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尊王攘夷運動(読んでわかる歴史講座13)

 尊王攘夷(そんのうじょうい)は、なかなか分かりづらいところである。

 まず尊王と攘夷は別々のことを言っているので、2つに分けて考える。
尊王とは「王を尊ぶ」ということだから、ここでは「天皇(朝廷)を尊ぶ」というふうに解釈できる。
 この考え方は倒幕へとつながって行く。
 一方、攘夷とは「外国を打ち払う」ということである。その反対の考え方は「開国」ということになる。

 つまり、前半の尊王の部分は、天皇(朝廷)中心か、幕府中心かという政治権力の話であり、後半の攘夷の部分は、攘夷か開国かという外交政策の話である。

だから、当時は、尊王という考え方の人の中にも、攘夷の人がいれば、開国と人もいたのだ。また、尊王の反対は「佐幕(幕府を補佐する)」というが、この中にも攘夷を主張する人がいれば、開国を主張する人もいるという具合だ。

 まことにややこしい。
 しかし、攘夷の方は、最初は対立があったものの、次第に開国という考え方に統一されて行く。
1860年、強引に日米修好通商条約を結んだ大老・井伊直弼が、江戸城・桜田門外で水戸藩士らによって暗殺されるが、これは開国に反対する攘夷派の仕業だ。
 この事件をきっかけに、開国を進めたはずの幕府も攘夷に方向転換する。
 また、攘夷を主張する長州藩は、下関海峡を通過する外国船を襲撃した。さらに薩摩藩も、横浜で起こった生麦事件をきっかけにイギリスと戦った(薩英戦争)。
 というわけで、この時期は攘夷思想の全盛期であった。

 だが、長州藩も薩摩藩も、欧米勢力に手も足も出なかった。
 そこで、長州藩では木戸孝允、薩摩藩では西郷隆盛大久保利通らが実権を握るようになると、攘夷よりも、まず国家の統一だという話になり、両者は手を握り、討幕を目指すことになるのだ。

 長州藩と薩摩藩はライバルであり、しばしば対立し、時には戦ったりもしたが、両者の間をとりもったのが、有名な坂本竜馬(土佐藩)である。

▼出題情報
23年の埼玉公立入試で、尊王攘夷に関する出題があった。

 ~~ ①から③にあてはまる語の組み合わせとして正しいものを、下のア~カの中から一つ選び、その記号を書きなさい(2点)

 尊王( ① )運動の中心にあった長州藩は、下関(関門)海峡を通過する外国船を襲撃した。しかし翌年、( ② )などの四国艦隊から攻撃を受け下関砲台を占領された。資料1(省略)は、そのときの写真である。こうして( ① )よりも強力な統一国家をつくるほうが先決だと考えた長州藩は、( ③ )藩と同盟を結んだ。

ア ①攘夷 ②イギリス ③薩摩
イ ①攘夷 ②中国   ③薩摩
ウ ①攘夷 ②中国   ③土佐
エ ①維新 ②イギリス ③薩摩
オ ①維新 ②イギリス ③土佐
カ ①維新 ②中国   ③土佐

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受験生・保護者の皆さん、学校や塾の先生方に最新情報をお届けします。ただし、結構頻繁に受験と無関係の話も。

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