全盛期の幕府なら考えられないことだし、実際そんなことは一度もなかった。幕府の力が衰えてきた証拠である。

 さて1年後の1854年、再びペリーがやって来た。
 今度は断れない。幕府は日米和親条約を結び、下田(静岡県)と函館(北海道)の2港を開き、アメリカ船に食料・水・石炭(船の燃料用)などを供給することを認めた。また、イギリス・オランダ・ロシアとも同じような内容の条約を結んだ。
 200年余り続いた鎖国体制は終わった。

▼出題情報
 さて、24年の埼玉公立入試では、信じられないほど易しい問題が出た。

 ペリーを使者として送り、日本に開国を要求した国を、次のア~エの中から一つ選び、その記号を書きなさい(2点)
ア アメリカ
イ イギリス
ウ ロシア
エ オランダ
 さすがに正答率は70%を超えていた。

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受験生・保護者の皆さん、学校や塾の先生方に最新情報をお届けします。ただし、結構頻繁に受験と無関係の話も。

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